情勢変化に伴う占領政策の変容

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はじめに

 

先週もN様から貴重なご所見をいただきました。まずは心より御礼申し上げます。内容は、司馬遼太郎氏に関することで、大のファンであったのが、途中から「司馬史観」に違和感を覚えたというものでした。
 かくいう私も学生の頃、司馬氏の歴史小説を手当たり次第に読み、あたかもそれらが「史実」と思い込んでいた時がありました。しかし、大人になるにつれ、小説とは違う「史実」があることに気づき、以来、読み方が変わりました。

 

先週はこの話題について深入りすることを避けたのですが、せっかく読者反響をいただきましたので、少し補足させていただきます。司馬(本名:福田定一)氏は、1943年、学徒出陣で陸軍に入隊し、兵庫県小野市の青野ヶ原にあった戦車部隊に配属されます。その後、満州の戦車学校に入校しますが、成績優秀なグループは内地に返されたらしく、司馬氏は久留米の戦車部隊の小隊長に赴任し、陸軍少尉として終戦を迎えます。

 

終戦後、司馬氏は「なんとくだらない戦争をしたのか」と悩まれたそうですが、一度も実戦を経験していませんし、失礼ながら、「戦争」とか「軍事」の本質を学ぶ機会もなく、十分理解しないまま、小説家になったものと推測します。だから、どろどろした背景を含め、「戦争」とか「軍事」を取り上げなければ小説にならない「昭和史」なればこそ、“書く気にならなかった”と勝手に理解しております。

 

余談ながら私は、20数年前、司馬氏の初任地であった、陸上自衛隊青野原駐屯地の駐屯地司令として勤務した経験があります。かつて三島由紀夫氏が兵隊検査を受検した場所ということは知っていましたが、(当時すでに有名な作家だった)司馬氏の初任地だったことは話題にもなっていませんでした。

 

 さて、前回取り上げましたが、「国民政府はなぜ共産党に敗れたか?」「アメリカがなぜ蒋介石を見捨てたか?」などについて、改めて、日本の著名な昭和史研究家、学者、外交官などの著書を調べてみましたが、目についたものはありませんでした。以前に紹介しました「日中共同研究」においても、終戦時に中国大陸に取り残された軍人や民間人の“その後の足取りを追う”ことに留まっています。

 

また知る限りにおいて、中国史の専門家の著書にも、その時期の大陸の事情については、共産党とソ連の緊密な関係の言及はありますが、米国の政策に関するものを見つけることは出来ませんでした。

 

当時、日本は占領下にあり、当然ながら外交権も保持していません。よって、国家としての必要な国外情報も収集できない時期にあり、GHQを通じて、最小限の情報を得ていたものと思われます。

 

国民の生活救済やGHQに強要された大幅な国家改造など、国内対応で精一杯だったと推測されますが、改めて、“外交権を失うことの意味”を思い知らされるような気がしています。

 

マーシャルの不思議な行動(続き)

 

ソ連軍は1946年3月、満州から撤退を始めますが、4月には共産党軍がハルピン、長春、チチハルなど主要都市を占領します。その翌月、国民党軍が長春や吉林を回復しますが、8月、共産党は満州に勝手に政府を作ります。10月、アメリカは、中国がソ連の影響下に入らないように、国民党と共産党両者に中国を振り分ける休戦提案を行ないますが、共産党はこれを拒否します。

 

その結果、1946年11月、アメリカと国民党は、共産党を無視して「米華友好通商航海条約」を結びますが(この条約締結にマーシャルがどのように関与したかは不明です)、1947年1月、マーシャルは、国務長官に就任するため中国を離れます。

 

半年後の7月、再びウェデマイヤーはトルーマン大統領から中国と朝鮮に派遣され、「政治・経済・民情・軍事」状況の調査を命ぜられます。そして2か月の調査の後、「中国は、ソ連の手先になっている中国共産党によって危機にさらされている」旨の有名な『ウェデマイヤー報告書』(1947年9月)を提出します。しかし、報告書はその後2年間、封印されたままになりますが、これを無視したのはマーシャルだったといわれます。

 

マーシャルは、国務長官に就任後、「マーシャル・プラン」という欧州復興計画を発表します。しかし、アジア正面では、自らの中国復興計画と和平調停が破綻してしまったこと(その原因は蒋介石側にあると判断したこと)に対する制裁なのか、あるいは彼自身の信念なのか、議会が決定した国民党への支援を故意に遅延させるなど、共産党を利する政策を取り続けます。

 

米国内においては、陸軍省(軍事情報部)などは中国共産党の実態を正しく把握していたといわれますが、一人の元将軍の怨念のような、かたくなな政策によって共産党政権の誕生を許す結果となったという指摘は、それが“史実”だったと言っても過言ではなさそうです。

 

それにしても、日本軍の占領政策にあれほど注意を注いだ米国が、そして歴史を振り返れば、日本と争いつつ“中国進出”を目指してきたその米国が、この時期、嘘のように中国への関心を失っていた(ように見えた)のは、実に奇妙です。

 

当然ながら、国務長官といえども、マーシャル一人の力ではアメリカの政策を左右できないことは明白です。これについては、フーバー元大統領の回顧録には「政治的野心を持った国務省の陰謀だった」と記載され、トルーマン政権内、特に国務省内のニューデーラーたちが意図的に中国の共産政権の誕生を容認したと指摘しています。

 

また、1950年、「マッカーシズム」(赤狩り)の発端となったマッカーシーの問題発言「国務省に所属し、今もなお勤務し政策を形成している250人の共産党党員のリストを持っている」などからも、当時の米国国務省の暗躍が浮き彫りになります。

 

マッカーシーの摘発の真意については、「世界を自由主義と共産主義に分割し、意図的に両陣営を対立、拮抗させることで利益を得る者たちがいる。彼らに抜擢され操られ上手に使われた政治家が、ジョージ・マーシャル国務長官その人である」と少し別な指摘もあることを付記しておきましょう。

 

“歴史を動かす”要因は常に複雑です。蛇足ながら、“〇〇史観”といわれるものに色濃く染まる人たちは、その史観を信奉するあまりそれ以外の“歴史の見方に盲目になる”傾向にあるようです。“歴史を学ぶ時のいましめ”と私はいつも自らに言い聞かせております。

 

朝鮮半島の分断

 

次に終戦後の朝鮮半島についても触れておきましょう。まず、朝鮮半島については、カイロ宣言で「朝鮮は適当な時期に独立する」とされていましたが、ヤルタ会談では、アメリカは「適当な時期」を20〜30年間とし、その間は「信託統治領とする」と表明しました。

 

1945年8月、日本の敗北によって朝鮮は独立を回復し、人々は解放を祝いました。日本支配下で独立運動を続けていた呂運亨を中心に建国準備委員会が結成され、国号は「朝鮮人民共和国」を予定していたといわれます。

 

ところが、満州を制覇したソ連が北朝鮮の国境を越え、8月24日に平城に入ります。あわてたアメリカはソ連に北緯38度線で分割占領することを提案、9月8日にマッカーサーが仁川に上陸し、「朝鮮を米軍の軍政下に置く」との布告を出します。

 

1945年12月、モスクワで行なわれた米英ソ三国外相会議で再調整した結果、「5年間の信託統治」とすることで合意します。しかし、このような大国の勝手な取り決めに朝鮮の民衆が反発、激しい「反信託運動」が起こります。

 

その結果、朝鮮独立に関する米ソ共同委員会が開かれますが、当時激しくなっていた中国の国民党と共産党の国共内戦の影響を受け決裂してしまいます。この間、北では抗日パルチザンで活躍した金日成が地歩をかため、社会主義改革に着手しますが、南では米軍政のもとでインフレが進行し、ゼネストが起こります。

 

このような流れの延長でやがて、済州島では民衆の武装蜂起が起き、多数の島民が米軍と右派に殺されるという「済州島四・三事件」(1948年4月)などへ発展していきます。

 

そして、はじめは、米ソ軍の占領境界とした38度線がいつの間にか国境のようになって南北に分断されます。米ソ両国がそれぞれの立場で統一しようと試みますが、顕在化しつつあった東西冷戦を反映し、意見の一致はみられないまま時が過ぎていくのです。

 

占領下日本の“潮”の変わり目

 

 再び国内事情です。占領下にあった我が国の終戦翌年(昭和21年)は、「まるで共産革命の前夜を思わせるような一年間だった」(岡崎久彦氏)ようです。

 

獄中18年の徳田球一や志賀義男が釈放され、中国から野坂参三が帰国し、「赤旗」を再刊した共産党の威勢は、占領軍の庇護下にあったことから天下に憚(はばか)るものがありませんでした。一般国民は共産党を猜疑の目で見ながらも「抵抗できない」と感じていたのです。

 

労働組合の発展も目覚ましいものがあり、昭和20年暮れには38万人だった組織労働者が21年暮れには560万人、23年のピーク時には670万人まで膨れ上がりました。その労働組合の3分の2以上を共産党が押さえ、かつ労働争議中の行為は刑法上の責任を問われない状況だったのです。

 

戦争が社会の平等化をもたらし、民主化の基盤を広げるのは世界共通の現象ですが、この後の占領軍の急ブレーキがなかったら「日本の左傾化はもっと進んだろう」といわれます。

 

しかし、共産党の威勢は長くは続きませんでした。260万人を擁する政府・国営企業関係の組合は共闘会議を組織して、「昭和22年2月1日を期して、待遇改善を要求する無期限ストに入る」(二・一スト)ことを決定します。鉄道も郵便も無期限に泊まるという非常事態です。巷では、人民内閣の閣僚名簿なるものまで流布されたようです。

 

しかし、共産党の革命機運の昂揚期はこれがピークでした。GHQが介入を決意するのです。GHQは、組合側の要求に対する政府側の妥協案を作らせ公表します。そして、共闘会議議長に対して銃口の下の威嚇と説得をもって「スト中止」を命じ、放送させます。この結果、革命昂揚の波はたちまちにして引いてしまいます。

 

戦後の多くの日本人の記録も記憶にも残っていないと推測しますが、我が国にも、戦前の反動ともいうべき「革命前夜」と言われるような“一瞬”があったのでした。

 

GHQ内の対立

 

さて、前回紹介しましたような国際社会の動き、すなわちチャーチルの「鉄のカーテン」演説や「トルーマン・ドクトリン」の発表、さらには、中国大陸では国共内戦の最中でもあって、GHQおよび米国本国も異なる意見の対立が深まっていました。

 

つまり、理想主義的な考えをもとに、「過去の日本をすべて悪ととらえ、抜本的な改造を強力に推し進めよう」とした民生局のホイットニー局長やケーディスらに対して、「ソ連をはじめとする共産主義との対決をアメリカの対外政策の主要課題とする」との現実主義的な考えを持つ占領軍情報部(GU)のウイロビー部長や第8軍のマイケルバーガー司令官らが対立し始めます。

 

その後の歴史を観れば、どちらの判断が正しかったはあまりに明白ですが、この対立は、「二・一スト」以降約2年間、ケーディスらが敗れて辞職するまで続けられます。

 

では、理想主義者と現実主義者たちの間に立っていたマッカーサーの心境はどのようなものだったのでしょうか。当時のマッカーサーは、翌年(1948年)の大統領選挙が頭にあり、“リベラル派からの指示や批判も考え、様々な占領政策の手を打っていた”との事実が残っています。

 

たとえば、「二・一スト」時のGHQの労働担当官をその後更迭し、本国の労働組合の支持の強い担当官を任命します。再軍備論の論争も大統領選を睨んでいたといわれますが、マッカーサーは、ゼネスト禁止3日後、新憲法下で初の総選挙の実施を吉田首相に示唆します。この結果、同年4月25日、総選挙が行なわれ、結果は、社会党143、自由党131、民主党124となり、吉田は野に下り、日本の憲政史上唯一の社会党内閣である片山哲内閣が組閣されます。

 

民生局にとっては待ちに待った政権で、組閣にも口を出したようです。しかし、吉田が予想したように、少数与党内閣はわずか3か月しか持たず命脈を絶たれます。それでも民生局は、政権を吉田に渡さず、「GHQのご意向」ということで芦田内閣が成立します。その芦田内閣も昭電疑獄事件で倒れます。裏に情報局の工作があったといわれていますが、このようにして、再び、吉田単独少数内閣が誕生します。

 

この頃、米国の対外政策は、冷戦の激化を反映して急激に変わりつつありました。その推進力となったのは、陸軍省、そして陸海軍を統合して新設された国防総省、さらには国務省の政策企画室などでした。当然ながら、ニューデーラーやリベラル派はこぞって抵抗します。そのような中、実際に米国の対日政策を転換させたのは、元駐日大使のジョセフ・グルーらのジャパン・ロビーだったとの分析もあります。

 

彼らは「日本の占領政策は、共産主義に対抗する『極東の砦』としての日本の潜在的な能力を損ねてしまった」として「日本の占領は、失敗に次ぐ失敗だった」と断言するのです。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)7月2日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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明治時代の「国民精神」を育てたもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「明治時代の「国民精神」を育てたもの  (2019年(平成31年)2月21日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その1)」  (2019年(平成31年)2月28日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その2)」  (2019年(平成31年)3月7日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その3)」  (2019年(平成31年)3月14日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その4)」  (2019年(平成31年)3月21日配信)です。
“アジアを変えた”「日清戦争」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“アジアを変えた”「日清戦争」」  (2019年(平成31年)3月28日配信)です。
世界を驚かせた「日英同盟」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
「東京裁判」の結果と評価
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
我が国の安全保障政策をめぐる議論
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。