「日露戦争」の経過と結果(その2)

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はじめに

 

 大型テレビという“文明”の発達によって、我が家の茶の間(今やリビングというべきか)おいて、リアルタイム、しかも“解説付き”の鮮明な映像で、天皇陛下の退位や即位の行事を観ることができるということに改めて感動とある種の感慨を覚えながら、一連の行事を拝見させていただきました。

 

本メルマガ風に分析すれば、国家の一大理想を表徴するといわれる「元号」が変わるのは、“天皇崩御”や主に後継を明確化して争いを封じる目的で行なわれた“譲位”(過去に57回あります)の時、さらに明治以前は、天変地異や人災など国家に“異変”があってそれをリセットするため(1年未満で改元されたこともあります)だった時と考えますと、今回、つまり248回目の“お祝いムード一色”の改元は、歴史上極めて珍しいことと考えます。

 

国民の一人として素直にお祝い申し上げ、「令和」時代の我が国の“安寧といやさか”を切にお祈り申し上げます。そして“そのためにどうすればいいか”について考える上で、前回申し上げたとおり、「温故知新」、引き続き「我が国の歴史」を学んで行きたいと思います。

 

「旅順要塞の攻略」の真実

 

さて今回は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』で有名になった「旅順攻略」や「奉天会戦」を少し詳しく振り返ってみましょう。旅順攻略については、陸軍は遼東半島を北上する背後にロシア軍戦力を残置するのを危険と判断して攻略しようとしましたが、海軍は、当初、陸軍の援助なしの独力で旅順艦隊を無力化しようと固執し続けました。しかし、それが失敗し、バルチック艦隊の極東回航がほぼ確定するや、拒み続けてきた陸軍の旅順参戦を認めざるを得なくなったというのが真相のようです。この辺にも陸軍と海軍の確執があったものと推測します。

 

1904(明治37)年7月12日、ようやく海軍から陸軍に旅順艦隊を追い出すか壊滅させるよう正式に要請が入りました。しかも「バルチック艦隊が10月頃に極東に到着する」と、見積りを誤った海軍が陸軍を急かしたのでした。

 

乃木大将を司令官とする第三軍は、結果として、旅順要塞に対して第1次から第3次と3回にわたり総攻撃を実施しています。まず第1次攻撃は、8月19日、海軍が急かしたこともあって、兵力不足、準備不足、敵の状況不明のまま、旅順の東北に位置する永久堡塁群を強襲したところ、大きな損害を出して失敗に終わりました。日清戦争時、「東洋一の要塞」といわれた旅順をわずか1日で落とした経験が逆に仇(あだ)となったものと考えます。

 

第1次攻撃の失敗にかんがみ、第三軍は、正攻法で攻撃することを決し、内地から28センチ砲を運搬し、攻撃準備に着手。10月26日、再度、総攻撃を実施しましたが、再び失敗します。「いかなる大敵が来ても3年は持ちこたえる」とロシア軍が豪語した旅順要塞は、ベトンで塗り固められ、それらを塹壕(ざんごう)で結ぶ最新式の大要塞だったのですが、この情報を察知していなかったようです。ロシア軍は、50年前のクリミア戦争で要塞戦の経験があったのですが、そのようなロシアの戦史についてだれも研究していませんでした。その上、“肉弾”に頼ったのは、砲弾の補給が追いつかなかったという事情もあったようです。

 

10月半ば、「バルチック艦隊がバルト沿岸を出港した」との報が届くや、海軍はマスコミを使って国民の恐怖心をあおり、乃木批判を巻き起こしました。こうして、11月26日から再び旅順東北部を目標に第3次攻撃が敢行しましたが、またもや頓挫、ここに来てようやく海軍が要求した203高地に攻撃目標を変換、12月5日、ついに203高地の奪取に成功しました。それでもロシア軍は抵抗を続けましたが、翌年の1月1日に降伏し、旅順要塞の攻防に決着がつきました。

 

乃木大将は愚将だったのか?

 

乃木大将の名誉のために付け加えれば、「乃木愚将論」を指摘する司馬遼太郎の小説にはいくつか史実と違う箇所があります。それを解明するのが本メルマガの目的ではないのですが、海軍が要求した203高地攻撃を拒否し、旅順東北部の永久土塁群にこだわったのは乃木大将ではなく満洲軍総司令部だったこと、そして総参謀長児玉大将が28センチ砲の投入を決断したことや作戦の途中で乃木大将に代わって指揮を執ったというくだりにも疑問を持ちます。児玉大将が視察のために旅順入りしたのは第3次攻撃半ばの12月1日だったとの記録がありますし、乃木大将名義の「203高地西南部への突撃命令」(陥落前日の12月4日付)も現存しています。

 

また小説では、203高地に観測所を設けて28センチ砲で湾内の艦隊を壊滅させたようになっていますが、実際には8月以来の海軍重砲隊による攻撃などで艦船の上部構造部は破壊され、戦闘能力の大半をすでに喪失していたようです。 

 

“歴史小説とはそのようなもの”かも知れませんが、後世とはいえ、“愚将”の烙印を押された方はたまったものでありません。陸軍と海軍の確執を背負い、膨大な犠牲が出しながらも、第三軍の士気が少しも衰えなかったのは、ひとえに乃木大将の“統率力”の賜物であります。さもなければ明治天皇からあれほどの信頼を得ることはできなかったはずです。

 

失礼を承知で申し上げれば、司馬氏は“プロの歴史小説家”ではありましたが、実戦経験がない陸軍少尉で終戦を迎えたことから、大部隊の作戦、さらに指揮官の指揮や統率の“本質”を見抜く知見があったかどうか、個人的には疑問を持っています。

 

「奉天会戦」、そして終戦へ

 

1905(明治38)年に入り、旅順が陥落するなど劣勢にあったロシア軍は、奉天付近に32万人の兵力を集結させました。敵将クロパトキンは、解氷期以前に日本軍に痛打を与えようと、2月21日、攻撃前進を命じ、「退却する者は、日本軍の弾丸に倒れず、退却を罰する剣の錆(さび)となろう」と将兵を叱咤しました。しかし、日本軍の先制攻撃によって初動でくだけ、3日後の24日、早くも攻勢を断念し、奉天市を背にするような態勢で防勢一方に陥ってしまいました。

 

それに対して、日本軍の総勢は、どうにか旅順攻略を終えて参戦できた第三軍を合わせても当時の動員力の限界と言われた約25万人。「今度こそ、日露戦の関ヶ原」と決戦を決め、作戦を練りました。攻撃の火蓋は、最右翼(最東側)、つまりロシア軍左翼後方に新たに編成された鴨緑江軍(司令官川村大将)に切って落とさせ、それに連携して第1軍、第4軍、第2軍、最後に第3軍を左翼から機動させて大胆な包囲網を構成して、ロシア軍を包囲殲滅しようというものでした。

 

陸上自衛隊の幹部自衛官は、戦術教育で「攻撃は少なくとも防御の3倍の戦力が必要」と学びます。防御側は地形や時間を利用できる分、戦力的に優位になるからです。その常識からすると、(前回解説した「鴨緑江の会戦」や「遼陽会戦」もそうでしたが)我より優る兵力(約1.3倍)で防御する敵に対してこのような大胆な包囲攻撃を敢行することは何とも不思議でなりません。

 

しかし実際には、2月21日に鴨緑江軍が行動開始して以来、日本軍はほぼ計画どおりに攻撃し、ロシア軍は至る所で陣地が破綻、3月8日に総退陣し、ついに3月10日、両軍合計57万人に及ぶ史上最大の大会戦となった「奉天会戦」は日本側の圧勝で決着して、各国は驚愕し国内は歓喜しました。 

 

すでに紹介しましたように、遠くハルピン付近まで後退して日本軍を撃破しよう計画していたクロパトキンの退却決心は計画どおりだったのかも知れません。しかし、本会戦後に解職されてしまい、実質的に陸戦は「奉天会戦」をもって終了しました。

 

なお、日露戦争直後、「奉天会戦」に勝利した3月10日は「陸軍記念日」として、「日本海海戦」に勝利した5月27日の「海軍記念日」と並び、国民の休日となりましたが、終戦をもって廃止されました。「日本海海戦」については次回取り上げましょう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

お知らせ

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)5月9日配信)



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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