“アジアを変えた”「日清戦争」

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はじめに

 

 お陰様にて、本メルマガも今回で30回を数えます。やっと「明治」の半ばですから、まだまだ“旅”は続きます。これまで何度も話していますが、歴史を“点”(時代時代のトピックス)や縦の“線”(日本史としてのつながり)だけでなく、“面”(日本史と世界史の“横串”)で見ると“違った歴史”が見えてくることを本メルマガは実証できているのではないかと自負しております。

 

実は、“横串”を入れて歴史を振り返ることがますます重要になるのは、今回取り上げる「三国干渉」以降でないかと考えています。我が国が「日清戦争」に勝利することによって欧米諸国の“抵抗勢力”として認知されてきたからです。我が国からすれば、“欧米列国や周辺国との関わり合い”こそが「国の舵取り」の主要テーマになり、この後、つまり明治後期、大正、昭和と、欧米列国や周辺国との葛藤の中で、我が国の為政者たちの“手腕”が試されることになったのです。

 

本メルマガのように、“後出しジャンケン”、つまり後々の歴史がわかる立場で振り返るのは簡単なのですが、時代時代の為政者たちが、突き付けられた情勢や環境をいかに分析し、判断し、舵取りしたかについて特段の関心を持ちつつ、引き続き「我が国の歴史」を振り返ってみようと思っております。

 

「三国干渉」の背景と影響

 

さて前回に続き、「日清戦争」の“戦後”を振り返ってみましょう。開戦当初、日本か清か、どちらに加担するか様子見していたイギリス同様、ロシア、フランス、ドイツなどの列国も、日本に戦争させ、自分たちは“高みの見物”を決め込んでいました。そして、日本が勝ち、「下関条約」が成立する(1895〔明治28〕年4月17日)と、列国は我先とばかり清国の“利権”に群がったのです。清国内にも「以夷制夷」(外国を使って外国を制す)との伝統的思想によって、講和条約を無効にするためには欧州列国にいかなる報酬を払ってもいいとの意見が広まりました。

 

このような背景から、「下関条約」調印からわずか6日後の4月23日、ロシア、ドイツ、フランス3カ国の駐日公使が外務省を訪れ、「遼東半島の日本の領有は、北京に対する脅威となるばかりでなく、朝鮮の独立を有名無実にし、極東平和の障害となる」と遼東半島の放棄を迫ったのです。これが有名な「三国干渉」です。

 

これを主導したロシアは、日本の遼東半島放棄勧告をイギリス、ドイツ、フランスに提案しました。ドイツとフランスは即、同意しましたが、戦争開始当初は列国と協力して開戦回避の調停や早期講和をめざしていたイギリスは、日本との対立を好まず、かつ講和条約によって自国の通商関係の特権の拡大を知ってこれを拒否します。

 

背景に、イギリスとロシアの間でユーラシア大陸の勢力圏をめぐる抗争(「グレート・ゲーム」と呼ばれました)があったのですが、イギリスの離脱はロシアに大きなショックを与えました。ロシアの中にも「日本に対する敵対行動が日本という強力な敵を作り出し、日本をイギリス側に追いやる」と干渉反対の意見もあったようですが、「武力行使も想定した干渉を行ない、日本の南満洲進出を阻止すべき」との意見が多数を占めました。反対派が懸念したように、この「三国干渉」はのちの「日露戦争」の一要因となります。

 

日本は、「三国干渉」撤回に向けてさまざまな対応を試みますが、いずれも効果がなく、清と再交渉の結果、遼東半島還付報奨金3000万両(約4500万円)を得て半島から撤兵しました。「三国干渉」の要求を拒否すれば、この3カ国と一戦を交えることになり、勝ち目のなかった日本は、「臥薪嘗胆」を“合い言葉”に堪(た)えるしかなかったのです。

 

ちなみに、「臥薪嘗胆」という言葉は、当初、哲学者・国粋主義者として有名な三宅雪嶺(せつれい)が「嘗胆臥薪」と題して「三国干渉を受け入れた伊藤内閣の外交政策を批判する」ために使用しまた。三宅にはロシアに対する敵愾心を煽る意図はなかったといわれますが、やがて「臥薪嘗胆」となって対露敵愾心と軍備拡大を煽る流行語に転じていくことになりました。

 

「台湾平定」と「日清戦争」総括

 

「三国干渉」の結果、我が国が「下関条約」で獲得した領土は台湾と澎湖諸島だけになりました。当時、台湾は約5万人の軍隊を有して日本への帰属を反対、1895年5月25日には共和政府を建て独立を宣言しました。

 

これに対して、初代の台湾総督に任命された樺山資紀(かばやますけのり)海軍大将は、5月29日、近衛師団とともに台湾を上陸して北部を平定し、6月22日には、台北に台湾総督府を開庁しました。しかし、依然として台湾南部は帰服しませんでしたので、第2師団を台湾南部に上陸させて征伐し、10月末頃、全島をほぼ平定、翌年3月には掃討を完全に終了しました。

 

「豊島(ほうとう)沖海戦」に始まった「日清戦争」は、約1年8か月間、断続的に戦闘が続き、台湾平定をもって終了しました。戦争の人的損失は、戦死・戦病死1417人、病死1万1894人、変死177人の計1万3488人を数え、戦死の8倍強に及んだ病死の大半は、当時、原因が不明だった脚気や不衛生な水と食料による赤痢、マラリアなどによるもので、その過半は台湾での病死でした。

 

「日清戦争」の臨時軍事費は、陸軍が1億6452万円、海軍が3596万円の合計2億48万円(当時の一般会計歳出の約2倍に相当)で、政府は「内国公債」を発行して充当しました。日本は、清から軍事賠償金3億1100万円と遼東半島変換報奨金4500万円の合計3億5600万円を受け取りました。つまり、かかった戦費より1億5552万円ほど儲かった戦争となったのです。この巨額な賠償金は、ロシアを仮想敵として、陸軍は7コ師団から13コ師団へ、海軍は甲鉄戦艦6隻、一等巡洋艦6隻を中心とする世界水準の艦隊建設の軍備拡張のために約8割が費やされました。

 

「日清戦争はアジアを変えた戦争」だったといわれますが、日本の隆盛とは逆に清国は敗北を契機に衰退し、列強は「三国干渉」の代償として、先を争って中国を侵略したのです。ロシアは、1896年、東清鉄道敷設兼権を獲得し、「三国干渉」からわずか3年後の98年には、遼東半島の旅順・大連を租借し、南満洲鉄道敷設権を獲得しました。同年、ドイツは膠州湾を、翌年、フランスは広州湾を租借しました。また、漁夫の利を得たように、イギリスは香港を根拠として華南・華中に勢力を拡大し、98年、九龍半島と威海衛を租借したのです。 

 

国内的にも、1899年、山東州で発生した「義和団の乱」を契機に清国滅亡に向けたカウントダウンが始まりました。次回、取り上げましょう。 

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(平成31年(2019年)3月28日配信)



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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