はじめに
今回、本文で取り上げます東條英機は、「日米戦争」を決意して以来、3年9カ月間の首相として、昭和19年2月から5カ月間は陸軍大臣と参謀総長を兼務して国家の舵取りと戦争を指導しました。
よって、その戦争責任を追及する内外の評価は厳しいものがあります。中には、「日本のヒトラー」と冠した書籍もあります。しかし、史実を正確に振り返りますと、首相としての権力・権限の低さは驚くばかりで、ヒトラーと比較するようなレベルではなかったことは明白です。緒戦の「真珠湾攻撃」の計画さえ直前まで知らされず、知った後でもそれを阻止できなかった首相の権限はその事実を物語っています。
自分の意志に反して、その資質から“適任”とは言えない首相という職務に就かざるを得なかった一面もあり、その点では“気の毒な軍人”ではなかったか、とさえ思ってしまいます。
さて現在です。安倍総理が迷走しているように見えます。これだけ先が読めない事態に直面すれば、一度決心した政策であっても、状況の変化や国民の評判などを理由に変更することについて、「柔軟性がある」と評価するか「優柔不断だ」と評価するか、意見が分かれる所だろうと思います。「露出しすぎる」と批判され、姿が見えないと「顔が見えない」とも批判されます。
国のリーダーはいつの時代も大変ですが、戦前のリーダーたちも世論に振り回されて決心を変更したことが何度かありました。ほとんどの場合、それは正しい判断ではなかったように思います。
それにしても、首相でさえ迷うその根本は、憲法に緊急事態条項がないこと、つまり我が国がいかなる事態になっても、“他国のように国家が強権を発動して私権を制限する”ことができないことにあるのは明白です。このような本質を無視して、今回の特措法に基づく「要請」を大東亜戦争時の「特攻」と似ているとした論文をネットで発見し、呆れました(世間に名前をさらすなら「もっと勉強しろ!」と言いたいです)。
表現の自由とはいえ、フェイクニュースを流したり、購読率や視聴率至上主義で、結果として世論を煽るだけのマスコミに「いいかげんにしろ!」と言いたい国民も多いのではないでしょうか。個人的には、いつになっても変わらない日本人の“体質(本質)”に頭を抱えてしまいます。
絶対国防圏粉砕・東條退陣
本文です。昭和19年になると、今度は、航空機の生産割当をめぐり陸海軍が対立します。海軍は「(己の消耗を顧みず)大東亜戦争は海洋戦であり、海を制するものが戦争に勝つ。制海は制空を前提とする」と陸軍の倍を要求します。これに対して陸軍は「(海軍の作戦を批判した後)陸上基地を枢軸として陸海空の三位一体の戦闘こそが残された唯一の戦闘法である」として「もはや太平洋の主人公は海軍ではない」と譲らず、結局、陸軍が2万7120機、海軍が2万5750機の生産で妥協します。
海軍はいたずらに損耗を重ねましたが、陸軍も無謀なインパール作戦(3月〜7月)を強行して、主力3個師団がいずれも75%以上の死傷者を出すなど、自ら絶対国防圏を弱める結果を招きます。
昭和19年6月には、マリアナ沖海戦で日米艦隊が激突し、空母3隻を失う惨敗に終わり、7月には、サイパンが約1万人の在留邦人とともに玉砕します。
このようにして1年も経たずに絶対国防圏は破られます。さすがの東條首相も自信を失いつつあり、それでも内閣改造によって打開を図ろうとします。しかし最後は、岸信介国務相の反乱に遭ったような格好で7月、ついに退陣します。後継に小磯国昭首相、そして米内光政海相が復帰し、事実上の連立内閣が成立します。
「捷1号作戦」の発動と失敗
さて、第4期(昭和19年7月から終戦までの約1年1カ月)を振り返りましょう。小磯内閣のもとで、和平をたぐりよせる期待を込めた一大決戦が「捷1号作戦」でした。
大本営は、絶対国防圏の破綻によって縮小した新国防要域の防備を急速に強化し、要域のいずれかの方面に敵が来攻した場合に、陸海空戦力を結集して決戦すると企図し、この作戦名を「捷号(しょうごう)作戦」と名付けます。そして、捷1号がフィリピン、捷2号が台湾・南西諸島、捷3号が本州・四国・九州、捷4号が北海道と区分します。
連合艦隊の中核である第1機動部隊がほとんど使いものにならず、ようやく陸海軍航空部隊の統一指揮も準備されますが、この時期の最大の問題は航空攻撃の主目標の選定でした。
海軍側は空母機動部隊の撃滅を期すことを主張しますが、陸軍側はその可能性が少ないので、広域に分散退避させて極力航空戦力を温存し、より脆弱な敵上陸船団の撃滅を主目標にすべきと主張します。この結果、海軍が空母攻撃、陸軍が攻略部隊攻撃と陸戦の航空支援とその役割を分担します。
そして、昭和19年10月、米軍のフィリピン・レイテ島への進出を受けて、「捷1号作戦」が発動されます。フィリピン在住の陸海空戦力を集中し、大打撃を与えるという決戦構想で、主戦場となるルソン島には30万人の兵士を投入する計画でした。
その作戦経過は省略しますが、海軍航空部隊が当初の計画通り、台湾沖に出現した空母17隻、戦艦6隻を含む大艦隊を攻撃、大本営海軍部は「空母11隻、戦艦2隻など大打撃を与えた」と発表し(10月19日)、久しぶりに国民は熱狂します。
しかし、まもなく撃沈したはずの空母が台湾沖を航行しているのが判明します。海軍は「今更取り消すわけにもいかない」と、またしても陸軍にさえ伝えませんでした。それがのちに未曽有の悲劇を生みます。
大本営発表を信じた南方軍はマッカーサー率いる米軍を過小評価したまま、レイテ島に戦力を投入します。ここで「捷1号作戦」が発動されますが、栗田艦隊がレイテ湾まであと80qまで迫ったところで“謎の反転”(その真相は今もって不明です)を実施し、作戦はまたしても失敗に終わります。
神風特別攻撃隊も組織され、初戦果を挙げたのもこの海戦でしたが、連合艦隊の損害が大きく、「大和」を除く主力艦の大半を失い、艦隊として決戦力を喪失します。
欧州正面の大勢決着
その頃、欧州正面は独伊の敗戦が濃厚になってきました。すでにイタリアは、1943(昭和18)年の7月にムッソリーニが解任、逮捕されて、9月には降伏、王政が廃止されて共和制に移行しました。
ドイツも敗走を重ね、1944年6月、連合国は「ノルマンディー上陸作戦」を敢行し、8月にはパリを解放。東部戦線でもソ連軍が史上最大の反撃戦「バグラチオン」を発動し、ソ連領内からドイツ軍を追い払います。
12月、ヒトラーの最後の賭けと言われた「バルジの戦い」で連合国に打撃を与えましたが、反撃されて1945年1月撤退します。
東京大空襲
戦争最後の年、昭和20年の新春を迎え、天皇は歴代首相ら7人の重臣を集め、意見聴取をします。軍部を刺激しないように、一人一人参内して内々に話を聞くという形式をとりました。天皇は重臣のだれかが「一日も早く終戦すべき」と進言するのを待っておられたようですが、唯一「即時和平」を口にしたのは近衛文麿でした。
この席上、近衛は、本メルマガでも以前に取り上げました「近衛上奏文」を基に拳上します。近衛は「最も憂慮すべき事態は、敗戦よりも共産主義革命である」として、@ソ連が戦争に乗じて欧州で共産主義を浸透させていること、A統制派が牛耳る軍部内にも共産主義の一味が存在すること、B戦争終結のためには軍部の立て直しが必要であることを進言します。
天皇は近衛の発言が終わるのを待って、「軍部の粛清が必要ということか、近衛はどう考えるか」と問われ、近衛は、皇道派の山下奉文(フィリピンで激戦中)か派閥色のない阿南惟幾(これちか)を推薦したといわれます。近衛は、この時点ではまだ「条件付き講和」を想定していたようですが、ルーズベルトは無条件降伏に固執していました。
そのような中の3月10日、初めての東京大空襲が実施されます。270機のB-29が約1万6千トンの焼夷弾を投下し、東京、特に下町の住宅密集地を狙い撃ち、一夜にして死者約10万人超、被災家屋26万棟超、罹災者百万人超の大被害が発生しました。
無差別爆撃は、明確な国際法違反であったにもかかわらず、ルーズベルトは躊躇しませんでした。終戦まで延べ約3万3千機のB-29が累計約14万7千トンの焼夷弾を本土の主要都市に投下し、幼児を含む非戦闘員約80万人超が犠牲になります。
米軍は、本土への無差別攻撃を本格化するために、サイパンと東京のほぼ中間に位置する硫黄島の確保を企図し、勝者の損害が敗者を上回るという硫黄島の死闘が行なわれます。
最後の戦いになった「沖縄戦」
そして、終戦前の最後の戦いが「沖縄戦」でした。これについても詳しく触れる必要はないと思いますが、4月1日から米軍が上陸開始し、筆舌に尽くしがたい死闘を繰り返して米軍を苦しめます。米軍が1カ月で終了すると見積った戦いは、6月19日まで約3カ月弱続きました。
この間、日本軍の戦死約6万5千人、県民の犠牲者約10万人に達します。最後の戦艦「大和」も壮絶な最後を迎えます。これに対して、米軍も戦死7600人、戦傷3万1800人超に及び、空母13隻、戦艦10隻など368隻が損傷しました。この死闘が米国をして無条件降伏要求の見直しを迫られるようになったといわれます。
米軍が沖縄に上陸した4日後の4月5日、小磯内閣が全閣僚の辞表とともに天皇に拝謁します。後継者選びのために開かれた重臣会議は激しい議論の末、枢密院議長(元侍従長)鈴木貫太郎に大命が下りました。
この場に及んでも、陸軍はなお強気で、@あくまで戦争を完遂すること、A陸海軍を一体化すること、B本土決戦のために諸施策を躊躇なく実行すること、など3条件を求めます。これまで陸海軍の統合に対して、海軍側には常に「統合すれば陸軍に飲み込まれる」という警戒感が根底にあったといわれますが、主戦力がすでに焼失した海軍はもはや抵抗する力もなかったのでした。
「ヤルタ会談」
「ヤルタ会談」や「ヤルタ秘密協定」に関する実態についてはすでに紹介していますが、昭和20年2月、クリミア半島のヤルタに米英ソ首脳が集まり、「ヤルタ会談」を実施します。
表向きはドイツ降伏後の処置でしたが、対日問題では、@ドイツ降伏後2〜3カ月後にソ連が対日戦に参加する、A南樺太及び隣接する島嶼はソ連に返還する、B旅順港の租借を回復する、C千島列島はソ連に引き渡す、などの「ヤルタ秘密協定」が交わされます。
あまりにソ連寄りのこの秘密協定にルーズベルト大統領がなぜそこまで譲歩したかの真意は今もって不明ですが、「ヴェノナ文書」で明らかになっているようなソ連スパイの活動に加え、この頃のルーズベルトはすでに正常な判断ができなかったとの説もあります。
アメリカ国内でもこの内容を知って憂慮したのが知日派のグルー国務次官でした。グルーは、ソ連参戦前の日本降伏の早期実現を考えたといわれます。
しかし不覚にも、この秘密協定を我が国が全く察知できていなかったのでした。当時の状況から、外務当局の情報収集力の非力として責めるのは酷というものでしょうが、これが後日、またしても我が国の判断を狂わせます。
特攻について
硫黄島の戦い以降、日本兵の命を懸けた神風特別攻撃隊と陸軍特別攻撃隊(特攻隊)が多用されるようになり、「カミカゼ」として米軍を震え上がらせます。終戦まで出撃し、散華した特攻隊は約2600機、うち420機以上が米軍艦船に命中、または至近命中し、大損害を与えたといわれます。
天皇陛下も特攻隊の報告を受ける時は必ず立ち上がり、敬礼されたとの記録が残っていますが、祖国の平和を愛する家族の幸せのために身をもって守ることを光栄とした特攻隊員の手記を読むたびに、ただただ頭が下がるばかりです。
このくだりを多く引用させていただいている『立憲君主 昭和天皇』(上下)の著者・川瀬弘至氏は「先の大戦で230万人もの日本の軍人軍属が戦死した。約6千人の特攻隊員をはじめ、地雷を抱えて敵の戦車に突っ込んだ日本兵は数知れない。戦争被害者、あるいは犠牲者と呼んでしまえば、先の大戦は理解できないだろう」と述べていますが、全く同感です。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
(令和二年(2020年)4月23日配信)
著者略歴
宗像久男(むなかた ひさお)1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。
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- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
- 日米戦争への道程(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
- 日米戦争への道程(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
- 日米戦争への道程(その4)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
- 日米戦争への道程(その5)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
- 日米戦争への道程(その6)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
- 日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
- 「大東亜戦争」をいかに伝えるか
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
- 「大東亜戦争」の戦争戦略
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
- 「真珠湾攻撃」の真実
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
- 「ミッドウェー作戦」の真実
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
- ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
- 「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
- 終戦とマッカーサー来日
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
- 米国の「日本研究」とその影響
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
- 「WGIP」の目的と手段
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
- 「日本国憲法」の制定経緯
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
- 「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
- 「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
- 占領期初期の欧州および周辺情勢
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- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
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- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
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- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
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- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。
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- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「マッカーサー証言」の意味するもの」 (令和二年(2020年)8月6日配信)です。
- 「サンフランシスコ講和条約」締結への道程
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結への道程」 (令和二年(2020年)8月20日配信)です。
- 「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復」 (令和二年(2020年)8月27日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その1)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その1)」 (令和二年(2020年)9月3日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その2)」 (令和二年(2020年)9月10日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その3)」 (令和二年(2020年)9月17日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その4)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その4)」 (令和二年(2020年)9月24日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その5)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その5)」 (令和二年(2020年)10月1日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その6)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その6)」 (令和二年(2020年)10月8日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その7)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その7)」 (令和二年(2020年)10月15日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その8)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その8)」 (令和二年(2020年)10月22日配信)です。
- あとがき(その1)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その1)」 (令和二年(2020年)10月29日配信)です。
- あとがき(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その2)」 (令和二年(2020年)11月5日配信)です。
- あとがき(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その3)」 (令和二年(2020年)11月12日配信)です。