「日露戦争」の経過と結果(その3)

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はじめに

 

冒頭から少し話が逸れますが、陸上自衛隊の幹部教育には「戦史」という課目はありますが、戦争に至る情勢や外交、戦後処理などについて体系立てて幅広く学ぶ「外交史」や「戦争(指導)史」のような課目はありません。当然ながら、一般的な「日本史」や「世界史」についても(すでに習得しているものとして)学ぶことはありません。

 

その理由を考えてみました。自衛隊の草創期には旧軍の諸先輩がたくさんおられました。しかし、国の命運を左右するような地位や立場におられた方々は“公職追放”されていたか、“黙して語らず”の方々が多く、加えて、貴重な資料も焼却されたか没収されたことなどもあって、自衛官は、戦前の「我が国の歴史」、特に“大東亜戦争に至った政軍両面の経緯”などの細部を学ばないまま時が経ってしまいました。特に陸上自衛隊は、旧軍の歴史や伝統に反発して“新たな武力集団を創造する”との強い志をもって建軍したことから、“未来志向”が強い分、“過去”を振り返らなかったものと思われます。

 

これらの背景もあって、多くの自衛官は、「歴史」に特段の関心を持たず、自衛隊には、一般の日本人同様、「自国の歴史を知らないことは恥」との文化が育たなかったものと考えます。

 

かくいう私自身も、本メルマガの冒頭(1回目)で紹介しましたように、自衛官人生の後半になって初めて“歴史を学ぶ必要性”を痛感し、自学研鑽しているうちに認識を新たにしている“史実”が少なくありません。そして同時に、「幹部自衛官、特に上級幹部に『戦史』を切り出して教えるだけで十分なのだろうか」との疑問を持つようになり、浅学非才の恥を承知の上で、彼らが「歴史」に関心を持つきっかけにでもなれば、との想いも手伝って本メルマガの執筆となりました。

 

有名な『孫子』は、「兵は国の大事、死生の地、存亡の道」から始まりますが、兵、つまり戦争は国家の命運を左右します。戦前の我が国がどのような情勢下に置かれたか、政治と軍事の関係を含め、リーダーたちがどのような覚悟と決意で「国の大事」を選択したか、戦争を回避できなかった要因はどこにあるのか、あるいは戦後処理はいかになされたか、などについて“軍事の専門家”としても正しく「歴史を学ぶ」必要があると改めて強く感じています。

 

約1時間で決着した「日本海海戦」

 

先を急ぎましょう。まず前回取り上げました乃木大将について少し補足しておきます。戦争終了後、明治天皇に「将兵の多数を死傷させた罪を償いたい」と申し出たところ、天皇から「今は死ぬべき時ではない。どうしても死ぬというなら朕が世を去ったあとにせよ」と言われ、のちの昭和天皇の養育を託されました。そして実際に、明治天皇が崩御された後、奥様とともに自刃されたのでした。

 

乃木坂に乃木神社とその片隅に自刃された乃木邸が残っています。原宿にある東郷神社と比較すると神社も乃木邸もその質素さが際立ちます。訪問するたびに、その質素さこそが乃木大将の生き様であり、明治の軍人の気質であると胸をうたれ、頭が下がるばかりなのです。

 

さて「日本海海戦」です。ロシアは、バルチック艦隊をもって太平洋第2艦隊を編成(司令官ロジェストウエンスキー中将)し、まさに旅順要塞の攻防が佳境に入った1904(明治37)年10月15日、リバウ港(現在のラトビア沿岸部)を出港させました。途中、同盟国フランスの植民地に立ち寄って補給するはずでしたが、イギリスの圧力によって寄港できないままの航海となりました。

 

ロシアは、旅順艦隊(第1艦隊と改称)が全滅したことを知って、急きょ第3艦隊の増派を決定。翌年2月15日、第3艦隊はリバウ港を出港し、スエズ運河経由で航海して、4月14日、先行した喜望峰回りの第2艦隊とバン・フォン湾(現ベトナム)で合流しました。

 

またロシアは、当時保有していた黒海艦隊の出動も検討しましたが、「パリ条約」(1856年制定、71年改正)によってボスボラス海峡とダーダネルス海峡が通航禁止されていたのに加え、これもイギリスの圧力もあって断念したのでした。

 

5月14日、新式戦艦5隻を含む50隻のロシア艦隊は、バン・フォン湾を出航して朝鮮海峡に進み、運命の5月27日を迎えることになります。連合艦隊とロシア艦隊の戦力はほぼ伯仲。遠戦火力はロシア、近戦火力は日本が有利とされていました。しかし「佚(いつ)を持って労を待つ」の諺のごとく、彼我の兵士そして艦船の“疲労”の差異は決定的だったのです。連合艦隊の「東郷ターン(T字戦法)」が船足が落ちていたロシア艦隊に有効だったなど、あまりに有名な海戦の詳細に触れる必要はないと考えますが、実質的な勝敗は、なんと当初の約1時間で決着し、かろうじてウラジオストクに逃げ込んだロシア艦隊は巡洋艦1、駆逐艦2のたった3隻のみでした。

 

「日本の強さは本物」が世界に拡散

 

総力戦・近代戦といわれた「日露戦争」による人的損耗は、「アジア歴史資料センター」の資料によれば(出典によって違いあります)、戦死・戦病者約8万5900人、戦傷者約14万3000人を数えました(日清戦争の約10倍に相当します)。戦病者のうち、脚気死亡者が約2万7800人を数え、批判があった旅順攻防の戦死者約1万5400人の2倍弱に及びました。約25万人の脚気患者(戦争参加者の約4分の1に相当)が発生したことも考え合わせますと、“日本軍を脅かしたのは、ロシア露軍よりも脚気だった”とも言えるでしょう。海軍も軍艦12隻、水雷艇など25隻、輸送船など54隻、総計91隻の艦船を損失したといわれ、「日本海海戦」で圧勝するなど勝敗は明白でしたが、我が国の損害は決して軽微なものではありませんでした。

 

これに対して、露軍も人的損失約11万5000人、捕虜約7万9500人、撃沈・捕虜艦船98隻など甚大な損失を被りました。両軍の損耗比較からみると、“ロシアが日本に惨敗した”とは言えないまでも、陸・海戦ともに“日本が快勝”したことは明白でした。

 

後世、「世界史を変えた日露戦争」と言われるように、日露戦争は、この時期、頻繁に起きていた植民地戦争とまったく違う“大国と大国の戦争”でした。塹壕戦と機関銃の組み合わせ、情報と宣伝の活用、制海権の確保に向けた陸軍と海軍の協力など、欧州諸国が第1次世界大戦で学ぶことになる戦争技術や戦場の実相が明瞭に、あるいは萌芽の形で現れていたのでした。

 

事実、ロシアは、日本を“植民地レベル”と侮ったため、厳しい試練を味わったのでしたが、前述しましたように、13カ国・70人以上の「観戦武官」が20世紀最初の近代化された正規軍同士の本戦争をつぶさに観戦していました。その結果、ロシアの弱さよりも、「日本の強さは本物」との認識が強調されて世界中に拡散していきました。それを最も敏感に感じて警戒し始めたのが、日露の講和条約を仲介した「米国」であったというのも“歴史の必然”と言うべきことなのでしょうか。

 

“政軍一致”した「国の舵取り」

 

その講和条約を振り返る前に、明治のリーダーたちの卓越した判断力・指導力についても触れておきましょう。日本は、ロシアとの開戦を決意するや、ルーズベルト大統領とハーバード大学の同窓であった金子堅太郎を特使として中立国・米国に送りました。“日本の実力”を知り、政治家の仕事として「いかに終わらせるか」を考えていた枢密院議長・伊藤博文が直接、金子に依頼したのでした。

 

戦争中、明石元二郎大佐が中立国スウェーデンを本拠としてヨーロッパ全土で反ロシア帝政活動を煽る様々な工作活動を実施したのはあまりに有名ですが、その工作資金100万円(今の貨幣価値で約400億円といわれます)は、山県有朋の英断により陸軍参謀本部から支給されていました。工作の成果については諸説ありますが、ロシアの継戦意志をくじいたことはまちがいなく、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世をして「明石大佐一人で、満洲の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている」と称賛されたのでした。

 

講和条約の早期実現は、「奉天会戦」直後、当時の戦争継続能力の限界を知っていた児玉大将がひそかに上京し、「もうこれ以上進撃する力はない。講和の潮時である」と山県総参謀長に進言した結果でした。

 

例示したら限りがありませんが、このように見事なまでに“政軍一致”した「国の舵取り」について、明治時代とは内外の環境が大幅に違ったとはいえ、昭和のリーダーたちはなぜ「歴史」から学ばなかったのか、何とも悔やまれます。“何が失敗だったか”については追々振り返ってみようと思いますが、今回の冒頭に書きましたように、将来、同じような“失敗”を繰り返さないためにも、“軍事のプロ”を含む我が国のリーダーたちこそ「歴史を正しく学ぶ」必要があると思うのです。

 

 

 

(以下次号)

 

 

お知らせ

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)5月16日配信)



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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