ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に

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はじめに(「緊急事態宣言」について)

 

 先週の4月8日午前0時以来、前日夕の安倍総理の「緊急事態宣言」に基づき、7都府県がコロナウイルスの感染拡大防止のために我が国が採用できる最大限の警戒態勢をスタートしました。

 

 以来1週間ほど経ち、感染者は少しずつ増える傾向にはありますが、まだコントロールの範囲なのではないでしょうか。当然ながら、この外出抑制などの効果が出るのはもっと先になると思います。

 

 宣言時に、総理や都知事が「我が国の緊急事態は、外国のように都市封鎖(ロックダウン)のような強制的なものではないし、罰則規定もない。社会機能もしっかり維持する」と強調していました。

 

総理はまた「国民の皆様のご理解を得て、自らの行動変容を変えていただく」と何度も呼びかけていますが、この宣言自体が7日になった(決して遅くはないと考えますが)要因に、経済活動へ与える影響が第一にあったことは明白ですが、同時に、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)改正時に、野党側が「慎重に」と釘を刺したように、「私権の制約を防止することがあらゆるものに優先する」ことをまるで宗教のように信じて疑わない人たちが納得するかどうか、があったと推測します。

 

私権の制約を口にする人たちはまた、緊急経済政策などについては必ず「国民の公平性を担保できるか」と主張します。だれがどのように考えても、このような事態にその尺度を一律に決めることは不可能に近い、にもかかわらずです。

 

個人的には、我が国は何とも不思議で、特殊で、かつ幸せな国との印象を持ちつつ、まさに「戦後の我が国の特殊性」が表面化してしまったことに思いが至ります。

 

「国家や社会など公のために私権を制限するのが当たり前」と思う外国人が日本のやり方に疑問を持つのは当然です。7日の安倍総理の記者会見が終わり、その場を去ろうとした瞬間を遮り、イタリア人記者が「都市をロックダウンしない日本のやり方が成功するか,失敗するかを注目している。失敗した時、総理は責任をとるのか?」と質問しました。日本人記者たちの(中身のない)質問に比べ、極めて新鮮でした。

 

現段階では、軽々には将来の姿を予測はできませんが、我が国は、日本人特有の気質もあって、このやり方でこの事態をうまく切り抜けてしまうだろうと私は思っています。

 

しかし、今回は切り抜けたとしても、「強制力がないこと」や「過度な公平感」のような考えが、将来、もっと悲惨な情勢に直面した時、あるいは国家の生存の根幹を揺るがすような非常事態が舞い込んできた時に通じるか、言葉を代えれば、特措法のような“立て付け”で十分か、と考えると、その答えは「否」でしょう。

 

今回、国際連合やEUなど国家の集合体は何ら力を発揮せず、結局、「国民の生命を守る主体は国家である」ことも明白になりました。台湾もその意味では立派な国家です。

 

その国家が、国家の生存を揺るがすような非常事態に直面した時に取り得る“究極の対応策”は何なのか、そのために法制度を含め、普段からどのような準備をしておくべきか、などについて、新型コロナ事態が落ち着いた頃に、今回の経験や教訓を糧にぜひ議論してほしいものと願っております(忘れてしまうのでしょうね)。

 

本メルマガでは、「戦後、我が国がどうしてこのような特殊な国になったか」についてはまもなく触れる予定ですが、「国家の形とか、憲法をはじめとする国家の法制度とか、あるいは国家の運用は、時代とともに、そして情勢の変化とともに、勇気をもって大胆かつ柔軟に変えるべき」ということを歴史が教えていることは間違いないと考えます。

 

さて、今回のような緊急事態に不謹慎かも知れませんが、4月8日は、偶然にも私の69歳の誕生日でした。ある意味、これまでの人生で最悪、しかし生涯忘れられない誕生日になりそうです。それでも、気丈夫に構えて、感染防止のために最大限の注意を払いながら、前向きに生きていこうと誓ったことでした。

 

「ガダルカナル島の戦い」の経緯と結果

 

前回の続きです。まず歴史の要所になると、しばしばこの名前が出てきて驚きます。有名な井上成美提督です。

 

「ガダルカナル島の戦い」(昭和17年8月〜18年2月)の端緒は、当時南洋方面の総帥でもあった井上成美第4艦隊司令官の決心のもとでガダルカナル島に航空基地建設を始めたことによって開かれました。井上司令官は、前年の8月、日米開戦に反対して会議の席上、及川海相を怒鳴りつけたことが原因で、ご栄転という形で艦隊司令官に左遷されていました。真珠湾攻撃の成功の報に接しても、「バカな!」と吐き捨てたとの逸話も残っています。

 

その井上司令官がいつの時点でミッドウエー海戦の惨敗を知ったかは不明ですが、この建設の提案に対して、当初、ミッドウエー海戦の結果を知っていた連合艦隊司令部は、ラバウルからさらに1000キロ離れているガダルカナルに対しては(制空権の確保が無理)として難色を示したといわれますが、最終的に許可します。

 

山本長官がミッドウエー海戦で失望し、ガダルカナル進出の可否や攻勢作戦方針を再検討する気配がないなか、井上司令官が惰性のままに攻勢終末点のはるか彼方で基地建設を始めたとする見方もありますが、その真意は不明です。

 

当然ながら、制空権のないこの地域の基地建設情報は米軍に探知されることになります。そして完成した航空基地に海軍航空部隊が進出する直前を狙った8月、米海兵隊が突如、ガダルカナルに上陸し、航空基地は簡単に米軍の手に落ちてしまいます。それを予測して対応策を取っていなかった海軍の“落ち度”と言えるでしょう。

 

ようやく海軍は陸軍に基地の奪回を依頼しますが、細部情報不明の陸軍は、作戦において最も戒めるべき“逐次戦闘加入”を繰り返し、激烈な消耗戦を展開して大失敗します(あまりにも悲しいので細部は省略します)。

 

井上司令官は、昭和17年10月、山本長官の推薦で海軍兵学校長に転属しますが、この時の心境を「自分は戦が下手でいくつかの失敗も経験し、海軍兵学校の校長にさせられた時は、全くほっとした」と語ったようです。山本長官同様、“軍政”では名を馳せた井上提督の“実像”を物語っているのではないでしょうか。

 

この失敗によって、「腹案」、つまり日本の戦争戦略は完全に破綻します。この結果は、我が国の作戦への影響だけに留まりませんでした。インド洋を遮断できなかったことから、アメリカは大量の戦車や兵員を喜望峰回りでアフリカ東岸航路にてエジプトに送ることができ、ドイツ軍のスエズ進出は止められ、昭和18年5月には、チェニジアの戦いで壊滅してしまいます。

 

ドイツ敗北と「無条件降伏要求」

 

 この頃、欧州戦局も重大な分岐点を迎えます。陸海軍がガダルカナルで死闘を繰り広げていた頃、独ソ両軍がスターリングラードで市民を巻き込んで壮絶な市街戦が展開していました。そして、昭和18年1月31日、スターリングラードは陥落します。

 

 スターリングラード陥落の1週間前の1月24日、米英両首脳がカサブランカで会談し、会談後、ルーズベルトが「ドイツと日本の戦力を完全に除去しない限り、世界に平和が訪れることはない。戦力の除去とは、無条件降伏を意味する」と宣言し、「カサブランカ会談を“無条件降伏会談”と呼んでほしい」とも付け加えます。

 

しかし、チャーチルは、ルーズベルトがそこまで挑発するとは考えておらす、逆に「日独に無条件降伏を要求すれば、死に物狂いで抵抗し、戦争がますます長引くに違いない」と内心、“怒り心頭に発した”と回想しています。

 

実際、“国家そのものの否定”を意味する「無条件降伏要求」を前に、日独両国は戦争を続けるしか道がなくなります。この時点で、米国は原子爆弾の開発成功を間近にして、“無条件降伏要求はこの新兵器を使う大義名分ではなかったか”との分析もあります。

 

絶対国防圏強化構想をめぐる陸海軍の対立

 

次に第3期です。昭和18年7月頃から約1か年間で、我が陸海軍が防戦一方の作戦を強いられた時を取り上げます。

 

 昭和17年末頃から連合軍の反攻が強烈になり、陸海軍統帥部は戦局の打開に苦心します。海軍側にも「戦線の縮小が必要」とする意見がありましたが、連合艦隊側は「ラバウルなど太平洋の要点の保持が必要」と主張し、現戦線の縮小に強力に反対します。

 

そして18年3月、山本長官が遭難するという事故もあって、8月、ようやく海軍の「第3段作戦計画」が示達されます。その概要は、「広大な太平洋地域で航空作戦を主として陸軍と協同して防勢作戦を遂行し、戦力の充実を待って攻勢に転ずる」というものです。

 

9月には、大本営政府連絡会議において、「今後採るべき戦争指導の大綱」として「絶対国防圏強化構想への転換」が決定されます。その範囲は千島―内南洋(中西部)―西部ニューギニア―スンダ列島(スマトラ島付近)―ビルマを含む圏域を「絶対確保すべき要域」とし、現戦線で持久しつつ絶対国防圏の防備強化に努めるというものでした。

 

しかし、1か月半前に出された海軍の「第3段作戦命令」は変更されないままでしたので、連合艦隊はブーゲンビル島やマーシャル諸島などで作戦を続行し、多大な航空戦力を消耗してしまいます。

 

この頃になりようやく、窮迫する戦況を打開する決め手として陸海軍合一論が中央統帥部などで議論され、@中央統帥部を合一する案、A陸海軍統帥部を同一場所で勤務させ、逐次合一する案、B陸海軍省まで合一する案などが提案されますが、またしても海軍首脳の反対でつぶされます。

 

カイロ会談・テヘラン会談

 

さて、第2次世界大戦は、1943(昭和18)年夏頃から、戦争の終末に向けた動きが活発になってきます。そして、独ソ戦の勝敗が明確になり、日本の後退期に入ったこの段階で、米国では、日本との戦争にソ連の参加を求める声が高まってきます。

 

ルーズベルトが、ソ連参戦の条件に関する極秘情報としてスターリンが千島列島の領有を希望していることを知り、「千島列島はソ連に引き渡されるべき」との見解を示したのはこの頃でした。

 

10月19日、米英ソ3国外相会談(モスクワ会談)の席上、ハル長官は、ソ連のモロトフ外相に“千島列島・南樺太をソ連領とする”条件を提示して参戦を求めます。モロトフ外相は即答を保留しますが、会談の最終日の30日、スターリンは「ドイツに勝利した後に日本との戦争に参加する」と伝えます。

 

11月22日から26日、ルーズベルト、チャーチル、蒋介石がエジプトのカイロに集まり、会談し、連合国の対日本方針と戦後のアジアに関する決定を行ないます。なお、スターリンは、「日ソ中立条約」で5年間の相互不可侵が定められており、当時は日本と戦争状態ではなかったため、この会談には参加しませんでした。

 

会談の結果、12月1日、「連合国は日本国の侵略を制止し、日本国を罰するために、今次の戦争を遂行している」「日本が無条件降伏するまで軍事行動を継続する」「連合国は自国の利益を求めているとか、領土を拡張しようとの思いがあるわけではない」との「カイロ宣言」が発表されます。

 

そして具体的には、@第1次世界大戦以降に日本が奮った太平洋諸島を剥奪、A満州、台湾、澎湖島のように、日本が中国から奪った領土を中国へ返還、C日本が暴力・貪欲により略取した一切に地域から日本を駆逐、B朝鮮半島の独立、なども盛り込まれていました(千島や南樺太については明示されていません)。

 

「カイロ宣言」の対日方針は、その後、連合国の基本方針となって「ポツダム宣言」に継承されますが、「カイロ宣言」はあくまで「宣言」であり、それ自体は国際法上効力を有しているわけではありません。

 

日本の北方領土返還要求の根拠に「カイロ宣言」が挙げられますが、今にして「宣言」を読めば、いかなる解釈も成り立つような極めて巧みな表現で書かれていることがわかります。のちの「ヤルタ会談」とともに戦後処理をめぐる論争の一部として振り返ることにしましょう。

 

「カイロ会談」から2日後の11月28日から12月1日まで、ルーズベルト、チャーチルのスターリン、それに3国の外相や軍指導者らが出席し、「テヘラン会談」が行なわれます。

 

会談内容は多岐にわたります。ノルマンディー上陸作戦を決行することや、戦後の世界平和維持機構の枠組みなどについても意見交換されます。スターリンは、この会談において、ドイツ降伏後の日本との戦争参戦を正式に約束します。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)4月16日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その3)」  (2019年(平成31年)3月14日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その4)」  (2019年(平成31年)3月21日配信)です。
“アジアを変えた”「日清戦争」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“アジアを変えた”「日清戦争」」  (2019年(平成31年)3月28日配信)です。
世界を驚かせた「日英同盟」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
「東京裁判」の結果と評価
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
我が国の安全保障政策をめぐる議論
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。