第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」

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はじめに

 

お盆休みを利用して、話題の映画『アルキメデスの大戦』を観る機会がありました。この映画はフィクションです。時は昭和8年頃、海軍がワシントン・ロンドン両軍縮条約からの脱退(昭和10年:本文参照)を見据えて、将来の海軍戦力をいかに構築していくかの“抗争”を映画化したもので、概要は以下のとおりです。

 

将来も艦隊決戦を想定する“鉄砲屋”(映画ではそのように表現)が戦艦「大和」を建造して“大艦巨砲主義”を貫こうとの強い意志を持っていたことに対して、山本五十六提督ら“飛行機屋”が「空母を建造すべき」と対立します。

 

“飛行機屋”は、急きょ若き天才数学者を海軍に採用し、巨大戦艦「大和」建造費の“ごまかし”を見事に見破りますが、結局は、“史実”どおり、戦艦「大和」が建造され、その「大和」は航空攻撃によって撃沈されます。

 

映画の後半で、「大和」の設計者が天才数学者に向かって、「大和」建造の目的と「大和」という命名の訳を語る場面があります。フィクションとは言え、その内容にとても興味をそそられ、考え込んでしまいました(細部はあえて省略します)。

 

実際の戦艦「大和」は、昭和12年に起工し、昭和16年に就役します。建造費は当時の国家予算の約半分に相当する1兆3800万円(試算額)でした。いつものように「歴史のif」を適用して、もし昭和初期に海軍が「将来戦は航空戦が主」と判断し、巨大戦艦「大和」を建造する代わりに何隻かの空母を建造し、戦闘機などをもっと量産していたら、「真珠湾攻撃」を含めた“海軍の戦い方”は違っていたのではないだろうか、と元陸上自衛官の私は素人ながら勝手に想像するのですが、読者の皆様はどう思われるでしょうか。

 

「世界恐慌」の背景

 

さて、1929(昭和4)年、アメリカ発の「世界恐慌」はなぜ起きたのでしょうか。まずその原因を探ってみましょう。

 

第1次世界大戦の勃発以降、工業製品や農産物生産は主戦場となった欧州からアメリカに移り、アメリカが世界経済の中心になりました。1920年代になると、米国内の都市化も進んで好景気となり、投資ブームも異常に盛んになって、ダウ平均株価は1924〜29年の5年間で5倍に高騰しました。

 

 他方、過剰生産によって商品の売れ残りも生じ始めたのです。こうしたなか、1929年10月24日(木)、ウォール街のニューヨーク証券所で株価の大暴落が起こります(世に言う「暗黒の木曜日」です)。

 

不安を感じた国民は銀行から預金を引き出し、銀行は倒産、銀行が融資していた企業も倒産、企業に仕事をもらっていた工場も倒産、と“ドミノ倒し”のように影響が広がり、失業率が25%を超えました。この一連のパニックはアメリカ一国にとどまらず、世界中を混乱の渦に陥れました。この一連の混乱が「世界恐慌」(あるいは「世界大恐慌」)といわれるものです。

 

「関東大震災」に続き「昭和金融恐慌」によって疲弊していた我が国でしたが、国際協調を掲げていた濱口雄幸内閣が「世界恐慌」の直前に“金解禁”を断行したこともあって、恐慌の“あおり”をまともに受け、株の暴落や企業の倒産が相次ぎ、大量の失業者が発生しました。特にアメリカに輸出していた生糸が危機的状況に陥り、生糸生産農家では、あまりの不況から子供を身売りするなどまで事態は悪化したのでした。

 

「世界恐慌」の対応は国によってまちまちでした。アメリカは、やがてフランクリン・ルーズベル大統領が掲げた「ニューディール政策」によって政府が積極的に市場に介入する方針へ転換、イギリスやフランスは「ブロック経済」という政策をとって植民地を含む身内以外の国を貿易から締め出すような対応策を取って経済を回復させました。

 

これに対して、我が国はしばらく成長率が低迷した後、犬養毅内閣の高橋是清蔵相による金輸出再禁止と日銀に国債引き受けなどのリフレーション政策によってようやくデフレを終息させますが、資源や植民地の少ないドイツやイタリアなどと共に「植民地を得るために侵攻すべき」「軍事に力を入れれば軍事産業が盛りあがり、仕事ができる」という空気が高まったことも事実でした。

 

この空気の延長で、日本では「満洲事変」が起こり、ドイツではヒトラーが、イタリアではムッソリーニがファシスト体制を作りあげ、他の国々との対立が深まっていくことになります。

 

他方、この「世界恐慌」の影響を全く受けない国がありました。ソ連です。物価、生産・流通・配給のすべてを国家が統制する社会主義国家・ソ連は、スターリンの元、「五か年計画」の真っ最中でこの時期も高い成長を遂げ、1939年にはGDPで世界第2位に踊り出ます。

 

「世界恐慌」のような事象は、共産主義勢力には「資本主義の末期的症状が露呈したもの」と映っていたといわれ、“全世界共産主義の完成”を画策するコミンテルンの勢いを増大させる要因ともなりました(これらの細部については後述します)。

 

こうして、アメリカ発の「世界恐慌」は、多くの国の運命を狂わせ、やがて世界史上2度目の世界大戦という歴史的事件を引き起こすことになります。

 

「ロンドン海軍軍縮条約」調印と「統帥権干犯問題」

 

「世界恐慌」と同時期、国内では別の騒動が発生します。「統帥権干犯問題」です。

 

1922(大正11)年に締結した「ワシントン海軍軍縮条約」は、巡洋艦以下の補助艦艇の建造数に関しては無制限でした。このため、1929(昭和4)年、「ロンドン海軍軍縮会議」を開催する運びとなりました。現下の経済情勢から軍縮による軍事費の削減に積極的な濱口内閣は、昭和天皇からも「世界の平和のために早くまとめるよう努力せよ」との御言葉を賜わり、若槻禮次郎元総理を首席全権、斎藤博外務省情報局長を政府代表として派遣しました。

 

交渉は各国の意見が対立して難航しました。日本は、ここでも対米英7割を方針としていましたが、アメリカの要望に応じて0.025割を削り、対米英6.975割とする妥協案を引き出せたことでこの案を受諾する方針に変更しました。海軍省は変更案に賛成の意向でしたが、軍令部は重巡洋艦保有量が対アメリカ6割に抑えられたことと潜水艦保有量が希望量に達しなかったことの2点を理由に条約拒否の方針を唱えました。

 

1930(大正5)年10月1日、枢密院本会議は満場一致で条約を可決し、翌日の10月2日、条約は批准されましたが、海軍内部では条約に賛成する「条約派」とこれに反対する「艦隊派」という対立構造が生まれました。また、緊縮財政による海軍予算の大幅縮減も「艦隊派」の不満を高めることになりました。

 

こうしたなか、野党の立憲政友会の犬養毅や鳩山一郎、さらに伊東巳代治や金子堅太郎などの枢密顧問官は、大日本帝国の「統帥大権」を盾に、「政府が軍令(=統帥)事項である兵力量を天皇(=統帥部)の承諾無しに決めたのは憲法違反だ」とする「統帥権干犯問題」を生起させ、政府を激しく攻撃しました。

 

濱口首相は、「実行上、内閣は統帥権を委任された立場にあり、軍縮条約を結ぶことは問題ない」として「干犯には当たらない」と反論しますが、後日、東京駅構内で国粋主義団体員の暴漢から銃撃を受け、その時の怪我がもとで他界することになります(濱口首相の銃撃現場も東京駅構内にプレートが設置されています)。

 

のちに、「統帥権」を振りかざす軍部の独走を議会が抑えられなくなり、政党政治は終焉しますが、元を正せば、前回紹介した「不戦条約」締結時の「天皇大権」に続き、議会側が“政争の具”として持ちだしたものでした。“政党が党利党略に走る時、国家は危機に陥る”事実を我が国はこの時点で体験していたのでした。

 

「統帥権干犯問題」の根本原因が大日本帝国憲法が有していた“不備”にあったことは間違いないでしょう。元老が健在していた頃はこのような問題が先鋭化する前に元老が統制していたのですが、昭和に入り元老の大半が世を去り、また本来、統制する側にまわるべき東郷平八郎元帥は「艦隊派」に担ぎ出され、この問題では昭和天皇と意見が離れてしまいます。

 

その後、「艦隊派」の筆頭・加藤寛治軍令部長らは辞職しますが、昭和8年、海軍の制度改正によって、兵力量の起案権は軍令部が握り、平時の海軍大臣の兵力指揮権が削除されるなど、海軍の良き伝統だった海軍省優位が崩れ、軍政に対する軍令の優位が確立しました。同時に、昭和海軍は“米国艦隊を艦隊決戦により撃滅すべき対象”とみなすようになったといわれます。

 

1935(昭和10)年、「第2次ロンドン海軍軍縮会議」が開催されますが、我が国は脱退し、軍縮時代は終了します。昭和12〜14年頃、米内正光海軍大臣、山本五十六次官、井上成美軍務局長トリオを中心に海軍立て直しに努力しますが、現下の情勢から果たせませんでした。

 

余談ながら、冒頭に紹介した映画の原作者は、このような“史実”をよく調査した上で製作したと信じたいですが、“飛行機屋”の抵抗は史実としても、“鉄砲屋”たちが映画で紹介されたような高邁な精神を有していたとは到底思えず、その後の歴史を知った上での“あとづけ”だった考えます。ついでながら、つくづく“歴史とは皮肉なもの”と思ってしまいます。やがて“飛行機屋”筆頭格の山本五十六の発案による「真珠湾攻撃」が起こります。艦隊決戦ではありませんでしたが、対米戦争の勃発です(細部についてはのちほど触れましょう)。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)8月29日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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