第1次世界大戦と日本

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はじめに

 

 最近、ホルムズ海峡をめぐって、“きな臭い動き”が活発化しています。前回取り上げた「サラエボ事件」が「第1次世界大戦」に発展したように、小さな事件がその対応を誤ると、熾烈な戦争に拡大する例は枚挙にいとまがないと歴史は教えてくれます。

 

 我が国へ運ばれる原油の8割はホルムズ海峡を通ってきますので、我が国としても決して他人事ですまされないのですが、独自の対応には限界があります。2千年来の宗教観や価値観の違いはぬぐえないとしても、最小限、相互に“異質なものを受け入れる度量”は保持しつつ、相手に責任を押しつけて無為な行動に走ることは“自制”して欲しいと願っております。

 

 6月22日現在では、トランプ大統領の“自制心”が働いたようですが、先行きが懸念されます。

 

 さて、日露戦争の勝利を支えた「日英同盟」によって、我が国も地球の反対側の出来事である「第1次世界大戦」に巻き込まれることになります。しかし、当時の為政者たちの決断は安直で自制心を欠いていなかったでしょうか。先人の行動を真似る傾向にある我が国の為政者たちの性癖を考えると、大陸政策の当初段階の“自制心の欠如”が「命取り」になったと思えてならないのです。

 

日本の参戦経緯―4日間で参戦決定―

 

第1次世界大戦の日本の参戦経緯を振り返るためには、どうしても当時の我が国の政権の実態を知る必要があると考えます。

 

1914(大正3)年4月、山本権兵衛内閣が総辞職するや、山県有朋は相変わらず政権への執着を見せ、前回取り上げたように清浦奎吾の組閣断念の“すったもんだ”のあげく、立憲同志会の大隈重信内閣が誕生します。山県と大隈は犬猿の仲だったようですが、陸軍の師団増強に反対する多数党の政友会第3代総裁・原敬の組閣を防止するとの思惑から大隈を推挙したといわれています。“毒をもって毒を制する”という山県の本領(執念)が見える組閣だったようです。

 

佐賀藩出身の大隈重信は、明治維新当初から政府のさまざまな要職で大活躍し、1898(明治31)年には、薩長藩閥以外からはじめて内閣総理大臣を拝命し、日本初の政党内閣を組閣しました。だが、アメリカのハワイ併合に強硬に反対したせいで、わずか4か月で総辞職しました。その後、政界を引退し、早稲田大学の総長に就任しますが、第1次護憲運動が起こるや政界に復帰し、76歳で2度目の内閣を組閣したのでした。

 

大隈は山県の期待に応えて、1914(大正3)年の総選挙で原敬率いる政友会を230名の絶対多数党から一気に108名にたたき落とし、2コ師団増設を実現しました。

 

そのようななか、第1次世界大戦が勃発し、同年8月4日、イギリスはドイツに宣戦布告しました。「日英同盟」には“自動参戦条項”がなく、同盟の適用範囲もインドを西端とするアジア地域に限定していたため、当初、イギリスは「日英同盟は適用されない」としていました。

 

その後、日本参戦をめぐるイギリスの態度は、日本の中国大陸の権益拡大や南太平洋におけるドイツ領占領に対するオーストラリアなどの懸念、そして中国や米国が「日本の参戦反対」をイギリスに伝えていたことなどが背景にあって、二転三転します。

 

日本は、当初「中立」を宣言していましたが、山県や井上馨ら元老が「我が国の世界的発展の好機であり、この機会に一大外交方針を樹立すべき」との要請書を伝達したこともあって、8月8日、ドイツに宣戦布告した上で、“参戦範囲を限定しない”との条件で参戦を正式に閣議決定しました。我が国は、イギリスの参戦から遅れることわずか4日、当初の「中立」を翻し、元老一致の賛同を得て、第1次世界大戦の参戦を決めたのでした。 

 

なお、この決定には、加藤高明外相が強く主張したとの解説はありますが、(調べる限りにおいては)陸海軍が積極的に関与したとの記録はありません。特に、シーメンス事件で失脚した山本権兵衛前首相や齋藤実前海相が辞職していた海軍は、この政治的決定に消極的だったようです。

 

イギリスは“戦域限定”を要求しましたが、日本側はこれを拒否し、大隈首相が「日本の領土的野心はない」と述べ、ようやくイギリスも参戦を了解しました。よく言われる「日英同盟に基づく英国の要請」にはこのような“駆け引き”があったのです。

 

青島要塞の攻略

 

日本政府は、1914(大正3)年8月15日、ドイツに最後通牒し、8月23日宣戦布告しました。

 

日本軍は、9月上旬、山東半島の青島や膠州湾を攻撃、約5千人の守備隊で要塞化されていた青島を占領し、さらに済南から膠州湾に至る山東鉄道を奪取しました。こうして約2か月にわたる攻防で、第1次世界大戦間、陸軍唯一の戦闘を終えます。青島攻略は、日露戦争時の旅順の教訓を活かし、要塞の詳細を解明するために飛行機を初めて使用するなどして模範的な攻撃を実施し、死傷者も300人弱に留まりました。

 

海軍は、ドイツ艦隊を追ってドイツ領の南洋諸島を占領しました。また、陸海軍とも国際法を遵守し、青島で捕獲したドイツ人捕虜(4700人)に対する丁寧な取扱いも話題になりました。これら一連の戦いは「日独戦争」と呼称されることもあります。

 

「対華二十一カ条要求」と米国の批判

 

青島攻略後の日本は、山東半島を戦時国際法上の軍事占領として軍政を施行し、駐留態勢に入りました。中国は日本軍の撤兵を要求しましたが、我が国は、欧州列国は中国を顧みるいとまがないことと中国内の内紛状態を好機とみて、1915(大正4)年1月18日、“悪名高い”「対華二十一カ条」を袁世凱に提出し、回答を迫りました。

 

その背景を少し振り返ってみましょう。「辛亥革命」(1911年)後、新政・中華民国としては中国南部の14省が独立を宣言したに過ぎず、清朝の実権は残したまま皇帝を廃止し、袁世凱が大総統に就任していました(孫文との間に密約があったといわれます)。袁は新憲法を発布して自ら皇帝につくことを宣言したのが、「二十一カ条の要求」と同じ年の1915(大正4)年でした。

 

当時、日本政府は、まだ中華民国政府と正式な外交条約を締結しておらず、日本と清国との間で結んだ諸条約の継承が明確でないままになっていました。なかでも、日本の大陸経営の根拠地となっている遼東半島の租借期限が25年、つまり1923年に切れることが外交上の懸案になっていたのです。

 

「二十一カ条要求」は、第1号が「山東省のドイツ権益の割譲」(全4カ条)、第2号が「関東州の租借期限や南満洲鉄道の権益期限の延長、南満洲や東部蒙古における日本の独占的地位の承認」(全7カ条)、第3号が「湖北・湖南両省にまたがる中国最大の鉄鋼コンビナートの合弁事業に関すること(全2カ条)、第4号が「中国沿岸の港湾や島嶼部を他国に譲渡または貸与しないこと」(1カ条)などから成り立っていました。

 

評判が悪かったのが、秘密条項とされた第5号の「懸案解決その他に関する件」に含まれていた@中央政府の政治、財政、軍事顧問に有力な日本人を就任させ、警察官に多数の日本人を採用することなどの“保護国扱い”、そしてA南満洲から中国の主要都市を結ぶ鉄道敷設権を日本に与えるとの“外国利権”に抵触することでした。

 

欧州列国はヨーロッパの戦局に忙殺されて(不満を表明しても)日本へ干渉できなかったのですが、袁世凱が秘密条項をリークして不成立させようとしたこともあって中国民衆の抗議運動が拡大する結果になりました。最終的には、第5号を外して袁世凱に受諾させ、公文書を交換します(5月9日)。袁世凱の帝政承認と引き換えとの意味合いもあったようですが、袁世凱は日本の横暴を非難するため、受諾日を「国恥記念日」と定めたのです。

 

また、日本のこのような勢力拡大を“目に余る行為”として批判したのは、まだ参戦していなかった米国でした。米国は、第1から第3号までは抗議する意図はなく、第4号と第5号については明確に反対、とりわけ、ウイルソン大統領の関心は第5号に集中していたといわれます。

 

日本政府は、前外相の石井菊次郎を渡米させ、ランシング国務長官と交渉させ、米国は日本の特殊権益を認める一方、中国に関する領土保全、門戸開放、機会均等の原則をうたった「石井・ランシング協定」(1917〔大正6〕年9月)が結ばれました。しかし、米国が認めた日本の特殊権益は経済的利益のみを指し、政治的利益を含むと解釈した我が国と大きく食い違っていたようです。

 

米国の批判の背景に、中国政府の要請に加え、日露戦争以来の日本に対する不信感、そして何よりも自国の“利権獲得”を目論んでいたことはまちがいなく、第1次世界大戦後のワシントン会議で、米国は日本の対華要求を放棄させることになります。

 

なお、秘密条項については、山県ら元老にも隠していたことがその疳にさわることになり、じご、“大隈落とし”に拍車がかかります。山県は、後継に推挙された加藤高明をさえぎり、軍の直系の寺内正毅(まさたけ)を後継内閣に押し立てます。

 

第1次世界大戦への参戦といい、「対華二十一カ条要求」といい、この時代の我が国の為政者の“自制心を欠いた”稚拙な決断が、日中関係を不可逆的な衝突路線に陥らせ、やがて満洲事変や支那事変につながるばかりか、アメリカをも本気にさせて大東亜戦争へ拡大する“導火線”になったと言わざるを得ないのです。

 

しかし、その時点ではまだ、その後の国際社会の歴史を大きく変えることになる、巨大な時限爆弾の“信管”がすでに作動していることをだれも知りませんでした。「ロシア革命」です。次回、振り返ってみましょう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

お知らせ

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)6月20日配信)



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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