「支那事変」止まず、内陸へ拡大

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はじめに(天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典について)

 

 天皇陛下御即位に関連する一連の行事が続いておりますが、11月9日、皇居前広場で行なわれた国民祭典に参列する機会を得ました。

 

 祭典の概要はNHKでも中継されましたので、ことさら紹介する必要はないと考えますが、やはり現場にいないとわかない“肌感覚”を少しお伝えしようと思います。

 

 まず、皇居前広場会場に集まった約3万人を人々――何らかのルートでチケットを入手した幸運とも言える人々――は、入場前から警察官や係員の誘導に素直に従い、二重橋前の会場を横目でにらみながら、いったん和田倉門の方に誘導され、さらに大手町交差点まで歩かされて初めてUターンするぐらい歩かされるのに誰一人文句を言わないのです(私を除き)。

 

 それに、事前にいただいた案内チラシでは、開場は15時と明示されているのにもかかわらず、午後14時ごろ“長い迂回を終えて”ようやく会場に到着すると、特設スタンド正面部分はすでに埋まっており、15時前に会場の8割程度が埋まってしまいました。

 

 夕方になるにつれて気温が下がり、また高齢者が多いことからトイレは長蛇の列です。私はこれまでの人生で、これほど長い(トイレを待つ)列を見たことがありません(笑)。こちらも誰一人文句を言う人がおりません。

 

 席で待っている間も飲食禁止をひたすら守り、喧騒にもならず静かな時間が過ぎていきます。そして祭典が始まりました。いよいよ天皇皇后両陛下のお出ましの時間が近づき、渡された提灯を点灯し、国旗の小旗を準備します。

 

 3万人の参加者が一斉に提灯と小旗をもって立ち上がり、両陛下をお迎えしますと(当然ながら、ほとんどの参加者は二重橋近くの石橋の上におられる両陛下のお姿を直接拝見することはできず、会場に用意されたパブリックビューイングでしか拝見できないのですが)、お腹の底から沸き上がって来るような感情をもはや抑えることができなくなります。いったいこの感覚は何なのでしょうか。

 

 一連のプログラムの最後に、奉祝曲「Rey of Water」(素晴らしい組曲でした)が演奏され、人気グループの「嵐」がその第3楽章をみごとに披露した頃が祭典のクライマックスでした。その後、参列者全員で万歳三唱、それも一度で終わりと思いきや、両陛下が二重橋から見えなくなるまで何度も何度も繰り返されました。

 

 10日に実施された「祝賀御列の儀」における沿道の奉祝者数も11万9千人だったとの発表がありました。言葉で言い尽くすのは難しいですが、日本人は本当に天皇陛下を敬愛し、親しみを感じ、天皇陛下の存在そのものに誇りと喜びを抱いているということを改めて実感することでした。

 

 そして、このような畏敬の念を抱く背景には、戦後、昭和天皇が示された「国民に寄り添う」との皇室の新しい姿を、上皇陛下を経て天皇陛下が継承しておられることがあるとは言え、憲法でいう「日本国及び日本国民統合の象徴」というような概念を超えているのではないかと私は考えます。

 

 前回も少し触れましたが、武家政権になった後、天皇の地位が高まったのは江戸中期以降でした。現在までほぼ200年の歳月が流れています。その間に幾多の戦争をはじめ、色々なことがありましたが、ほとんどの日本人の中には、天皇陛下に畏敬の念を持つDNAが“微動だにしないレベル”まで定着しているのではないでしょうか。

 

 日本憲法制定時に、「象徴」としたマッカーサーの狙いやそうせざるを得なかった理由はあるのですが(細部はのちほど触れることにしましょう)、そのような言葉をもって天皇と国民の距離を割こうとしてもそれは無駄だったということを改めて感じた祭典でした。

 

日中両国の戦争指導

 

 一般に「戦争指導」については、戦いが終わった後に、しかも第三者の立場で冷静に分析してはじめてその問題点などをとやかく論評するものであると思います。いわゆる“後出し”です。

 

「支那事変」が拡大し、「南京事件」発生に至る要因は、海軍の積極的な作戦に陸軍が後追いした結果である、と第61話でその史実を解説しました。日本軍は、首都・南京を占領したものの、最終的に中国に勝利することはできず、戦線はますます拡大します。

 

他方、中国側も、蒋介石の上海および南京の防衛戦における戦争指導の迷走は戦略的に重大な過ちであり、結果として、多くの人的損害をもたらしました。また、南京を失ったものの、「日中戦争の国際化により勝利する」という戦略は中期的には成功しますが、最終的には、共産党に敗北し、台湾へ追われることになります。

 

当時の『ニューヨーク・タイムズ』は、「南京の戦いにおいて、日中双方ともに栄光はほとんどなかった」と結論付けていますが、当時から、アメリカは「勝利なき日中戦争」を見抜いていたとも判断でき、そこに“つけ入る隙”を見出していたと分析できるでしょう。その細部はのちほど触れることにします。

 

南京・重慶国民政府の抗日戦争

 

 再び、複雑な中国の国内事情を整理しておきましょう。しばしば誤解されますので、1925年から1948年までの“中華民国政府の呼称”について整理しておきます。

 

 つまり、中華民国=国民政府ではありません。国民政府は、1924年、国民党が広州で旗揚げした時からしばらくの間は、広州国民政府と名乗っていましたが、当時、国際的に承認されていたのは、清の末裔というべき北京にある政府でした。その北京政府を北伐によって倒した後は、国民政府は、広州から南京に移動し、南京国民政府と名乗り、中国を代表するようになります。日本と戦争したのは、この南京国民政府でした。その政府は、南京陥落後に重慶に移動し、重慶国民政府となります。

 

 しかし実際には、重慶には一部の政府・党機能しか置かず、武漢(南京と重慶のほぼ中間に位置)が事実上の戦時首都の機能となり、武漢において蒋介石は断固たる抗戦意志を表明します。

 

 他方、トラウトマン和平工作は南京陥落後も引き続き進められていましたがなかなか成功しません。そして1938(昭和13)年1月16日、近衛文麿は「国民政府を対手(あいて)にせず」という有名な声明を発し、トラウトマン工作は終焉します。

 

「支那事変」の内陸への拡大

 

 その後、「支那事変」の内陸への拡大の概要を振り返ってみましょう。武漢に撤退した頃から、蒋介石は、日中戦争が長期化することを意識し、「持久戦」に戦略転換します。そして同年3月、武漢で臨時全国大会を開催し、新たに国民党総裁職が設けられ、蒋介石が総裁に就任します。

 

中国軍は、山東州南部の台児荘(徐州の東北に位置)で日本軍を撃退するなど、一定の成果を上げますが、同年5月、日本軍は徐州作戦を実施し、同地を占領します。「徐州、徐州と人馬は進む…」と歌われたあの徐州です。少し前に話題になっていました『一等兵戦死』(松村益二著)で描かれている戦場もこの徐州作戦です。

 

それによると、日本軍にとってけっして楽な作戦ではなかったことがわかります。日本軍に比し中国軍の弾薬など物量の異常な多さと日本軍に好意的な地域住民などには特に驚かされます。脚色したようには見えない本書が記す“戦場の実相”が意味することを改めて認識しなければならないと考えています。

 

一方、徐州を離れた中国軍を追うように、日本軍は華南に展開を目指しますが、中国軍は黄河の堤防を破壊するなどして日本軍の南下を防ぎます。蒋介石の持久戦論に基づく“焦土戦”を展開したのでした。

 

日本軍は計画より約1か月遅れて武漢攻略に向かい、同年8月、武漢作戦を発動し、10月下旬には武漢三鎮(武昌、漢口、漢陽)を陥落します。相前後して、重慶への支援ルートを抑えようとして広州などの沿岸部も占領します。

 

蒋介石は、武漢陥落後、湖南へ撤退し、同年11月、蒋介石は、「抗戦の第1段階は終わった。事後は、民衆を取り込んだ遊撃戦を主とする持久戦を実施し、守勢から攻勢に転じる第2段階に入る」と宣言します。一般的に、遊撃戦といえば共産党の作戦のように思われますが、国民党も遊撃戦を採用していたのでした。

 

そして12月、重慶に移動し、本格的な重慶国民政府を始動させます。蒋介石は、この後、再び南京に戻る1946年5月5日までの6年半の間、重慶にとどまります。

 

さて、トラウトマン工作は失敗に終わりましたが、その後も一連の日中間の和平工作が行なわれます。しかし、蒋介石は、日本との長期戦を想定する一方で、将来的には日本とアメリカ、イギリス、ソ連と戦争を始めるであろうと期待を込めていました。つまり、単独で日本に勝利するというよりも、日本が欧米列国と対立することにより大局的に勝利することを想定していたのです。

 

よって、日本との和平交渉は世界情勢の進展を睨みながら交渉していましたので、なかなか妥協までには至りません。

 

そのようななか、1938(昭和13)年11月、日本は第2次近衛声明を発し、「東亜新秩序」を提唱して汪兆銘と連携を模索します。それに呼応するように、汪兆銘は重慶を脱出します。同年12月、近衛首相は第3次近衛声明を発し、中国に再び講和を求めますが、蒋介石は、「この抗戦は、我が国にとっては民主革命の目的を達成し、中国の独立と自由平等を求めるもの、国際的には正義を守り、条約の尊厳を回復し、平和と秩序を再建するもの」と抗戦の正義を訴えました。

 

1940年3月、汪兆銘は南京に新国民政府を樹立し、同年11月、正式に主席になります。

 

「援蒋ルート」の設定

 

 重慶政府は、抗戦のための物資の調達が困難を極めました。中国経済の中心は上海など沿岸部であり、「大後方」といわれた四川省など内陸部は抗戦のための産業基盤がないからです。にわかに重化学工業などの建設を行ないますが、簡単に基盤形成はできず、列強の援助に頼ることになります。

 

 この結果、周辺地域との間に「援蒋ルート」といわれる輸送ルートを開発が進められます。特に、雲南からビルマへの道路開通、ベトナムから雲南、ソ連から新疆への輸送ルートの確保が急がれ、このために、米英から巨額の借款が給与されました。
日本軍が沿岸部の要点を占領したことはまた、中国の経済に大打撃を与えます。さらに日本軍は、重慶政府に圧力を与えるために、湖南省の長沙作戦を実施する一方で重慶爆撃を継続します。のちに事実上、無差別爆撃となるなど激しさを増します。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)11月14日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。