「支那事変」に至る日中情勢の変化

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はじめに

 

 記念すべき60回目の発信となりました。読者の皆様にはいつもお付き合いいただき心より感謝申し上げます。歴史の素人の私が歴史書を読み漁ってからだいぶ時が経ちますが、歴史研究家の皆様のご苦労に思いが至るのが、まさにこれから振り返る「支那事変」以降です。さまざまな事象が複雑に絡み合い、歴史を動かした“決めて”を容易には見いだせないからです。

 

 米国は、1995年に「ヴェノナ文書」を公開します。米国陸軍情報部が傍受し、解読した記録といわれる本文書は、第2次世界大戦前後のソ連の陰謀をかなり詳細に解き明かしていますが、これによって、それ以前とその後では「歴史の見方」、つまり歴史を動かした“決めて”が180度変わる部分もあると考えます。

 

 日本では当時から「ゾルゲ事件」のようなものも発生し、ソ連の陰謀がある程度は顕在化していましたが、なぜか、為政者たちはその意図を見抜けず、結果として、操られるように「国の大事」を選択してしまいます。まことに不思議です。その辺の状況も含め、引き続き国内と国外事情を織り交ぜながら振り返ってみようと思います。

 

まず、冒頭で台風19号を取り上げましょう。台風15号もそうでしたが、台風19号は、久しぶりに日本列島の広範囲で“人智を超えた自然の猛威”を知らせてくれたような気がします。改めまして、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。私事ですが、生まれ故郷の福島県の被害がまたしても最も大きかったことに心が痛みます。なかには東日本大震災で原発の被害を逃れ、今回、被災した郡山市やいわき市に移住した人たちがたくさんおりますが、特にこのような人たちが大事なかったことを祈るばかりです。

 

 台風の後、アメリカ在住の日本人の知人からご丁重なお見舞いととともに、「これほど大型で強い台風なのに、大規模な被害にならなかった日本はすごい」と驚きの言葉も添えられていました。そして「日本ならではの事前の準備や避難指示などの警報と実際の非難、それに初動対処の迅速さが被害を極限にしたと考えますが、なぜ被害規模がこれだけですんだかについてはあまり評価されないまま見過ごされてしまうのが残念です」とも書き加えられていました。

 

 私は、長い間、渓流釣りを趣味にしており、ふだんは人が入らないような川の上流まで足を運んだ経験が何度もありますが、そこでいつも目にするのが、日本中至るところに整備されている砂防ダムや明らかに人の手で植林されたとわかる針葉樹林でした。

 

 砂防ダムは、いつ建設したわからないほど周囲の自然と一体化しており、工事用に作ったと思われる小道もその名残りがあるだけになっているものもあります(釣りの帰り道としてはありがたいのですが)。そのような光景を見るにつけ、「治山治水は国の統治の基本」を実践した先人たちに感謝の気持ちを抱いたものでした。

 

 災害大国ならではの日本の統治の基本を忘れ、「コンクリートから人へ」との意味不明な政策を掲げ、ダム建設を中止した時期がありました。3年ほど前に、中止の後に建設が再開された「八ッ場ダム」に足を運んだことがあります。両岸が狭くせり立ち、地盤も固そうでダム建設には最適な立地条件の場所で、ダムは急ピッチで建設されていました。そして今回、建設再開が功を奏して、利根川水系の氾濫を防ぐ治水効果を発揮しました。

 

 当時の民主党議員達には反省の弁もなく、逆に、反論や極論を主張しているとの“見苦しい話題”が取り上げられていますが、すべては選んだ国民の側に責任があるとはいえ、国の統治の基本を忘れた政治家の決断が国家・国民を不幸にすることを改めて証明してくれました。

 

 国民の生命と財産を守るため、“自然の猛威による被害を最小限にするために人智を尽くす”という意味で言えば、我が国の「防災」がまだまだ万全でないことも事実でしょう。治山治水に加え、米国のFEMA(連邦緊急事態管理庁)のように、天変地異の際、国の諸機関などを一元的に運用する組織の設置も急務と考えます。

 

「防災」のみならず、外国の侵略を未然に防ぐ「防衛」についても、ふだんの万全の備え(抑止)こそが最重要なのですが、ハード・ソフトいずれもまだまだ整備途上にあります。こちらは相手もあります。

 

 国の行く末を狂わした、心ない政治家(統治者)の出現は歴史的には何度もあります。戦前もそうでした。本文をご参照下さい。

 

「宣伝は政治より重し!」

 

 第58回目の配信で「欧米列国が一方的に中国に加担した」と述べましたが、中国は国際世論を味方につけるため、積極的に宣伝を活用しました。蒋介石は「政治は軍事より重し、宣伝は政治より重し」として「戦争に負けても宣伝に勝てばいい」と述べていることから、いかに「宣伝」の力を入れていたかが理解できます。この三国志以来の伝統といわれる中国の宣伝工作は、この後の「支那事変」になっても大いに発揮されます。

 

 これに対して我が国は、石原莞爾が「宣伝下手は日本人の名誉」と述べているように、『武士道』によって、武道そのものよりも「卑怯なまねはしない」のような徳義論的な考えが定着したのが逆に災いしたことに加え、軍事的勝利に対する自信から宣伝を軽視していたのでした。我が国の“宣伝ベタ”は今も続いており、中国や韓国から“いいようにやられている”のは承知のとおりです。

 

「卑怯なまねはしない」などの清い精神は、は陸海軍共通に“作戦ベタ”にも表れます。これについてもいつか取り上げましょう。

 

「支那事変」の引き金になった「西安事件」

 

再び、当時の中国の国内事情を振り返ってみましょう。この時期に日中平穏だったのは、蒋介石が共産軍の包囲殲滅に集中し、「塘沽(タークー)停戦協定」締結後の対日関係は行政院長の汪兆銘に委ねていたからでした。

 

 その後の日中関係で重要な役割を果たす汪兆銘について少し触れておきましょう。汪兆銘は、日露戦争の最中に留学生として来日し、西郷隆盛や勝海舟にも深く私淑して親日派になりました。汪は「優れた人間同士が理解し、信頼し合えば、いかなる困難も克服できる」という“東洋思想”を最後まで捨てなかった人だったといわれます。

 

 1935(昭和10)年、汪兆銘は抗日派に狙撃されます。一命は取り留めましたが、この結果、「支那事変」勃発時、我が国は中国側のキーパーソンの汪を欠くことになります。

 

 その頃、共産軍撃滅作戦を推進中の蒋介石に対して、劣勢な共産軍から「抗日統一作戦」結成の呼びかけがありましたが、共産軍の狙いを見抜いている蒋介石は応じませんでした。そのような情勢下、1936(昭和11)年12月、戦意がない張学良を直接指導するため蒋介石が張の根拠地の西安に乗り込んだところ、逆に逮捕監禁されるという事件が発生します。有名な「西安事件」です。

 

 レーニン没後、後継者として地位を固めつつあったスターリンは、毛沢東の「殺蒋抗日」に反対し、「国民党と日本を戦わせ、お互いが疲弊するのを待つ」との基本戦略のもと、蒋介石は釈放される代償として「共産党討伐の中止」「一致抗日」を約束させられ、「第2次国共合作」が成立します。ソ連の陰謀がみごとに成功したのです。

 

 これによって、国民党内の“知日派”が失脚する一方、親ソ派が台頭し、ここに来て蒋介石ははっきりと「敵は日本」と定めたのでした。まさに、「西安事件が支那事変そして日中戦争の引き金になった」(米国駐支大使N・ジョンソン)のでした。

 

国内情勢―近衛文麿登場

 

一方、「二・二六事件」後、我が国の政局は荒れに荒れます。事件後、総理となった広田弘毅首相は、1937(昭和12)年1月、立憲政友会の浜田国松議員の発言をめぐって寺内陸相の間で大混乱になった「腹切り問答」を機に辞任します。

 

 その後継に指名された宇垣一成(かずしげ)内閣は陸軍の反対で組閣流産します。代わりに首相となった林鉄十郎(せんじゅうろう)も、解散する理由もないのに衆議院を解散(「食い逃げ解散」といわれる)し、政党勢力を勢いづかせた責任をとって同年5月、在職3か月で総辞職します。このような政局の混乱から、国民に新世代の出現を期待させ、当時45歳の若き近衛文麿が首相となり、外務大臣には広田弘毅(こうき)が就任します。

 

近衛文麿については、のちほど詳しく触れたいと思いますが、「近衛、広田、そして後の陸相・参謀総長の杉山元は、大事な節目で指導力を発揮せず、体制順応した不作為の罪を責められるべき」として、岡崎久彦氏は「大日本帝国を滅ぼした責任者はこの3人」と断じていることを紹介しておきましょう。

 

 岡崎氏はまた、この3人にとどまらず、「昭和前期の人々の通弊(つうへい)だったが、この時期、国の為政者として骨のある人材が存在しなかった」と指摘しています。我が国にとっては何とも不幸だったとしか言えようがありません。

 

「盧溝橋事件」発生!

 

「張作霖爆破事件」から「満州事変」そして各種の北支工作などについては、依然として謎はあるものの、終戦後は日本軍が仕組んだとされています。

 

 しかし、「盧溝橋事変」に至る1935(昭和10)年以降に起きた諸事件には日本側の秘密工作の証拠がなく、長い間の反日宣伝活動で感情が高ぶった一般国民か国民党下部か共産党系かは明確でないにしてもすべて中国側から挑発を受けていたことは明白です。

 

 この頃から、国共合作の中国は、「日本と一戦交えてもいい」という雰囲気に変わり始め、北支・中支・南支各地でめまぐるしく事件が発生したのでした。

 

 改めて、「西安事件」後の日中両国が対峙している状況を振り返ってみますと、華北では、41万人の兵力が5千の日本軍を包囲する形となり、徐州方面でも35万の兵力が北上をうかがうなど、日中両軍の緊張が高まっていました。しかし、日本側はあくまで華北にとどまり事態の不拡大方針を堅持していたのです。

 

 このような中の1937(昭和12)年7月7日夜、演習を終えた日本軍に突如、中国側からと思われる数発の銃弾が撃ち込まれました。翌8日払暁以降も、再三にわたり不審な発砲を受けます。隠忍自重すること7時間、ついに日本側は中国に攻撃開始し、これを撃滅しました。「支那事変」の発端となった「盧溝橋事件」発生です。

 

 事件解決をめぐって、国内では「拡大派」と「不拡大派」が対立しますが、それでも和平に乗り出そうとします。しかしそれは叶いませんでした。細部は次号で振り返ってみましょう。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)10月24日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。