「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」

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はじめに(参議議員選挙について)

 

 参議院選挙たけなわです。選挙の焦点は、消費税と年金のようですが、正直申し上げ、私は、各党首の議論やそれに迎合したマスコミの報道などを観ると腹が立ちます(「メルマガ軍事情報」の読者はどのような考えをお持ちか、ぜひ本音を聞いてみたいものです)。

 

言うまでもなく、我が国は民主主義国家であり、主権は国民にあります。他方で、国民が等しく“国を統治する能力”を持っているわけではありませんので、十分な統治能力と覚悟を有している“我らが代表”を選び、委託しなければなりません。

 

アメリカの大統領選挙のように、1年間以上もかけて選挙活動をすれば、幅広いテーマについて議論してその“良し悪し”を判断できるでしょうが、わずかに2週間ほどだとどうしても国民の関心事に焦点が行くのはやむを得ないとしても、本来、国家として将来のために手を打っておくべき政策について、「国民の関心がない」との理由で淡々と否定的意見を言う某党党首などに、政治家としての未熟さ、自覚の無さ、無責任さを感じてしまうのです。

 

「国民のレベル以上の政治家は生まれない」という言葉があります。国民の関心がある政策のみを、その実行の可能性を無視して“バラ色に粉飾”して国民に呼びかけ、票を得ようとする政党や候補者、それに賛同して投票する国民のレベルを端的に表現した言葉とも言えるでしょうが、当面の政策に埋没して肝心な政策を軽視すると、やがて損をするのは自分たちであることを自覚して投票するぐらいの“賢さ”を選ぶ側も保持しなければならないと思うのです。

 

「選挙こそ国民の最大の武器だ!」を訴えている書籍を本屋で見つけましたが、最大の武器を“賢く”活用していただくことを願って止みません。思慮が浅く、情にほだされたような国民の行動が為政者の決断を狂わせ、結果として失敗に至った事例は歴史上数限りありません。歴史の教訓として改めて学び、国民一人一人がレベルアップする必要があると考えます。

 

戦争終焉への道程

 

これまでと少し重複する部分がありますが、今回は、「第1次世界大戦」の終焉を振り返ってみようと思います。ロシアが革命によって東部戦線から離脱したことはすでに取り上げましたが、西部戦線では、フランスとドイツが互いに想像以上に強く抵抗して戦線が膠着します。こんな中、1916(大正5)年12月、ドイツは講和の意志を連合国側に提案、アメリカのウィルソン大統領が仲介に乗り出します。

 

しかし、英・仏はこれを拒否して、講和の道を絶たれたドイツは無制限の潜水艦作戦を展開し、アメリカの船舶まで犠牲になったことからアメリカの参戦に拡大します。ドイツは、ロシア離脱後、東部戦線の兵力を西部戦線に投入して全力で戦いますが、アメリカの圧倒的な物量の前に押しまくられる一方でした。その上、世界中に“スペイン風邪”が猛威を振るい、両軍の兵士たちの厭戦(えんせん)気分を高める結果となります。

 

このような状況下で、1918(大正7)年9月にブルガリア、10月にオスマントルコ、11月にはオーストリアがそれぞれ連合国側と単独休戦を行ないます。なおも戦争を継続しようとするドイツの軍部に対して、水兵の反乱が起こり、反乱は革命となって全国に拡大、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに逃亡して共和国が成立します(「ドイツ革命」)。

 

こうして、11月11日、ドイツの新共和国と連合国との間に休戦協定が成立しますが、ドイツ国民にとっては“確かに犠牲は多かったが、「敗戦」という意識は低かった”とも言われます。

 

「ヴェルサイユ条約」締結とその影響

 

1919(大正8)年1月18日からパリで戦勝国の講和会議が開かれましたが、さかのぼること1年前の1月、アメリカ議会でウィルソン大統領は有名な「14カ条平和原則」を提唱しました。その内容は、「海洋の自由」「民族自決」「関税障壁の撤廃」「軍備縮小」「植民地の公正な処置」「国際平和機構の設立」などに及び、大統領は、この理想主義的な平和原則を講和会議の基調として議事運営を取り仕切るつもりだったといわれます。

 

しかし、フランスはドイツを徹底的に痛めつけ、二度と立ち上がらせないこと、イギリスは戦前の大英帝国の地位を復元することを優先してこれに待ったをかけます。こうして、講和会議は、英仏の“既得権擁護”が主目的となり、戦争責任をドイツに押しつける形で進行し、同年6月に「ヴェルサイユ条約」としてまとめられ、ドイツに調印を強要します。

 

特に、大幅な軍事制限と植民地の剥奪に加え、1320億金マルク(国民1人あたり約1千万円に相当)という巨額の賠償金を課したのです。その賠償金の約半分はフランスの取り分だったといわれています。

 

 第1次世界大戦では、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、さらにロシア帝国が消滅しました。ハンガリー、ポーランドなど各帝国内の各民族の独立は認められましたが、ドイツ民族の独立や併合は認められず、「民族自決」は否定されたままでした。

 

 他方、パリ会議が開催されていた1919年1月、ドイツ労働党が結成され、9月にはアドルフ・ヒトラーが入党します。翌20年、「国家社会主義労働党」(略称「ナチス」)と改称し、講和条約の破棄と国粋主義的要求などを盛り込んだ「25ケ条綱領」を発表します。早くも第2次世界大戦の伏線が張られたのでした。

 

なお、「民族自決」といってもアジアやアフリカ諸国の独立については全く取り上げられず、これを不満とする中国は調印を拒否しました。

 

パリ講和会議と我が国

 

パリ講和会議に戦勝国の一員として出席した我が国についてもまとめておきましょう。我が国は西園寺公望、牧野伸顕らが全権として、また随行者として“その後の日本の舵取りや外交を担う”ことになる近衛文麿、吉田茂、松岡洋右ら総勢60人が出席しました。

 

我が国が提案し、そして否決されることになる、有名な「人種的差別撤廃提案」については、政府内でいつ誰が最初に言い出したのかは明らかでないのですが、背景に米国やカナダなどの日系移民排斥問題があり、その解決のきっかけにしようと“人種的偏見の除去が国際連盟参加の条件”が日本全権の正式な方針となっていました。

 

全権団はパリに到着するや、各国と交渉を開始しました。当初は米国ウィルソン大統領も了解したといわれますが、白豪主義体制を国是としていたオーストラリア、そしてカナダなどが猛反発、それを受けてイギリスも否定的な反応を示しました。

 

講和会議において日本代表は、自国の利害が絡む山東問題や南洋諸島問題以外、ほとんど発言せず「サイレント・パートナー」と揶揄されたようです。その山東州のドイツの権益については、(事前の密約もあって)英・仏の賛成により日本が引き継ぐことになりますが、アメリカは反対し、結果として中国全土の“排日運動”につながっていきます。また、朝鮮半島でも1919年3月、「万歳事件」(3・1独立運動)が発生し、これを契機として、朝鮮民族の独立運動が年を追って活発化することになります。

 

日本代表は、国際連盟設立の問題についても消極的な態度に終始し、各国の失望を買いました。このような状況を打開するため、つまり、成否はともかくも「人種的差別撤廃の主張を鮮明にすることは将来のために極めて緊要」との判断から、いわば“捨て身”の提案をすることになります。

 

そして、国際連盟委員会において、牧野は連盟規約21条の「宗教に関する規定」について、「人種・宗教の怨恨が戦争の原因になっている」として「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を受けないことを約す」旨の条文を追加するよう提案します。本提案により会議が紛糾し、結局「宗教に関する規定」そのものが削除されてしまいますが、本提案は海外でも大きく報道され、さまざまな反響を呼ぶことになります。

 

米国においても「人種的差別撤廃法案は内政干渉であり、本法案が採決された場合は、米国は国際連盟に参加しない」との上院決議が行なわれ、一時帰国したウィルソン大統領を窮地に追い込みます。

 

これらを受けて、牧野は、国際連盟規約前文に「国家平等の原則と国民の公平な処遇を約す」との文言を盛り込むという修正案を提案します。ウィルソンは提案そのものを取り下げるよう要求しますが、牧野は採決を要求し、議長ウィルソンを除く出席者16名中、フランス、イタリア、ギリシャ、中華民国など11名が賛成、イギリス、アメリカ、ポーランド、ブラジルなど5名が反対しました。

 

しかし、ウィルソンは「全会一致でないために提案は不成立である」と宣言します。牧野は“多数決の有効性”を主張しますが、「本件のような重大な問題は全会一致が原則」としてこれを否定します。牧野は最後に「議事録に記載すること」を要求して了解しました。

 

この結果に、米国の黒人が自国政府の措置に怒り、全米で数万の負傷者を出すほどの暴動に発展しました。我が国においても、反米感情が高まり、世論は国際連盟不参加でしたが、原首相は、世論を押さえて参加の調印に踏み切ります。国際連盟の提唱者であったウィルソン大統領は米国の不参加を恐れ、人種的差別撤廃を強引に否決しますが、結局、議会の反対があって国際連盟への参加を断念することになります。

 

人種差別については、第2次世界大戦後の1948(昭和23)年、「世界人権宣言」として採択され撤廃されます。“我が国の主張が正しかった”と認められるまで、さらに約30年もの歳月と多大な犠牲を要しました。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)7月18日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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