「二・二六事件」の背景と影響

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はじめに(「大正デモクラシー」終焉が意味するもの)

 

前回、「五・一五事件」で犬養毅首相が暗殺され、「大正デモクラシー」は短い生命を終えたことを紹介しましたが、その事象がその後の我が国の歴史にいかなる影響を及ぼしたのか、について興味を持ちました。

 

 当時の日本は、「満州事変」と一連の戦線拡大によって大満州ブームが沸き返り、その延長で“国際連盟の脱退によって日本が世界から孤立したことへの危機感はほとんどない”ような高揚感がまん延しました。その結果、内閣も議会も“妥協的態度を軟弱”として、“強硬論をすべて是”とする世論やマスコミの大勢に乗るだけになったのです。

 

 国際連盟脱退後、昭和天皇は次のような詔勅を出されました。
「……平和の進展はわれわれが永久に望むものである。平和の大事に対するわれわれの態度は何ら変わることはない。わが帝国は国際連盟を脱退し、独自の道を歩むことになるが、このことは極東においてひとり超然たろうとするものでも、各国との友愛関係から自らを隔絶しようとするものでもない。わが帝国と他のすべての国々との相互信頼を深め、わが国の大義の正しさを世界に知らしめるのが、われわれの願いである」と。

 

 立憲君主の立場から政治的なご発言は抑制されておられたとは言え、天皇が勅語という形で明確な指針を示されたにもかかわらず、その後の我が国が歩んだ道程は、この詔勅に見られる“友愛の精神”とはおよそかけ離れたものになります。

 

 改めて、国の統治とは本当に難しいものだと考えます。権力を広く分散すれば、自ら良い政治になるという民主主義の考え方は、そう簡単に人々に根付くものではないことを「大正デモクラシー」は教えてくれました。他方、国家が“一枚岩”になると、確かに意思決定は容易ですが、一度動き始めたら軌道修正ができないという致命的な欠点があります。

 

 前々回も触れましたが、世界恐慌などの影響によって経済的に疲弊を来し、希望を失いつつあった国民が“強硬論”を最適な選択肢として同調すること、そして“強硬論”を掲げて有言実行する軍人たちが“救世主”のように見えたのは容易に想像できます。そうした国民精神が、結果として「大正デモクラシー」を終焉させ、我が国の混乱を増大させる要因となったのでした。

 

 このような風潮は、翌1933(昭和8)年に行なわれた「五・一五事件」の裁判にも表れます。マスコミは首謀者たちの主張を正当化し、行動を称えもしました。その結果、減刑運動が拡大し、首謀者の判決は軽いものになります。これがのちの「二・二六事件」の陸軍将校の反乱を後押ししたともいわれます。

 

 歴史を振り返れば、バランス感覚をもって天皇のご意図に沿って国の舵取りを諫(いさ)め、軌道修正できる明治時代の伊藤博文のような人材を輩出できなかったのが、まさに昭和時代初期の不幸だったのではないでしょうか。

 

 同じ年の1月、巨額な賠償金と「世界恐慌」にもがき苦しんでいたドイツにヒトラー政権が誕生しました。ドイツ国民も、彼こそが“救世主”だと信じたのでした。

 

「二・二六事件」の背景

 

さて、「激動の昭和」と言われるとおり、昭和初期は、今の常識からは想像を絶するような事件や事案が次から次へと発生しますが、1933(昭和8)年の国際連盟脱退からおおむね3年間は、昭和にしては静かな期間でした。

 

 その静寂を破ったのは、1936(昭和11)年2月26日に発生した「二・二六事件」でした。20世紀に生きていた日本人に「何が最も強烈な記憶か」と聞くと「二・二六事件」と答えた人が多いといわれます。大東亜戦争時の真珠湾攻撃や原爆投下などさまざまな強烈な経験と比較して、日本人は、本事件を“自分たちが生まれて育ってきた社会全体が足元から崩れる予兆”として脅えたのでした(岡崎久彦氏の言)。

 

 その背景を少し探ってみましょう。まず、思想的背景として「昭和維新」の“革新思想”がありました。事件後、死刑に処せられた北一輝などが主導して一部の青年将校らに浸透していったものですが、その思想を簡単に紹介します。
 第1に、白人帝国主義に対するアジア主義です。日本が戦争に訴えても国際的不正義を匡(ただ)すことを是認しています。第2に、社会主義の影響を色濃く受けた平等主義です。特権階級の廃止などを主張します。この考えは、陸軍が画策した満州の計画経済の考えと一致します。第3に、議会制民主主義に対するものとして革新派による専制体制を主張しています。これらを求めたのが「昭和維新」だったのです。

 

 これらの思想に加え、陸軍内の対立も背景となりました。以前、本メルマガでも「昭和陸軍の台頭」について触れましたが、一枚岩のように見えた「一夕会(いっせきかい)」に、第1次世界大戦の教訓から「国家総力戦」の準備と計画を整備するために軍部主導の政治運営を主張する、いわゆる「統制派」が永田鉄山らを中心に結成されます。そして、それに対抗するように、荒木貞夫陸軍大臣や真崎勘三郎参謀次長らを担ぎ、“革新思想”を信じて国家改造を目指す青年将校らによる「皇道派」も形成されます。

 

 両派の対立は、対ソ戦略をめぐっても激しい論争を展開します。「統制派」が日ソ不可侵条約の締結に積極的だったのに対して、「皇道派」が対ソ強硬論を主張してこれを断念させます。その結果、ソ満国境にかなりの兵力を割く必要が生じ、陸軍の「対中国戦略」に大きな足かせとなっていきます。

 

 その「対中国戦略」についても、「統制派」が中国に日本との共存共栄が進むよう誘導し、排日が激化すれば断固排除する方針だったに比し、「皇道派」は、欧米列強と協調しながら安定を維持し、主に経済的観点から貿易市場とすべきとの方針でした。

 

「二・二六事件」発生と影響

 

このような背景によって、「皇道派」を軍中央から一掃しようとした永田鉄山が刺殺される事件が起きます(昭和10年)。永田暗殺の翌年の1936(昭和11)年、第1師団や近衛師団の青年将校グループがクーデタ―による国家改造をめざし、約1500人の兵士を率いて「二・二六事件」を引き起こします。

 

 しかし、昭和天皇の「朕自ら近衛師団を率いてこれを鎮定に当たらん」の強いご意志もあってクーデターは失敗。青年将校と繋がりのあった真崎、荒木らは予備役に編入され、事件の背景にあった「統制派」と「皇道派」の争いも決着をみることになります。

 

 なお、「五・一五事件で海軍に先を越された陸軍過激派はいつか大事を起こす。万一海軍省が占領されるようなことがあったら海軍の名折れである」と考えた当時の海軍省軍務局第1課長井上茂美らは、事件のかなり前から陸軍の動きを警戒して最小限の準備をしていたのです(当時の陸軍と海軍の関係を知る貴重なエピソードです)。

 

 今年の8月15日、NHKスペシャルで「二・二六事件に関する海軍の最高機密文書を発掘した」と、鎮圧に至る「4日間」の詳細が報道されました。本事件に対する海軍の態度や昭和天皇の苦悩が明らかになっていますが、「皇道派」と「五・一五事件」を引き起こした海軍「艦隊派」とは気脈が通じていたともいわれ、本事件は事件後80年余り過ぎた現在でも依然、謎が多いのも事実です。

 

 陸軍においては、当時、参謀本部作戦課長職にあった石原莞爾が「兵隊の手を借りて殺すなど卑怯千万」として反乱軍鎮圧の先頭に立った事を付記しておきましょう。

 

 事件後、外務大臣だった広田弘毅が首相に任命されますが、広田内閣の陸軍トップは、陸軍大臣・参謀総長・教育総監らすべて政治色が薄く、その結果、「統制派」の中堅幕僚層の意向が強く反映され、同時に陸軍の政治的発言力が急速に増大することになります。

 

 このような情勢下で、同年5月、大正2年に山本権兵衛内閣によって削除された「軍部大臣現役武官制」が復活するなど、まさにクーデターが成功したかのように、“軍国主義化の潮流”は歯止めのない状態になっていきます。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)10月17日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。