“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」

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はじめに

 

 今回の話題は「ワシントン会議」ですが、会議がまさにその後の歴史を変えた、つまり“歴史的岐路”となったことを強調して上記のような表題にしてみました。しかし、後々に歴史を振り返ってみて初めて“歴史的岐路”だったことがわかるわけで、本会議に参加した全権代表や当時の為政者たちは、“その後の歴史がどう動くか”について暗中模索の中で難しい判断を強いられたのだと思います。

 

 さて自衛隊の各指揮官は、任務遂行のための「状況判断」が必要とされ、その判断に基づいて「計画」や「命令」を具体化して各種任務を遂行します。そのため、指揮官として、直面している“あらゆる状況”を的確に分析し、正しい決心(決断)ができる能力を向上するため常に鍛錬します。

 

幹部自衛官はまた、指揮官を補佐する幕僚(スタッフ)としての効果的な補佐要領について幾度となく教育・訓練を受けます。各指揮官には“個性”がありますので、決心も“個性”に左右される場合がありますが、幕僚は、個性を廃して“(軍事的)合理性を最大限に追求”した結論(判断)を導き、指揮官と相対(あいたい)します。

 

 政治や外交も正しい決心を導くプロセスは同じと思うのですが、戦前の我が国の政治や外交を振り返る時、このような“手順”をしっかり踏まず、いわゆる“指揮官の個性”が優先されたような結論で対処したと考えられる「事象」にしばしば出くわします。

 

 前回の「パリ会議」同様、「ワシントン会議」においても、“経験豊富な欧米列国”との差異なのかも知れませんが、結果としてその“未熟さ”が仇(あだ)となって、我が国にとっての“歴史的岐路”となってしまったものと考えます。それらを少し詳しく振り返ってみましょう。

 

「日英同盟」の破棄

 

ハーディング大統領は、大統領に就任するや早速、パリ会議で議題にならなかった太平洋・極東問題、そして軍縮交渉のための「ワシントン会議」を日・英・仏・伊・中の5か国に呼びかけました。「国際連盟」未加入の米国が、国際社会の“実質的な舵取り”を始めたのでした。

 

大統領は、中国における日本や欧州列国の既得権を排して「機会均等」を得ようとする思惑から、“軍縮”を求める国際世論の後押しを利用したといわれますが、特に、第1次世界大戦に勝利したとは言え、経済の痛手から窮乏のドン底にあえいでいたイギリスが強く働きかけたようです。

 

イギリスは、7つの海を支配した海軍の“世界一”の座をアメリカに奪われることを覚悟しつつ、「大規模な軍備を行なうことは、必ずやあらゆる国々を貧困と破局へ導くことになろう」(ロイド・ジョージ首相)と大戦後の平和待望論を利用して軍縮機運を盛り上げたのでした。

 

我が国は立憲政友会の原敬内閣時代であり、海軍念願の「八八艦隊」の建設予算が認められた直後でありましたが、大戦後の不況が我が国も直撃して株や商品の相場が大暴落したこともあって“渡りに船”とばかり会議参加を回答、全権主席の加藤友三郎海軍大臣ほか、駐米大使の幣原喜重郎や貴族院議長の徳川家達らを全権大使として派遣しました。

 

そのイギリスがアメリカを動かした“最後の切り札”こそが、間もなく満期を迎える「日英同盟」だったのです。「日英同盟」は、1902(明治35)年に結ばれて以来、日本外交の基軸となり、日露戦争の勝利も第1次世界大戦の連合国側参戦もその恩恵を受けた結果でした。前に、“「日英同盟」が破棄に至った責任は日本にもある”と解説しましたが、破棄の要因は次の4つに集約されるといわれます。

 

第1に、「連盟規約」第20条「本規約の条項と両立せざる連盟加盟国相互間の義務や了解が各自国の関する限り総て本条約により廃棄せられるべきもの」とする規約への抵触です。この結果、「日英同盟」は、両国にとって政治問題化していたのでした。

 

第2に、アメリカが覇権を獲得するため、対日警戒感の延長として、目ざわりだった「日英同盟」の破棄を狙っていたことです。イギリスに(破棄に向けて)圧力をかけたともいわれます。

 

第3に、(前に取り上げましたように)イギリス内部の「日英同盟」更新への反対論です。背景に、日本が中国に勢力を伸ばし、日英の利害対立が生じる可能性があったことと、アメリカに莫大な借款を負っているなど米英関係の重要性が増してきたことがありました。

 

しかしてその実情は、大英帝国内では、豪州・ニュージーランドは同盟存続、カナダは同盟継続反対、南アフリカは同盟に寄らないウィルソン主義を主張した中にあって、英国の主要閣僚、陸海軍大臣や参謀総長まですべて同盟継続派で、日本が同盟堅持を言えば、英国は自分から廃棄を言い出せる状況ではなかったといわれます。

 

第4に、日本の外交姿勢の変化です。当時の立憲政友会の原敬および高橋是清内閣は、イギリスの国際的地位の低下に伴い、対英協調よりも“対米協調路線”をとっていました。積極的に「日英同盟」を破棄しようとの意思ではなかったようですが、同盟継続の強い意志を欠いていたのです。

 

これらの背景にはまた、「日英同盟」締結する直接の原因となったロシア帝国が滅亡して、同盟の存在意義そのものが消滅したこともあります。この時点ではまだ、ロシア帝国に勝る共産主義国家・ソビエトの“強大な脅威”を見抜けなかったのでした。

 

そして、会議の冒頭から、“第1次世界大戦とロシア革命によって、アジア・太平洋地域に変化が生じた”として、大戦の戦勝国である米・英・仏・日によって、各国が持つ太平洋方面の属地や領土権益の相互尊重、それに起因する国際問題の平和的処理の仕方が協議され、1921(大正10)年12月、「4か国条約」として調印され、「日英同盟」は破棄されました。

 

同盟破棄は、最終的には弊原喜重郎の決断だったといわれます。英国側の“迷い”を断ち切ったのでした。幣原は、その剛毅不屈な精神をもって、その後の我が国の外交史の中で“協調外交”を貫くことで有名になりますが、旧来の同盟による“勢力均衡”という習慣と決別し、駐米大使の地位にありながら“異質な米国”の本質を見抜けないまま、信念を持って当時の米国の理想主義的な原則に同調したのでした。

 

まさに幣原の“個性”が優先された結果だったのですが、幣原のみに責任を負わせるのは酷でしょう。当時の新聞なども「4カ国条約」締結を大歓迎したのでした。

 

海軍軍縮―主力艦米国の6割に―

 

 「ワシントン会議」のもう一つのテーマは、海軍軍縮でした。会議に臨むに際して、海軍は「対米7割」を基本方針としていましたが、全権主席の加藤友三郎は、当初からその必要性に疑問を呈するとともに、「八八艦隊」の整備と維持に膨大な経費を必要とすることから、「対米7割」には柔軟性を保持していたようです。

 

加藤を信頼して送り出した原敬は、その20日後の11月4日、東京駅で19歳の少年に暗殺されてしまったことはすでに述べましたが、本事件は、現職の首相がテロリストの手にかかって非業の死を遂げるという憲政史上初めての出来事でした。しかし、後継首相の高橋是清が「外交方針は不変」としたため、加藤は、当初の方針どおり対応しました。

 

しかし、実際に「米:英:日が5:5:3」と発表されると、多くの国民の「1等国、5大国の自負心を傷つけられた」との批判の前に腰砕けそうなった高橋内閣に対して、加藤は職を辞する覚悟で説き伏せ、最終的に、米英:日:仏伊を5:3:1.75、つまり対米英6割に相当する主力艦(戦艦と航空母艦)の保有量31万6千トンで決着し、1922(大正11)年2月6日、海軍軍縮条約に調印しました。

 

加藤友三郎の主席随員として、のちに“艦隊派”の総帥になる加藤寛治中将も参加しており、加藤友三郎と激しく対立していましたが、この段階では海軍の統制がとれていたことは付記しておきましょう。

 

「ワシントン体制」の成立・遵守

 

1922(大正11)年2月6日当日、前記4カ国に加え、オランダ、イタリア、ベルギー、ポルトガルを加えた9カ国により、中国の門戸開放・機会均等・主権尊重の原則を包括した「9カ国条約」も調印され、その結果、“中国大陸における日本の特殊権益を認めた”「石井・ランシング協定」も解消されました。我が国は中国と「山東還付条約」も締結し(同年2月4日)、山東省の権益の多くを返還しました。これについても幣原が途中から本件交渉に参加し、条約締結に導いたとして米国や中国から大賛辞が贈られます。

 

「ワシントン会議」で締結された「4カ国条約」「9カ国条約」そして「ワシントン軍縮条約」を基礎とする体制は、アジア・太平洋地域の国際秩序維持のための「ワシントン体制」と呼称され、1934(昭和9)年ごろまで続きます。

 

この間の我が国の外交は、上記の弊原喜重郎による「協調外交」を貫きましたが、その後の歴史から見ればそれは失敗に終わりました。同様に、フランスもまたドイツの報復を恐れて、米国や英国と同盟を希望しましたが、英・仏・独・伊による「ロカルノ条約」の締結を余儀なくされました。これも何の役にも立ちませんでした。

 

 アメリカの対日警戒感はこれにとどまらず、やがて「排日移民法」(1924〔大正13〕年)につながっていくばかりか、中国の“国権回復運動”に同情的になっていきます。こうして、“アメリカの覇権意識と我が国の大陸政策が真っ向から対立”し始め、「激動の昭和」の“芽”が出始めたのでした。 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)8月1日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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