「日清戦争」の原因と結果(その3)

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はじめに

 

 前回の沖縄の県民投票に少しだけ加えておきましょう。中国の覇権主義が増大する一方、朝鮮半島の先行きが不透明になった今、米国が“在沖米軍”を撤退するのは、米国の対アジア政策を大幅に変更する時だけと考えます。

 

 巷にはすでに「米軍撤退の事態に備えよ!」との主張も散見されますが、米国の国家戦略や歴史を見れば、それは絶対あり得ないと確信しています。幸か不幸かは別にして、米軍と共存する選択肢しかありませんが、米軍基地の存在が生理的に受け付けないというならば、解決策は、米軍基地と強化しつつある自衛隊の駐屯地・基地を相互に共同使用にすることでしょう。

 

 そうなれば、沖縄の抑止力が“最強”になることはまちがいないと考えます。次回は、「米朝合意見送り」に触れてみましょう。

 

日本と清の「戦力」比較

 

さて、「日清戦争」の経過を振り返る前に、日清両軍の戦力を比較してみます。このような話題になると、俄然血が騒ぐ≠フは元自衛官としての性でしょうか。

 

日本陸軍は、総員約7万人からなる7コ師団でしたが、1893(明治26)年に改正された“戦時編制”によれば、動員兵力は約15万人、後備軍を加えれば約27万人でした。歩兵は当時最新式の村田銃を保有し、なかでも近衛および第4師団は村田連発銃を装備していました。野戦砲兵部隊は、口径7.5oの青銅砲で射程約5000メートルの野砲と約3000メートルの山砲を保有していました。徴兵制の発布から20年足らずでこのような近代軍に成長させたのはまさに奇跡ともいうべき偉業でした。

 

これに対して、清朝250年の歴史を背負っていた清国陸軍は、複雑で古色蒼然としていました。兵制も満蒙漢人の子孫からなる「八旗」(約29万人)、清朝平定後に創設され、漢人で組織された「緑営」(約54万人)をはじめ「郷勇」「練軍」などに別れ、総勢は約95万人でした。数だけ比較すると日本の約3倍ありましたが、兵器は旧装備で多種雑多、総じて日本軍より劣っていました。

 

海軍は、開戦前、日本が軍艦28隻・約57万トン、水雷24隻・約1400トンの計約59万トンだったのに比し、清は「北洋」「南洋」「福建」「広東」の4師水からなる総数82隻、水雷25隻の計約85万トンと数・質ともに日本より優れていました。なかでも主力艦「定遠」「鎮遠」は鋼鉄艦で、日本の主力艦「松島」級より強大でした。

 

日本に幸いしたのは、清の軍隊で実際の戦争に参加したのは、陸軍は直隷省(現在の河北省あたり)、海軍は北洋師水と広東師水の一部に留まったことです。「眠れる獅子」は一枚岩でなく、国を挙げての戦争という概念はなかったようで、その上、兵士の練度や士気(戦う意欲)もけっして高くありませんでした。それらを知る李鴻章は日本との戦争に反対したとの記録が残っていますが、政府の方針を“我が事”と受け止めた新進気鋭の日本軍に比し、相対的に劣っていたようです。

 

これらの情報は、今でこそつまびらかになっていますが、当然ながら開戦時は不明でした。敵は「眠れる獅子」として世界の最強国・清でしたし、開国以来外国と戦争したことがない当時の日本にとって自分たちの“強さ”も不明でしたので、孫子の有名な「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と全く逆、国を挙げて“国家存亡の危機”と映ったことは容易に想像できます。

 

しかし、それよりも「戦争しなければ朝鮮半島が清朝になってしまい、やがてロシアが進出し、日本も危なくなる」との危機感の方がはるかに強かったのでした。

 

開戦とイギリスの日本傾斜

 

開戦に至る手続き(プロセス)は、のちの大東亜戦争などと違い、完璧でした。日本は、清と共同して内乱を鎮圧した後、朝鮮の内政改革を推進しようと申し込んだのですが、清はこれを拒否します。英国・米国・ロシア3国も調停の労をとりましたが、清は「日本の撤兵後でなければ協議に応じない」との態度を固辞したため、いずれも失敗に終わりました。

 

1894(明治27)年7月12日、日本は、“戦争も辞さない”決意を表明し、19日には「最後通牒」を清に手交しました。そして同年8月1日、両国とも宣戦を布告して戦争状態に入りました。

 

「最後通牒」手交後の7月25日、朝鮮半島の豊島沖(ソウルの南西海域)で日本の連合艦隊隷下の第1遊撃隊は、輸送艦を含む清国艦隊と遭遇し、これらを撃破し、緒戦を飾りました(「豊島沖の海戦」)。

 

この海戦で、日本の「浪速」(艦長は東郷平八郎)が約1100人の清国陸兵を輸送していた英国籍の輸送船「高陞号(こうしょうごう)」を撃沈してしまいました。危うく国際紛争に発展する懸念がありましたが、外務大臣陸奥宗光、海軍大臣西郷従道、東郷艦長らの適切な措置と決然たる態度で臨んだ結果、最終的に、撃沈は国際法上正当と判断され事なきを得ました。

 

「日露戦争」の勝利の陰に「日英同盟」があったことはあまりに有名ですが、「豊島沖の海戦」の背後にあったイギリスと日本・清両国との関係もなかなか興味深いものがあります。

 

1886(明治19)年、「ノルマント号事件」(和歌山県の紀州沖で座礁したイギリス貨物船ノルマント号の船長が白人の乗客や船員だけを脱出させ、日本人乗客25人全員が死亡した事件)が起こり、大問題となりましたが、当時、不平等条約により“治外法権”を認めていた日本は裁判を行なう権利がなく、イギリス人やドイツ人の船員25人は全員無罪になりました。

 

この事件を受けて条約改正の交渉が始まったのは、「日清戦争」開戦前の1894年4月でした。そして宣戦布告(8月1日)直前の7月16日に「日英通商航海条約」が調印され、“治外法権”が撤廃され、関税が引き上げられたのです(関税自主権回復は「日露戦争」後の1911年になります)。

 

しかし調印当時、イギリスは日本か清国か、どちらを支持するか揺れ動いていました。日本には、朝鮮半島における日本の軍事行動を抑制するよう釘を刺す一方で、清国陸兵の輸送にも加担していたのです。

 

そのイギリスのアジア戦略が日本に傾斜したのは、陸戦の緒戦となった、京城(ソウル)南方の「牙山・成歓(きばやま・せいかん)の戦闘」(7月27日〜30日)において日本軍が清軍を圧倒した後でした。それが、「高陞号」撃沈の最終判決(8月17日)に影響することになり、のちの「日英同盟」に発展していくことになります。

 

当たり前ですが、“国家が強いことは信頼の源”なのです。ちなみに、のちに東郷元帥は山本権兵衛海軍大臣によって「東郷は運の強い男だから」と連合艦隊司令官に推薦されますが、このような事例をもって“運の強い”と言わせたものと考えます。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(平成31年(2019年)3月14日配信)



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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