「盧溝橋事件」から「支那事変」へ

最新作を読みたい方はこちらでご登録ください(無料)
    ↓↓↓↓
メルマガ購読・解除
 

はじめに

 

 本メルマガでは、政治に関する論評などは控えてきたのですが、最近、政治家の不祥事や不用意な発言が毎日のようにマスコミや国会で話題になり、大臣辞任が続いていることを心配しております。

 

確かに、法律を作って国民の法令遵守を強要する“国会議員が法律を犯すなどとんでもない”との感情は理解できないわけではありませんが、このたびの法務大臣の辞任は、某国の同大臣の辞任と比較してあまりにもその性格が異なることに唖然としてします。“大臣の椅子の値段”があまりに安すぎると思ってしまうのです(このように考える私が異常なのかもしれません)。

 

それに、「身の丈」とか「雨男」など、デリカシーがなく違和感を持つとは言え、話のはずみで出てしまったような政治家の発言の一言一言を問題視して、大切な他の審議を止めてまで追及しつつ、二言目に「任命責任」とか「説明責任」と攻め立て、それなりの言い訳と謝罪をすましたら、“終了”(一件落着)とする、我が国の政局の“文化”のどこに生産性があるのでしょうか。

 

歴史的にも、大正末期から昭和初期において相次ぐ政治家の不祥事や不正の結果、国民が愛想をつかし、政党政治が廃(すた)れたことを本メルマガでも取り上げました。しかし、あの時代には、「天皇大権」などをはじめ、国家の根本問題などについて与野党がせめぎ合っていたと思います。

 

些細なことでも問題を起こさないことが肝要なことは言うまでもないのですが、このような不祥事や発言をあげつらって与野党が相互に“足の引っ張り合い”をしているとその先に何があるのかと考え込んでしまいます。

 

そして、政治家に清廉潔白を求め過ぎると、清廉潔白だけを最優先し、通り一遍のことだけを発言して、狭い範囲で活動するにとどまるなど、“何もしない政治家”が増えることも懸念されます。

 

その延長で、国を愛し、しっかりした国家観を持ってぜひとも国政の場で活躍していただきたいような人材が政治家を目指す意欲をなくすことがとても心配です。

 

最近、櫻井よしこさんが「憲法議論をしない政治家は辞めるべき」旨の発言をされたようですが、個人的には同感です。国会議員には、ぜひとも国の運営に関する重要な案件の議論にこそ時間を費やし、真剣に取り組んでもらいたいと願っています。

 

また、自治体の長を含め、知名度(人気)だけの政治家を選出すると、災害時や「国の大事」に危機管理や決断ができない(あるいは、誤った決断をする)結果になり、結局、国民や住民を不幸にすると歴史は教えてくれますし、最近でも同様の事例が繰り返し発生しているのではないでしょうか。

 

国民の普段の政治に対する関心も大切と思います。駅前などで地元の政治家が演説をしたり、自前で作成した活動報告のチラシを配っている姿をよく目にします。

 

私は、「国民に政治を語り、チラシを配ったりするのは政治家の仕事、(仮に意見を異になる政党の政治家であっても)演説を聞いたり、チラシを受領して読むのは主権者たる国民の仕事(義務でさえある)」との信念から、時間がなくともチラシは必ず受け取るようにしていますが、ほとんどの人々は演説を聞くこともチラシを受け取ろうともしません。見ていて、政治家が気の毒なくらいです。

 

政治家の不祥事や発言をことさらに取り上げるマスコミですが、このような国民の政治に対する無関心を取り上げ、警鐘を鳴らすこともまずないでしょう。

 

「政治は国民を映す鏡」とはサミュエル・スマイルズの『自助論』に出てくる有名な言葉ですが、政治家のレベルアップは、ひとえに国民のレベルアップにかかっていることを国民一人ひとりが今一度再認識する必要があるのではないでしょうか。いつの時代も結局の所、“民意が政治を動かす”ことを思い知らされるのです。

 

上海から南京まで

 

さて前回の続きです。「北支事変」から「支那事変」に拡大した後も、日本はドイツを仲介に和平工作(トラウトマン工作)を始めます。仲介案の骨子は、「中国側が今後、満州を問題としないという黙約の下に、河北の諸協定を廃止し、その代わり反日運動を取り締まる」というものでした。蒋介石もこの案を支持しますが、杉山陸相が(石原莞爾がすでに満州に転任させられている)陸軍内の“強硬派”の突き上げを受けて一夜にして約束を反故(ほご)にしたのでした。

 

その後の閣議において、近衛首相も広田外相も一言も発言しなかったといわれます。第60話で紹介しましたように、近衛、広田、杉山を「大日本帝国を滅ぼした責任者はこの3人」(岡崎久彦氏)との厳しい指摘は、このような判断や指導力の欠如を指しているものと考えます。

 

中国軍の敗走を目のあたりにして、蒋介石は、首都・南京を死守すべきか否か迷った結果、死守を決めました。ソ連の参戦に最後の望みを託していたといわれています。中国共産党も「南京防衛は中国人民の責任であり、日本軍に対して人民が総武装化して戦うべき」と主張していました。

 

1937(昭和1)年12月1日、大本営は「南京攻略」を下令し、海軍爆撃隊による爆撃も南京に集中します。12月6日、蒋介石は南京死守を宣言したのにもかかわらず、南京総攻撃の直前、脱出を決意します。その理由として、日本軍の圧倒的な軍事力の差の前に敗北を予測した他、参戦を期待していたスターリンから「日本が挑発しない限り、単独での対日参戦は不可能」との回答、それに一向に改善しない英米等の国際支援、などがあったようです。

 

この結果、蒋介石をはじめ中国政府高官は次々に南京を離れ、重慶の山奥まで逃げ込んでしまいます。市民の多くも戦禍を逃れ、市内に設置された南京国際安全区(難民区)に避難します。この際、日本軍に利用されないよう多くの建物が中国軍によって焼き払われました。

 

「南京事件」の真相

 

12月9日、松井石根(いわね)司令官は、中国軍に南京城を引き渡すよう開城・投降を勧告しますが、中国軍の司令官が拒否したので総攻撃と掃討を命じます。蒋介石の撤退指示が遅れたうえ、日本軍の進撃がきわめて敏速だったことから中国軍は撤退の時期を失してしまい、揚子江によって退路がふさがれていたことから混乱状態に陥りました。そして多数の敗残兵が便衣兵に着替えて難民区に逃れますが、13日には、中国軍の組織的抵抗は終了し、日本軍は南京を占領します。

 

このような状況の中で「南京事件」が発生したとされます。「南京事件」の犠牲者は、極東裁判における判決では20万人以上、南京戦犯裁判(1947年)では30万人以上とされ、中国の見解は後者を依拠しています。

 

現在、外務省の公式サイトでは「非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できないが、被害者の具体的な人数については諸説あり、正しい数を認定することは困難である」としています。

 

第2次世界大戦中に発生したマニラ、スターリングラード、ワルシャワ、ベルリンなどの市街戦にみられるように、一般に、大都市の市街戦に至った場合、兵士のみならず民間人の犠牲者がでることは避けられないことは明白です。

 

しかして、「南京事件」の真相はいかなるものでしょうか。「激動の昭和」を振り変える際にどうしても避けては通れないと考え、諸説をチェックしてみました。残念ながら、戦後に2つの裁判の結果を検証しようとした研究は、多かれ少なかれそれらの裁判結果に影響されているような気がしますし、日中共同研究も明確な分析は避けています。当然ながら、日本の分析に中国の同意が得られるわけがないと判断したものと推測されます。

 

しかし、幸いにも、松井大将をはじめ南京攻略に参加した各指揮官の日記や従軍記者の写真や手記も残っており、「偕行社」がその抜粋を『南京戦史資料集』として平成5年に編纂しています。

 

それらを紐解きますと、まず南京攻略前に「軍紀緊縮の訓示」を行った松井司令官にとって、「南京の大虐殺」は“寝耳に水”の驚きだったことがわかります。

 

従軍記者の写真や手記などを読む限りにおいて、確かに、敗残兵の処断などの事実はあったものの、いわゆる通常の掃討、南京の場合には、明らかに国際法違反である便衣兵の捜索・処刑(これ自体は戦時国際法上合法とされた)が多かったことが理解できます。

 

十数万人を処理したとする唯一の日本軍の騎兵将校である太田壽男少佐の供述書(1954年8月付)も残っております。中国にとってはありがたい供述なのでしょう、その原文は、南京の記念館に大事に保存されているとのことです。

 

しかし、太田供述は信ぴょう性に欠けることがわかります。理由は太田少佐の終戦後の足跡です。太田少佐は戦後ソ連に抑留され、その後、中国の?順戦犯管理所に移送されます。供述はその際に提出したものでした。そこで何があったか細部は不明ですが、まともではない状態で供述した可能性は否定できないでしょう。太田少佐は、昭和31年ようやく帰国し、昭和39年死去してしまいます。

 

なお、太田少佐の供述には、12月14日から15日にかけて南京市内各地で何万体もの死体処理を目撃したように書かれていますが、太田少佐が南京に到着したのは、他の証言者によって12月25日であることが判明しておりますので、供述は実際に太田少佐が直に見聞したものでないことは明白です。

 

また、戦後大問題になった「百人斬り競争」の2人の将校の写真についても実際に撮った従軍記者の証言も残っています。この写真は、南京へ移動中、つまり攻略前の写真であり、タバコほしさに“はやる気持ち”を語っていたに過ぎず、百人を切った証拠にはなりません。

 

当時の従軍記者は、発行部数の拡大のためだったと考えますが、このような“飛ばし記事”を競って戦場からたくさん送っていたようです。不幸にも、2人の将校は、この写真が証拠とされて有罪となって銃殺刑に処されます。

 

東京裁判については、のちほど振り返ることにしますが、陸上自衛隊の戦士教育参考資料『近代日本戦争概説』においては、「南京攻略」の戦史は約1ページ、その作戦の概要が記されているのみで、「南京市内には市民がほとんどいなかったし、占領直後には市内に部隊が入れない処置などもあった。多数の遺棄遺体は、敗走した中国軍のものであった」とさらりと記述されていることを付記しておきましょう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)11月7日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


最新作を読みたい方はこちらで登録ください(無料)
      ↓↓↓↓
メルマガ購読・解除
 


サイト内検索は、こちらからどうぞ




お問い合わせは、こちらからどうぞ

↓↓↓↓

関連ページ

日本史と世界史に“横串”を入れる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 日本史と世界史に“横串”を入れる──我が国の歴史を振り返る(創刊準備号) (2018年(平成30年)8月23日配信)です。
日本および日本人の4つの特色
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 日本および日本人の4つの特色──我が国の歴史を振り返る(1) (2018年(平成30年)8月30日配信)です。
「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(1)──我が国の歴史を振り返る(2) (2018年(平成30年)9月6日配信)です。
「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(2)──我が国の歴史を振り返る(3) (2018年(平成30年)9月13日配信)です。
信長・秀吉時代の外交と防衛を考える(1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「信長・秀吉時代の外交と防衛を考える(1)──我が国の歴史を振り返る(4) (2018年(平成30年)9月20日配信)です。
信長・秀吉時代の外交と防衛を考える(2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「信長・秀吉時代の外交と防衛を考える(2)──我が国の歴史を振り返る(5) (2018年(平成30年)9月27日配信)です。
江戸時代初期の外交・防衛を考える(1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸時代初期の外交・防衛を考える(1)──我が国の歴史を振り返る(6) (2018年(平成30年)10月4日配信)です。
江戸時代初期の外交・防衛を考える(2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸時代初期の外交・防衛を考える(2)──我が国の歴史を振り返る(7) (2018年(平成30年)10月11日配信)です。
「治安維持」のための江戸時代の諸制度
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「治安維持」のための江戸時代の諸制度──我が国の歴史を振り返る(8) (2018年(平成30年)10月18日配信)です。
長く続いた“太平の世”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「長く続いた“太平の世”──我が国の歴史を振り返る(9) (2018年(平成30年)10月25日配信)です。
欧州諸国の「大変革」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「欧州諸国の「大変革」(前段)──我が国の歴史を振り返る(10) (2018年(平成30年)11月1日配信)です。
欧州諸国の「大変革」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「欧州諸国の「大変革」(後段)──我が国の歴史を振り返る(11) (2018年(平成30年)11月8日配信)です。
江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その1)」 ──我が国の歴史を振り返る(12) (2018年(平成30年)11月15日配信)です。
江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その2)」 ──我が国の歴史を振り返る(13) (2018年(平成30年)11月22日配信)です。
「ペリー来航」と開国(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「ペリー来航」と開国(その1)」 ──我が国の歴史を振り返る(14) (2018年(平成30年)11月29日配信)です。
「ペリー来航」と開国(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「ペリー来航」と開国(その2)」 ──我が国の歴史を振り返る(15) (2018年(平成30年)12月6日配信)です。
江戸幕府の滅亡(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸幕府の滅亡(その1) (2018年(平成30年)12月13日配信)です。
江戸幕府の滅亡(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸幕府の滅亡(その2) (2018年(平成30年)12月20日配信)です。
江戸幕府の滅亡(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸幕府の滅亡(その3) (2018年(平成30年)12月27日配信)です。
「明治維新」と諸外国の関わり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」と諸外国の関わり (2019年(平成31年)1月10日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その1)  (2019年(平成31年)1月17日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その2)  (2019年(平成31年)1月24日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その3)  (2019年(平成31年)1月31日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その4)  (2019年(平成31年)2月7日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その5)  (2019年(平成31年)2月14日配信)です。
明治時代の「国民精神」を育てたもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「明治時代の「国民精神」を育てたもの  (2019年(平成31年)2月21日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その1)」  (2019年(平成31年)2月28日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その2)」  (2019年(平成31年)3月7日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その3)」  (2019年(平成31年)3月14日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その4)」  (2019年(平成31年)3月21日配信)です。
“アジアを変えた”「日清戦争」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“アジアを変えた”「日清戦争」」  (2019年(平成31年)3月28日配信)です。
世界を驚かせた「日英同盟」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。