「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景

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はじめに

 

 現役時代に戦史研究の一つとして学んだ記憶もあって、今回は、いきなり「ノモンハン事件」に入るつもりでしたが、今まで目を通すことがなかった『ノモンハンの夏』(半藤一利著)にはどのように記載されているかを知りたくなり、急遽読破しました。

 

そこでまず、本書の率直な印象を“正直に”述べてみたいと思います。著者は、さすがに事件に関連する書籍をよく調べ、事件の背景や事件の細部まで詳しく、しかもわかりやすく書いておられます。特に、背景にあるスターリンの対日政策の考えや日本政府が三国同盟をめぐって大議論する様子などは全くそのとおりと思いますので、本メルマガでもその一部を引用させていただいております。

 

(元自衛官の立場の)私がどうしても違和感を持つのは、著者は、執筆前から陸軍、特に関東軍を“悪玉”と決めつけるあまり、関東軍が取ったすべての作戦や戦闘を否定的にみることに“専念”しているように見えることです(真意は違うのかも知れませんが)。

 

歴史資料などは見方によって、いかようにも使えます。しかもすべての資料は“後出し”です。情報も同じです。相対する敵と味方のすべての情報が判明した後に、「我の行動は適切だったか?」とか「こうすべきだった」などの評価は意味がありません。戦場では、敵の情報は簡単にわからないもので、それが“戦場の実相”だからです。

 

また、戦場においては、我の損害を知るのは簡単ですが、敵の損害を知るのは極めて困難なことも“戦場の常識”です。今は衛星やドローンなどの監視手段がありますが、当時は、目の前で撃破した戦車や航空機数などはすぐにカウントできても、後方の砲火による損耗などは簡単にはわかりませんでした。よって、相対している敵の攻撃衝力(我を押し出す力)が弱くなった、などの“事象”により彼我の相対的な損害(残存戦力)を判定するしかなかったのです。

 

しかし、敵側に増援兵力があれば、攻撃衝力のようなものは変わりません。のちに触れますが、8月大攻勢時のソ連兵力は関東軍の4〜5倍ありました。この圧倒的な戦力によって関東軍を殲滅したかと思いきや、関東軍はかなり敢闘しました。その結果、事件全体のソ連・蒙古軍の総損耗は、関東軍の約1万9800人よりも多い約2万4500人だったことがソ連崩壊後に明らかになっています。

 

当然、当時からスターリンはソ連軍の損耗を知っています。質・量ともに圧倒的に勝るソ連軍にこれほどの損耗を与えた日本軍に対する恐怖心が再び蘇り、日本が本格的な対ソ戦は考えていないと知るや、欧州正面に集中するための対日停戦協定締結を決断するに至ったのではないでしょうか。

 

細部は本文で触れますが、確かに、陸軍中央と関東軍の確執は目に余るものがあります。この源は、明治初期プロシア参謀のメッケルによって教えられた部隊運用における独断専行(予測しなかった状況に直面した場合、第一線指揮官の責任において自主的に部隊を運用する)との教えにあります。

 

「ノモンハン事件」1年前の「張鼓峰(ちょうこほう)事件」の経験から、関東軍は「国境線が不明確な地域では、防衛司令官は自主的に国境線を認定し、第一線部隊に明示する」旨の「国境紛争処理要綱」を指示していました。これも批判がありますが、ソ満国境防衛の任務を有する関東軍としては、国境線が不明確な現地の状況から、適切な処理要綱だったのではないでしょうか。

 

日清・日露戦争、それに満州事変や支那事変に比して、「ノモンハン事件」は、日本軍が初めて経験した“本格的な近代戦”でした。今様の言葉で言えば、“技術奇襲”を受けたのでした。

 

このような情勢下でもあらんかぎりの戦力を駆使して国境線を死守しようとした関東軍の奮闘、なかでも圧倒的な量と質を誇るソ連軍に対して、自らの命を懸けて果敢に立ち向かって任務を遂行し、そして散って逝った約2万人の将兵たちに、日露戦争時の旅順攻撃と同じような“軍人魂”を感じ、私は涙が流れます。

 

高名な著者には大変失礼ながら、『ノモンハンの夏』の中で、関東軍や散って逝った将兵に関する、あの切り捨てたような描写はいったいどこから来るのか、という素朴な疑問が沸き上がりました。関東軍や将兵を散々こき下ろし、最後に、前述したように“日本軍よりソ連軍の損耗が多かった”との事実をわずか数行の紹介で済ましていることにも“違和感”を感じます。

 

歴史や軍事を知らない読者はこの本から何を学び、何を理解するのでしょうか。戦前の日本人の考えや行動が正しく伝わるのでしょうか。(無理にお勧めするわけではありませんが)未読の方にはぜひこの“違和感”を味わっていただきたいと願っております。

 

 長くなりました。「ノモンハン事件は欧州情勢を抜きにして語ることができない」ことだけは半藤氏と一致します。その視点から本論に入りましょう。

 

日ソ対立の背景―ソ連側

 

前回の補足にもなりますが、日ソ対立の要因をまとめて振り返ってみましょう。まずソ連側の要因です。

 

欧州と東アジアと地理的には遠く離れていますが、スターリンにとってはいずれもその動向が気になります。スターリンは、地球儀を見ながら戦争を指導したといわれますが、小さな地球儀上では、欧州と東アジアは“目と鼻の先の近さ”に見えたのでしょう。

 

当時、日露戦争やシベリア出兵の経験などから、一般にロシア人には日本人に対するコンプレックス(恐怖心)あったようですし、その逆(日本人のロシア人への侮り)もあったようです。

 

スターリンとて例外でなく、ドイツと日本の双方から挟撃されれば、ソ連がひとたまりもなく崩壊するという“悪夢”を常に有していたのでした。もし、ドイツとの対決を避けられなければ、少なくとも日本との戦争は避けなければならないと考えるのは当然だったのです。

 

しかし、「満州事変」以来、ソ連と日本は長い「国境線」を挟んで直接対峙することになります。日本は満州国(東北3州)の地歩を固めた後に、内蒙古、外蒙古方面へ勢力拡大を図っていました。蒙古は、ソ連にとって致命的な地政学上の利益をともなう場所であることからよけいに神経質になります。特にソ連の保護国となった外蒙古は、ソ連からすれば対日本帝国主義侵攻の防波堤の役割を担っていたのです。

 

その上、約4000qに及ぶソ満国境は、3900qが河川や湖沼で、特に歴史的に国境の目安とされたアムール川やその支流は、水量の影響で川の流れが変わるなど事態を複雑にしていました。

 

こうして、1937年の「カンチャンズ島事件」から「張鼓峰事件」、そして1939年の「ノモンハン事件」に至る事件をはじめとして、「満州事変」以降、約200件の国境紛争が起きていました。

 

そして、のちに「三国同盟」発展する「日独防共協定」(1936〔昭和11〕年)の締結は、その秘密文書の中に対ソ軍事同盟の性格を持っていましたので、スターリンをさらにいら立たせ、日ソの緊張は高まります。

 

スターリンはまた、中国情勢についても「中国国民政府の圧力がなくなれば、日本は後顧の憂いなく対ソ攻撃に踏み切る」として強く警戒していました。「西安事件」で処罰を望んだ毛沢東と激しく対立したのは、蒋介石がいなくなると中国の対日戦線が破城することを恐れたためでした。

 

その危惧を背景にして、(前回触れましたように)「中ソ不可侵条約」(1937年)を結び、中国に対して数千万ドルに及ぶ借款や武器を提供します。ソ連は、対独戦争の脅威にさらされているなかにあって、蒋介石軍に対して飛行機297機、戦車82両、大砲425門など、英米よりもはるかに実質的な支援を行なっていたのです。

 

日ソ初の本格衝突「「張鼓峰事件」

 

こうしたなか、日本軍が「支那事変」開戦以来最大の兵力をもって漢口作戦を実施していた時に起こったのが、日ソ間の最初の本格的な戦闘となった「張鼓峰事件」です(1938〔昭和13〕年7月)。

 

当初国境を越えて侵入したのはソ連兵でしたが、関東軍の第19師団は夜襲をもって国境線を回復します。大本営は、「支那事変」の処理への影響を考慮し、国境線回復後は、専守防衛の方針を示し、外交交渉による解決に努めます。しかし、ソ連は再び航空機の支援のもとに逆襲に転じ、日本軍は苦戦します。

 

結局、両軍が対峙している位置をもって停戦合意され、その後の現地交渉によって双方とも80メートルずつ離れて対峙することで決着しました。本事件は、ソ連の圧倒的な火力の反撃にあって日本軍が一方的に撃破されたようとなっていましたが、日本側が戦死約530人、負傷約910人だったのに比し、ソ連崩壊後の資料によると、ソ連側の戦死約240人、負傷約610人となっています。戦いは五分五分だったのです。

 

本事件によって、日本軍は、ソ連の火力徹底思想や戦法の軽易な改善などの実態を初体験しました。

 

日ソ対立の背景―日本側

 

再び、日ソ対立の背景を日本側からみてみますと、特に陸軍は、明治以来伝統的にロシアを仮想敵国の筆頭に挙げ、対ソ戦争を最も警戒していたこと、また満州国建設の目的の一つも対ソ防衛戦のための地歩(縦深)の確保があったことはすでに紹介した通りです。

 

昭和13年夏ごろ、ドイツから「日独防共協定」をソ連だけにとどまらず、他国にまで広げて“軍事同盟”に切り替えようという強い申し出があります。ヒトラーは、「ポーランド併合を企てた際、同盟国の英仏は黙ってはいないだろう。日本の強力な海軍力をもって両国を牽制してほしい」と期待したのでした。「欧州戦争に参加するのが嫌なら、名目だけでもいいから『日独伊の三国同盟』を世界に発表しよう」と促がしたようですが、これ以降、この「参戦」条項をめぐって政府内で大議論することになります。

 

ソ連の脅威に直面している当時の陸軍中央(主に作戦課)は、「ドイツと同盟を結ぶことで、ドイツの軍事力をもってソ連の背後から強力に牽制できる」と考え、またこれによって「ソ連からの攻撃の心配なしに中国に対して全兵力を行使することが可能になり、この勢いをもって蒋介石を和平に応じさせることができる」とも考え、「泥沼の日中戦争を早急に解決するため」とこの画策に乗ります。

 

その背景には、「持たざる国」(日独伊)が「持てる国」(英英仏)とのアンバランスを崩して世界秩序を打ち立てるという希望を実現するため、「三国同盟は我が国の国際的地位向上につながる国家戦略」だとする考えがありました。

 

板垣陸軍大臣は、「職を賭しても三国同盟を成立させる」と約束します。陸軍省内にも「中国大陸でどろ沼の戦いを続け、かつ極東ソ連軍の強大化に怯えながら、その上に英仏と戦う余力があるのか、英仏の対立は対アメリカとの戦争にもつながる」と反対する意見もありましたが、完全に無視され、政界の一部や外務省、それに宮廷内にも賛意を示す意見が増えていきます。

 

平沼首相は外交にはまったく門外漢でしたので、陸軍の弾圧に屈することが多いなか、真正面から立ちふさがったのは海軍省首脳(米内光政海軍大臣、山本五十六次官、井上成美軍務局長)でした。

 

特に山本は、「日本の海軍軍備の現状をもってしては対米英戦争に勝算は全くない。自動参戦などとんでもない」とし、この同盟は「ソ連への牽制という点では有効であっても、ヒトラーに引きずられ、日本は、英仏はおろかアメリカとの大戦争に巻き込まれる」と大反対します(同じ人物が日米戦争の発端となる真珠湾攻撃を強行するのですから歴史は不思議です。細部はのちほど触れましょう)。

 

このようななか、5相会議(首相、外相、陸相、海相、蔵相)が1939(昭和14)年1月から4月といつ果てるともなく続き、数十回を数えますが、合意に達しようとしません。そのうち、天皇が明確に「三国同盟の参戦条項に反対」の意思を表明されていることが伝わってきてきます。

 

「三国同盟」は、それから1年後の昭和15年9月、第2次近衛内閣時の外相松岡洋右の剛腕によって締結されます。松岡は、我が国の外交史で「日本を滅ぼした外務大臣」として筆誅を加えられています。また、ここに至るまで様々な紆余曲折が続きますが、それらは次号以降に取り上げましょう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)12月12日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
「東京裁判」の結果と評価
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
我が国の安全保障政策をめぐる議論
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。