はじめに
多くの昭和史研究家は、「@日中戦争が拡大し、日米戦争に至った原因は我が国にある、Aその主体は、大日本帝国憲法の『統帥権の独立』を笠に着て権力を行使した旧軍、特に陸軍にある」との“流れ”が頭に刷り込まれ、それを裏付けることに夢中になって歴史を研究し、その成果を取りまとめて出版します。それがなぜかヒットするものだから、次々にこの種の書籍が巷に溢れています。
他方、@については、ようやく「戦争を仕掛けたのは米国」との視点で解説する書籍も増えています。そして、Aの旧軍に関しては、海軍の将官を称賛したり、海軍の立場を援護する書籍は見かけますが、陸軍を援護する書籍はほとんどありません。
私は陸上自衛官として30数年も生きてきたためか、旧軍、特に陸軍の“ものの考え方”を肌感覚でわかる部分があります。今でも、国と国との付き合いにおいて、「ミリタリー・ツー・ミリタリー」といわれる軍人同士の交流は、政治家や官僚などより相互理解を得やすい部分がありますが、同じような感覚です。
そのような視点で旧軍の指揮官や参謀たちの“生きざま”を自分なりに追体験しますと、なぜかこれまでの歴史書などに書かれている内容に違和感を抱き、悶々としながら、長い間、自分なりの視点で「史実」を追い求めてきました。
大東亜戦争の意義などについては、のちほど総括するつもりでおりますが、「我が国の命運を狂わした日米戦争をなぜ避けることができかったのか」について、当時の状況に我が身を置いて追体験しつつ、できるだけ「史実」を追いかけながら書き記したところ、このテーマが本当に長くなってしまいました。
今回、そして次回は「アメリカ側から見た米日戦争への道程」を要約した形で加えてこのテーマを終了しようと思いますが、日米戦争への道程は、「我が国に一方的な責任がある」とか「軍人、特に陸軍のミスリード」というような単純なものでなかったと考えています。
もちろん、当事者であった旧軍、特に陸軍の責任を軽視するものでも安易な同情心を抱くものではありませんが、@刻々変化する欧州情勢や中国情勢に振り回され、Aしたたかな米国の戦略(工作)を読み切れず、B(チャーチルのような)国を導く強力なリーダーが不在で、Cマスコミの煽動に煽られた無責任な世論が存在するなかで、(いまだ発展途上にある)中堅将校たちが国の舵取りの判断を強いられた“歴史の流れの中の現実”にどうしても思いが至ります。
それを旧軍の“暴走”というのは簡単ですが、彼らの双肩にかかる重さを含めて、このような国家の指導体制になってしまったことまで彼らにその責任を押し付けることはいかにも乱暴という認識を持たざるを得ません。
かなり端折りながらも、日米戦争に至った節目とそこに至る葛藤を主にまとめてきましたが、読者の皆様には「どのような経緯を経て国の命運を決める決断をしたのか?」について、これまでの先入観を廃してご一読いただくことを願っております。その上で、いつの間にか出来上がった“自分なりの常識”にいささかなりとも疑問を感じていただければ、望外の喜びです。続けましょう。
日米首脳会談決裂
さて前回の続きです。8月17日、米英会談を終えたルーズベルトから野村大使に2つの文書が手交されました。1つは、「日本政府が武力によって隣接諸国に進出するなら、アメリカは一切に必要な措置をとる」との強い警告文、もう1つは首脳会談提案に対する回答で、「アメリカが従来から主張してきた基本原則に適合するもの以外は一切考慮されない」とする強硬なものでした。
これに対して、近衛は「これまでの行きがかりに捉われず、大所高所から太平洋全般にわたり日米間の重要な問題を討議し、最悪の事態を回避したい」と首脳会談にかける熱意を示します。
近衛の熱意に対して、グルー駐日大使も理解を示し、ワシントンに意見具申をします。また、大統領も乗り気であることが野村大使から伝えられ、政府や陸海軍は首脳会議に実現に向けて、随行の人選まで進めます。
しかし、9月3日、アメリカ政府の回答は「首脳会談の前に、これまでの懸案事項について日米間で一定の合意が必要である」とし、その合意の中には、「日米諒解案」の4原則も含まれていました。野村大使が日本に送付しなかったハル長官の「領土保全」「主権尊重」「内政不干渉」「機会均等」の4原則です。
さらに、ハル長官は、これまでの日米間の懸案事項であった「特定の根本問題」、つまり「中国撤兵問題」「三国同盟問題」「通商無差別原則の問題」も合意が必要と示唆します。
近衛のメッセージに全く触れていなかったこれらの問題まで「すべて合意が必要」とする米側要求について、首脳会談の前の妥協することは困難なことが明白になり、事実上、日米首脳会談の早期開催の見通しは立たなくなってしまいます。この段階で、近衛の企図は“水の泡”に帰してしまったのです。
のちの真珠湾攻撃の際の外務省の不手際が問題になりますが、「日米諒解案」の段階から米国の真意を伝えなかったことの方がよほど“罪が重い”と個人的には考えます。
交渉継続か開戦決意か
この回答を受けて、日本政府と陸海軍は「米英蘭から対日禁輸を受けた場合は、自存自衛のために南方武力行使に踏み切る」とした「対南方施策要領」の見直しを迫られますが、この場においても、陸軍省と参謀本部、海軍の間には意見の相違が残ります。
武藤ら陸軍省は慎重で、「対米戦の主力は海軍になるので、南方戦は海軍の主導によらなければならない」と、対米英戦は「海軍の決意次第」との反応を示します。
石油全面禁輸によって窮地に陥った海軍は「帝国国策方針」を作成し、8月16日、陸軍側に提示します。その内容は「10月中旬を目途に戦争準備と外交を並進させ、10月中旬に至っても外交的妥協が得られない場合は実力行使の措置をとる」というものでした。
これに対して、田中ら参謀本部は、「即時対米開戦決意のもとに作戦準備をすべき」と強硬論を主張します。背景に、海軍と違い、陸軍には「国家レベルの開戦決意がなければ戦争準備は困難」との認識がありますが、田中の強硬論には、“対米戦争の決意そのものを重視する”意図があったのでした。三国同盟破棄のような外交的妥協の可能性はほぼゼロと判断し、「戦争が主で、外交が従」という立場だったのです。
これによって、参謀本部は「即時戦争決意」を盛り込んだ「帝国国策遂行要領」を作成し、杉山参謀総長の同意を得て陸軍省に提示します。武藤ら陸軍省は、できるかぎり外交の余地を残して、あくまで日米交渉によって事態の打開を図ろうと難色を示した結果、武藤と田中が会談し、「9月下旬に至っても要求が貫徹しない場合はただちに対米英蘭開戦を決意する」と双方の妥協案で修正します。
早期の開戦決意について、田中は、来春以降の北方武力行使の可能性を捨てなかったようで、その執着心は半端でありませんでしたが、強硬論の田中でさえも、“できれば対米戦は回避したい”と考えつつ、“一定時期まで外交的妥協ができなければ対米戦を決意しなければならない”との立場でした。
陸海軍局長会議で海軍の意思を確認しますが、海軍の態度はまだ定まっていなかったようです。調整の結果、開戦決意を「9月下旬」から「10月上旬」と修正し、「帝国国策遂行要領」陸海軍案が完成します。
御前会議(9月6日)
これでようやく、第70話で紹介しました9月6日の御前会議に歴史の針が戻りました。
「帝国国策遂行要領」は、@対米英蘭戦争を辞せざる決意のもとに10月下旬を目途として戦争準備を整える。Aこれと並行して米英に対し外交手段を尽くして要求貫徹に努める。B10月上旬に至っても要求が貫徹できない場合はただちに対米英蘭開戦を決意する」となっており、70話で紹介しました原枢密院議長の「戦争が主で外交が従なのか」の発言となります。
天皇が明治天皇御製の和歌を詠まれた後、沈黙を破って永野軍令部長が「海相の答弁が政府と統帥部を代表したものと思い、発言しませんでした。外交を主とする趣旨にかわりはありません」と発言し、杉山参謀総長も「軍令部長と同じです」と直立不動で発言し、御前会議は終わりました。
近衛退陣・東條内閣誕生
驚くことに、御前会議のみならず、これに至る大本営政府連絡会議や閣議においても、近衛首相は、自ら画策した首脳会議が頓挫したせいか、戦争決意に対する異議や反対意見を一切述べておりません。首相の地位にある政治家としては極めて不可解でした。
会議後、武藤軍務局長は部下を集め、「天皇は何としても外交で妥協せよとの仰せだ」と発言しますが、服部卓四郎のように「陸相は何度も参内して天皇を説得すべきだ」という強硬な意見もあり、陸軍の流れを変え、時代の流れを止めることができたのはわずか1か月ほどでした。その理由の主たるものは、米政府首脳の態度が日に日に硬化していったことにもありました。
9月3日、日米首脳会談を事実上拒否する回答が大統領から野村大使に手交され、10月2日、ハルが野村に会い、改めて4原則を強調するとともに、「仏印と中国から全面撤兵」を求める覚書を手渡します。
近衛は、中国から全面撤兵を決意し、陸海外相らを集めて協議します。その席で、及川海相から「今や和戦いずれかに決すべきだ。その決心は総理に一任したい」と決断を強要され、東條陸相からは「駐兵問題は絶対譲れない」と断られます。
この後もハル4原則や中国の撤兵など受諾をめぐって政府と陸海軍の間に幾度となく議論が実施されますが、結局物別れに終わります。
10月15日、野村大使から「首脳会談絶対見込みなし」の電報が届きます。こうして、翌16日、日米首脳会談の希望が打ち砕かれた近衛は「閣内不一致」を理由に総辞職し、退陣を余儀なくされます。
問題は後継者でした。「陸軍を抑えなければ戦争になる。その陸軍を抑えられるものは東條以外になく、その東條に戦争回避の勅命があれば、日米交渉を再考するだろう」として原則を重んじる東條陸相に白羽の矢があたります。
10月17日、参内した東條に対して、天皇は「9月6日の御前会議にとらわれることなく、内外の情勢をさらに広く深く検討し、慎重なる考究を加えよ」と述べられました。のちに「白紙還元の御諚(ごじょう)」といわれる日米交渉の期限を白紙にする勅命です。
「甲案」「乙案」の案出
これに基づき、東條は「主戦論」を棄て、撤兵問題などで妥協する日米交渉の「甲案」をまとめあげます。その概要は「@欧州戦争への態度、つまり三国同盟の問題は従来通り。つまり、参戦決定は自主的に行う、Aハル4原則については、アメリカの主張を認める。B通商無差別は、全世界に適用されるべきとした上で承認する、C中国の駐兵問題は、従来通り、蒙疆(もうきょう:内モンゴル一部)・華北・海南島に駐兵する。交渉によって25年とするも可。それ以外は2年以内に撤兵」などと日本側からみればかなり譲歩したものでした。
11月1日の連絡会議では、第1案「戦争を極力避け、臥薪嘗胆する」、第2案「開戦を決意しこれに集中する」、第3案「開戦決意のもとに外交施策を続行する」の3案を提示します。
第1案を永野軍令部長が拒否し、第2案の杉山参謀総長と第3案の東郷外相と激しく議論しますが、第3案をもとに新たな「帝国国策遂行要領」が決まります。つまり「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」「対米交渉が12月1日午前零時までに成功する時は武力発動を中止する」というものでした。
そして、甲案を米国が拒否した場合に備え、「乙案」も用意し、2段構えの交渉で妥協に漕ぎ着けようとします。その内容は「@日本の南部仏印から撤退する代わりにアメリカは日本に石油を供給する、A両国は蘭印における必要な物資の獲得に協力する」との暫定協定案でした。
この「乙案」には、杉山参謀総長らが猛反発しますが、武藤は「乙案を拒否すれば、外相辞職、政変となる」として受け入れ説得をします。これに対して、対米戦をすでに決意していた田中は「絶対に許しがたい」として、その怒りの矛先が武藤に向けました。
新たな「帝国国策遂行要領」(甲案、乙案含む)は、(70話で紹介しました)11月5日の御前会議で決定されます。陸海軍の「対米英蘭作戦計画」はすでに10月下旬に決定されており、11月5日、山本五十六連合艦隊司令官に「大海令」が、6日、寺内寿一陸軍南方軍総司令官に「大陸令」が発令され、日米開戦に向けた準備に着手したのです。(以下次号)
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
(令和二年(2020年)2月20日配信)
著者略歴
宗像久男(むなかた ひさお)1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。
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- 日米戦争への道程(その1)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
- 日米戦争への道程(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
- 日米戦争への道程(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
- 日米戦争への道程(その4)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
- 日米戦争への道程(その5)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
- 日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
- 「大東亜戦争」をいかに伝えるか
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
- 「大東亜戦争」の戦争戦略
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
- 「真珠湾攻撃」の真実
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
- 「ミッドウェー作戦」の真実
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
- ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
- 「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
- 「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
- 終戦とマッカーサー来日
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
- 米国の「日本研究」とその影響
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
- 「WGIP」の目的と手段
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
- 「日本国憲法」の制定経緯
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
- 「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
- 「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
- 占領期初期の欧州および周辺情勢
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
- 情勢変化に伴う占領政策の変容
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
- 「東京裁判」の結果と評価
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
- 我が国の安全保障政策をめぐる議論
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
- 変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
- 「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。
- 「マッカーサー証言」の意味するもの
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「マッカーサー証言」の意味するもの」 (令和二年(2020年)8月6日配信)です。
- 「サンフランシスコ講和条約」締結への道程
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結への道程」 (令和二年(2020年)8月20日配信)です。
- 「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復」 (令和二年(2020年)8月27日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その1)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その1)」 (令和二年(2020年)9月3日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その2)」 (令和二年(2020年)9月10日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その3)」 (令和二年(2020年)9月17日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その4)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その4)」 (令和二年(2020年)9月24日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その5)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その5)」 (令和二年(2020年)10月1日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その6)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その6)」 (令和二年(2020年)10月8日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その7)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その7)」 (令和二年(2020年)10月15日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その8)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その8)」 (令和二年(2020年)10月22日配信)です。
- あとがき(その1)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その1)」 (令和二年(2020年)10月29日配信)です。
- あとがき(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その2)」 (令和二年(2020年)11月5日配信)です。
- あとがき(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その3)」 (令和二年(2020年)11月12日配信)です。