変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜

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はじめに

 

 7月10日、「朝鮮戦争の英雄」であり、韓国陸軍初の陸軍大将・白善Y(はく・ぜんよう)将軍(99歳)が亡くなるというニュースが届きました。

 

白将軍は、満州国軍官学校を卒業され、「朝鮮戦争」勃発時には、韓国陸軍第1師団長として初期の防衛作戦で大活躍し、その後、第1軍団長を経て、1952年には、31歳の若さで韓国陸軍参謀総長に就任、翌53年に韓国陸軍初の大将に昇任しました。

 

白将軍は、「朝鮮戦争」の教訓から「韓国繁栄の基は、海洋国家の米国・日本との紐帯にこそある」を信念として持っておられた、数少ない親日派として、陸上自衛隊の高官、中でも歴代の韓国駐在武官らと交流を深めておられました。元韓国駐在武官の福山隆氏は、最近の厳しい両国関係の中にあっても、「韓国人の中にあれほど偉大な人がいる限り大丈夫、と自分の心をクールダウンさせてくれた人物だった」と回想しております。

 

 私個人にも、現役時代、白将軍に一度だけお会いした経験がありますが、我が国の旧軍出身や自衛隊の先輩将官とはまた違った「偉大な軍人」との印象がしばらく頭から離れなかったことをよく覚えています。

 

将軍の書籍もほとんど読んでいますが、中でも、自らの経験のもとに書かれた『指揮官の条件』は、「戦場統率」つまり“戦場において指揮官はいかにあるべき”を学ぶ数少ない良書として、折に触れて参考にさせて頂いておりました。

 

 本メルマガで、「朝鮮戦争」を取り上げるこのタイミングで白将軍の訃報に接し、何か不思議な縁を感じざるを得ません。(合掌)

 

“赤狩り”の拡大

 

 前回、共産党の追放について触れましたが、GHQと吉田内閣による“レッドパージ(赤狩り)”の実態についてもう少し補足しておきます。マッカーサーは、占領直後に牢獄から釈放した日本の共産主義者たちを5年後の1950(昭和25)年には“極悪人扱い”することにより、占領政策の“本姓”を国民に公然と見せつけました。

 

マッカーサーの指示を受け、吉田内閣による“赤狩り”はかなり本格的に実施されます。共産主義を少しでも匂わす出版物は無期限に発行禁止にしたことに加え、マスコミの“赤狩り”も徹底し、各報道機関は社内の共産主義者らを解雇します。その数は、「朝日新聞」72人、「毎日新聞」49人、「日本経済新聞」20人、「NHK」99人、「共同新聞社」33人などでした。

 

全国の教職員も、共産主義者あるいは共産主義と見なされる教師も辞職を勧告され、その結果、約1200人(全体の0.2%)の教師が辞職しました。この数字を多いとみるか少ないと見るかは意見が分かれるところですが、当時は、「危機的に高い」に見なされていたようです。事実、日教組や全学連のような団体は依然として各地で共産党擁護の騒動を起こしますが、特に日教組は、「教え子を再び戦場に送るな!」のスルーガンを採用し、闘争を表明します。

 

マッカーサーは、「民主主義」の手引書を導入して若者教育を試みたり、新しく任命された天野貞祐(ていゆう)文部大臣は再び「日本精神」の復活を提唱し、「静かな愛国心」を育てようと努力します。

 

中でも、天野文相は、「明治節」(明治天皇の誕生日)の11月3日を「文化の日」と定め、占領下で禁止されていた「国歌」を歌い、「日本国旗」の掲揚を提唱して、マッカーサーの認可を取り受けます。

 

このようにして、全国規模で実施された“赤狩り”は、約2万2千人に達しました。背景に「世論の支持」というか、「世論の沈黙」、つまり、共産主義者を弁護しようものなら「赤」と見なされたため、多くの国民が沈黙したこともあったようです。

 

この“赤狩り”は、憲法が保障する「基本的人権の保障」を犯しているのはないか、との議論もありましたが、吉田首相は、「政府は共産主義者達の追放を正当と見なした」として、逆に「憲法は、共産主義者達を犠牲にしてでも守らなければならなかった」と回想しています。

 

のちの共産党は、(本音ではないと推測しますが)“自分たちを犠牲にした”憲法を擁護する護憲政党になるのですから、何とも不思議です。

 

日米安保条約締結への道

 

 さて、前回に引き続き、日米安保条約締結への経緯を振り返ってみましょう。1948(昭和23)年秋、イギリスから新たな条約案が示唆されますが、安全保障に関する条項はなく、米国国防総省は「現下の極東情勢の下では対日講和は時期尚早」と考えていました。

 

日本が再軍備すれば、その一つの解決策になり得たのでしょうが、マッカーサーは頑として聞き入れず、「日本は極東のスイスになるべき」と繰り返し語っていたのがこの時期でした。

 

 吉田首相は、ドッジの緊縮財政を緩和する必要性をアメリカに訴えるために、1950年4月、池田隼人蔵相を訪米させます。この際、吉田は「日本は早期講和を希望する。その後、日本及びアジアの安定のために米軍を駐留させる必要があるので、アメリカ側から言い出しにくいのであれば、日本側からオファーする」と池田に語り、先方の意向を打診することを命じます。

 

この打診によって、日本側の意向が初めてワシントン当局に直接伝わったことになりますが、GHQは、マーカーサーの頭越しで協議を行なったことに強い不快感を示します。池田蔵相は叱責され、GHQへ出入りを指し止めされます(「渡米土産事件」と呼ばれています)。

 

この前後に吉田・マッカーサーでどのようなやり取りがあったかは不明ですが、その年の元旦、マッカーサーは「挑発なき攻撃に対する固有の正当防衛権を完全に否定すると解釈することはできない」として、「マッカーサー3原則」の解釈時、そして「芦田修正」時にすでに認めていた「自衛権」について、初めて公にメッセージとして言及します。

 

それから3週間後の施政方針演説において、マッカーサーと言説を合わせ、あれほど“自衛権放棄”に拘(こだわ)っていた吉田が「戦争放棄の趣旨に徹することは、けっして自衛権を放棄するということは意味するわけではない」として、「我が国が民主主義、平和主義を徹底し、厳守するという国民の決意が、平和を愛好する民主主義国家の信頼を確保し、相互の信頼こそ、我が国を守る安全保障である。これが国際協力を誘致する」旨を表明し、左翼から“態度豹変”として厳しい批判を受けます。

 

吉田は「自ら軍備がなくとも、自衛権の行使の一形態としてアメリカに守ってもらうことはできる」と明言することによって、日米安保条約締結への道を開いたのです。

 

吉田はまた、憲法前文でいう「平和を愛する諸国民」を「平和を愛好する民主主義国家」――複数ではない――に言い換えています。端的に言えば、「マッカーサーの言うことを聞いて、非武装に徹しておれば、米国という平和を愛する民主主義国家が日本を守ってくれる」。それが「国際協力を誘致する」として、平和条約と日米安保条約が手結(てつがい)されることを示唆したのでした。
マッカーサーの年頭メッセージと吉田の施政方針がぴったりと符節が合っているのは、決して偶然の一致ではないと考えるべきでしょう。

 

「ダレス」来日

 

「朝鮮戦争」勃発前、国内では、講和条約をめぐっては「単独講和」か「全面講和」の議論が盛んに行なわれます。東京大学南原繁総長がアメリカ一辺倒を公に批判し、ソ連や中国を含む「全面講和」と独立後の日本の“完全中立”を主張します。これに対して吉田は、南原を「曲学阿世」(己の学問を曲げて世の流れにへつらうこと)と批判し、論争が拡大します。

 

 この論争は、「朝鮮戦争」の勃発によって急速にしぼむのですが、「単独講和」を強力に押していた吉田は“将来が読める指導者”として株を上げる結果になります。

 

 1950年5月、共和党の元上院議員ジョン・フォスター・ダレスが米国の超党派外交の役割を担い、対日講和条約の責任者としてトルーマン大統領から指名されます。そしてダレスは、「朝鮮戦争」勃発直前の6月、来日します。

 

ダレスは、マッカーサーをはじめとするGHQ幹部や日本政府の要人らと面談し、会った日本人のほとんどが自国の安全保障について「国連に期待する」「憲法第9条によって平和を守る」のような返答をしたことに困惑します。

 

この時点での吉田首相の判断は、本人の述懐によれば「再軍備に対して私は正面から反対した。なぜなら日本はまだ経済的に復興していなかったからだ。経済自立のために耐乏生活を国民に強いなければならない困難な時に、軍備という非生産的なものに巨額な金を使うことは日本経済の復興を極めて遅らせたろう。・・再軍備をすればアジアの近隣諸国を刺激するかもしれなかった」だったようです。

 

 マッカーサーや吉田の言動に加え、占領軍の原論統制のもとに他の考えが入り込む余地がなかったといえばそれまでですが、「これが戦後の日本人一般の安全保障観の出発点だったとすれば、戦後の我が国の安保思想が混迷するのは無理もないことだった」(岡崎氏)のでした。

 

「朝鮮戦争」前夜

 

 我が国が周辺情勢など“どこ吹く風”に、憲法第9条を「お守り」のように握りしめ、「永久平和」の念仏を唱えていた時、突然、「朝鮮戦争」が勃発します。

 

 朝鮮半島の状況、特に、統一を狙った北朝鮮の様々な企てについてはすでに述べましたが、勃発前の韓国側の状況に触れておきましょう。

 

南北の統一をめぐって米ソ両軍の撤兵が提案され、一部撤兵が開始されていた1948(昭和23)年頃、韓国軍隊が各地で反乱を起こします。そして反乱に失敗した革命軍は、各地でゲリラ活動を実施します。このゲリラは49年春には約2万人に増え、地域にして韓国の40%を制するまでになり、「昼は大韓民国、夜は人民共和国」と記されたほどでした。

 

ゲリラ活動は、韓国軍の討伐によって50年春ごろまではおおむね終息しますが、これに呼応するように、38度線付近で国境紛争が発生し、師団級の交戦にまで発展していきます。

 

北朝鮮の朝鮮人民軍は、ソ連の支援を得て逐次増強され、開戦時には約13万5千人、戦車150両、砲600門、航空機196機を数え、完全編成の8個師団、未充足の2個師団を基幹に整備が進んでいました。

 

これに対して、ゲリラや共産分子の粛清、そして国境紛争に対処しながらの増強を余儀なくされた韓国軍は、50年春の時点でようやく9万8千人、装甲車7両、砲89門、航空機32機しかなく、9個あったとされる師団はその編成も装備も訓練もまちまちでした。中でも北鮮軍にある戦車が韓国軍にはなく、有効な対戦車手段も保有していませんでした。

 

補給品もゲリラ討伐や国境紛争のためにほとんど使い尽くした上、李承晩大統領の北伐論を心配し、米軍はことさらに補給品の交付を制限していたのでした(なぜ、米軍がこのような状況判断をしたかは不明です)。

 

1950年5月、北鮮軍が38度線に集中していることを察知した韓国軍は、「侵略の危機が迫っている」と米国軍事顧問団に警告する一方、李大統領は「北辺に危機が迫っている。これを予防し、韓国の安全を守るためには米国の援助以外に方法はないが、援助量は必要を満たしていない」と重ねて米国の援助を要求します。

 

国連は、度重なる国境紛争や国境付近の不穏な情勢を監視するために、軍事監視班の設置を決め、勃発2週間前の6月12日、監視班の一部が38度線付近を視察します。その結果、「攻撃を受ける現実的な兆候はない。万一侵略が起こっても、韓国軍はこれを撃退できる」とし楽観します。

 

来日のついでに朝鮮半島まで足を伸ばしたダレスは、6月18日、38度線を視察し、「異常を認めず」として、22日、マッカーサーにも「楽観している」旨の見解を報告します。

 

韓国軍は、ついに最後の瞬間まで北鮮軍の能力や攻撃準備の“度”を察知することができなかったのです。のちに、これらのミス判断は、韓国の諜報費が少なかった上、共産圏独特の警察組織と住民組織のため、北鮮にスパイを送ることができなかったことが原因と分析されています。

 

余談ですが、数年前、「韓国の高校生の7割以上が『朝鮮戦争は北進だった(南が北に攻めた)』と答える」というニュースを観て、歴史教育の恐ろしさが強く印象に残った記憶があります。また日本においても、最近こそあまり話題になりませんが、宗教のように一途に「北進論」を唱える人たちがおりました。

 

これについては、個人的には“論評に値しない”と考えていますが、圧倒的な軍事力の差異からしても、「北進の可能性は皆無」が“常識”と考えます。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)7月23日配信)

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
「東京裁判」の結果と評価
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
我が国の安全保障政策をめぐる議論
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。
「マッカーサー証言」の意味するもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「マッカーサー証言」の意味するもの」 (令和二年(2020年)8月6日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結への道程
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結への道程」 (令和二年(2020年)8月20日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復」 (令和二年(2020年)8月27日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その1)」 (令和二年(2020年)9月3日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その2)」 (令和二年(2020年)9月10日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その3)」 (令和二年(2020年)9月17日配信)です。