はじめに
私は、生まれる前から(?)と言っていいほど、根っからの巨人ファンです。先日、原辰徳監督が川上監督の記録を抜き、監督として歴代最高勝利を達成し、現在、日々その記録を更新しています。
スポーツ紙などでも話題になりますように、最近、原監督の補強戦略、選手起用、ここぞという時の“勝負勘”が冴えわたっているとの印象を持ちます。
原監督は、現在3回目の監督就任中ですが、最初の監督で苦杯をなめて引退しようとした時、中日の星野元監督に「帰ってこい」と励まされて涙ながらに野球場を去った映像が頭に焼き付いています。
以来、人知れず様々な努力をして多くを学び、経験を積み重ねてきたのでしょう。その結果、2度目の監督就任以降は、“常勝監督”の仲間入りをして今日の成績を残すまでに至りました。
私事ながら、ちょっとしたご縁があり、私の部屋には、「夢進」と達筆に書かれた原監督の色紙が飾ってありますが、今もなお、自身の夢をばく進中なのでしょう。いかなるスポーツでも、「勝負」に勝つためには、知識や理論だけでは克服できない「経験」がモノを言う部分があると思います。勝利の「経験」がまた次の勝利の“勝負勘”を生み出します。
「戦争指導上」の要因――国家の戦争指導体制
「勝負」という意味では、国と国との「戦争」も同じではないかと考えます。戦略眼、先見洞察力、勝つためのしたたかさ、その時々の勝負勘、非情さ、それに加えて、人智を越えた“運”まで、一握りの軍人やリーダーたちのみならず、民族や国家に蓄積された様々な「経験」がモノを言うと考えれば、「大東亜戦争」における我が国の「敗因」についても納得する部分がたくさんあります。
このような視点をもって、本メルマガ流の総括の最後「戦争指導上の要因」を取りまとめてみようと思います。
日露戦争においては、「日本海海戦」を勝利に導いた秋山真之という天才的な作戦参謀の活躍が脚光を浴びました。しかし、「総力戦」となった第1次世界大戦以降、「勝利」の“鍵”は、特定の戦場や戦いで能力を発揮する軍人たちの手を離れ、ルーズベルトやチャーチルといった天才的(?)な国のリーダーの手に握られることになりました。
古くローマ時代において、国家の非常事態には、強大な権限を有する政務官として「独裁官」が任命され、この「独裁官」に戦争指導を託しました。ルーズベルトやチャーチルは、このような歴史を学び、「総力戦」における自らの役割を実践したものと推測します。
「敗戦」を昭和の軍人たちだけの責任とするのは“史実”と違うことを何度も指摘しました。確かに軍人たちは、国家を背負う覚悟で「国家総力戦」体制を推進しました。それ自体は正しい判断だったと思いますが、我が国の不幸は、「勝利」のために大所高所から決断し、この軍人たちを使いこなす天才的(?)な国のリーダーが現れなかったこと、あるいは一元的な国家の戦争指導体制を構築できなかったところにある、とどうしても思ってしまいます。
米英にルーズベルトやチャーチルが現れたのに比し、我が国が天才的なリーダーの輩出や一元的な戦争指導体制の構築を困難にした要因は何だったのか、そのもとをたどると、どうしても「我が国の統治制度(運営体制)」に行き着きます。「我が国の統治制度」について、繰り返しになりますが、もう少し補足しておきましょう。
すでに紹介しましたように、我が国は、飛鳥時代の7世紀に「律令制度」を導入してから、一部改正はしましたが、明治初期までの約1200年間もの長きにわたり保持し続けました。そして、明治憲法は現憲法が制定されるまでの57年間一度も改正なし。現憲法も制定以来70年余りの歳月が流れます。
こうしてみますと、一度、国の統治制度を制定すると、“何か”あるまでは改正しないのが我が国の“国柄”、あるいは“風土”と呼ぶべきものなのかも知れないと思ってしまいます。
戦前の歴史を振り返りますと、私は、大正時代あるいは昭和初期に、将来を見通して憲法をはじめ国の統治制度を改正すべきだったと考えます。
特に、第1次世界大戦後、「ドイツ帝国」「オーストリア・ハンガリー帝国」「ロシア帝国」「オスマン帝国」の5大帝国が滅亡しますが、ドイツ(プロシア)に倣った我が国が、なぜあの時点で「欧州の帝国滅亡を“他山の石”として、憲法をはじめ国の統治制度を見直そう」と、なぜ当時のリーダーや有識者たちのだれも声を挙げなかったのか、と何とも不思議な思いにかられ、かつ悔やまれます。
国内的にも、名君の誉れが高かった明治天皇をはじめ元老たちが他界したとか、「統帥権」の“ほころび”が顕在化したとか、大正デモクラシーが隆盛したとか、見直しの契機となる“現象”がたくさん生じていたのでした。
その時点では、まだ「日英同盟」も健在だったことでもあり、英国そして新鋭の米国に学ぶことが可能だったと考えますが、戦勝国の仲間入りした結果、「一等国」と浮かれてしまい、国家を挙げて彼らと張り合うことに東奔西走してしまいました。
その延長で、東京裁判の「共同謀議」との判決趣旨に被告者たちが失笑したように、我が国の統治の実態は、「政軍不一致」「陸海軍対立」と言われたように、「共同謀議」と逆の体制下にあり、首尾一貫して統一した国の舵取りができないまま、戦争を回避できず、かつ敗戦に至ります。
律令制度は、明治維新という革命に似た歴史的大変革によってその役割を終えました。明治憲法は敗戦によって廃止され、現憲法にとって代わりました。現憲法は、今や188カ国中14番目に古い憲法となり、「改正なし」という点では“世界最古の憲法”だそうです(憲法学者西修氏)。
現憲法は、護憲学者や一部の政治家などがいくら詭弁を弄しても、「押し付けられた憲法」であることは間違いなく、国家の統治制度の骨幹をなす憲法という観点から多くの不備があることは明白と考えます。このまま放置すると、その“何か”を誘起する要因となる可能性さえあるでしょう。
あまりに有名な「歴史は繰り返す」の格言に従えば、このままでは、現憲法も“何か”が起きてはじめて改定される運命にあります。このまま放置してその“何か”が起きるのを待つのが、今に生きる私たち世代の選択として最適な選択なのでしょうか。「歴史が繰り返さない」ように「歴史に学ぶ」必要性を強く感じます。
「戦争指導上」の要因――戦略・戦術の不一致
「戦争指導上」の要因の2番目は、「戦略・戦術の不一致」です。本メルマガでは、「満州事変」以降終戦までの各結節で“誰が主導権をもって我が国をリードしてきたか”に主眼におきながら、“史実”の解明に努めました。
クラウゼヴィッツは「戦略の失敗は戦術で補うことはできない」との有名な言葉を残していますが、一般には、“戦略(作戦)と戦術の一致”こそが勝利を得るために必要不可欠の要素です。
昭和初期の大陸進出以降、一貫した「国家戦略」のようなものがなかったことに加え、我が国は、「戦術的には大成功だったが、戦略的に大失敗だった」(『歴史の教訓』(兼原信克著)とされる「真珠湾攻撃」により、日米戦争の緒戦において致命的な失敗を犯しました。
ルーズベルトの謀略にみごとにハマったとは言え、今なお一部の日本人から英雄視されている山本五十六連合艦隊司令官の独断をだれも止めることができなかったという統治制度から来る構造的な欠陥を露呈する形となりました。
瀬島龍三氏は、真珠湾攻撃について「戦争抑止軍備が時に戦争促進軍備になるという軍事力の持つ“慣性”であり、海軍もその轍を踏んだ」と解説したことをすでに紹介しましたが、海軍の航空戦力をもって攻撃を敢行した山本提督は、艦隊派と激しい抗争を経てようやく整備し海軍航空部隊の“生みの親”でもありました。
瀬島氏指摘の“慣性”が山本提督個人を指しているかどうかは不明ですが、その後も、海軍は、我が国が当初目指していた戦争戦略(いわゆる「腹案」)とは全く別な戦いを繰り広げました。つまり、戦略と戦術の不一致のまま、ついには連合艦隊そのものも滅亡し、国土戦の一歩手前で敗戦となります。
大本営政府連絡会議で決定した戦争戦略をなぜ現場の指揮官が順守できなかったのか、については様々な要因があるのは明白ですが、冒頭に触れたような、個人や国家としての「経験不足」などが背景となって、旧陸海軍の戦略・戦法、軍備、人材育成などあらゆるものの総和が“欠陥”となって現れたと指摘されても弁解の余地はないと考えます。
軍人たちの使命感(覚悟)と「武士道」精神
それでも私は、山本提督らは、戦争終末に至る見通しの甘さを含め、戦略上の失敗を知った上であえてこのような奇襲作戦を敢行したのではないか、との疑問が頭から離れません。
山本提督の独断を「海軍の伝統」として承認した、開戦時の軍令部長の永野修身大将は「戦わざるも亡国、戦うも亡国。しかし戦わざるの亡国は精神の亡国である。最後まで戦う精神を見せての亡国なれば、いずれ子々孫々が再起三起するであろう」との言葉を残しています。
東條英機、のちに瀬島氏も「自存自衛の受動戦争であり、米国を敵とした計画戦争ではなかった」と証言していますが、これらの言葉の中に、私は、当時の陸海軍の将校たち共通の使命感や覚悟、そして生き様を垣間見る思いがするのです。
しかもそれらは、有名な「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」とか「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」との辞世の句を残して散った吉田松陰が「草莽崛起(そうもうくっき)」(在野の人々よ立ち上がれ!)と唱え、高杉晋作や久坂玄瑞や西郷隆盛らをはじめ、明治維新の実現のために命を捨てた多くの志士たちの心を動かしたこととどこか共通していると思うのです。
この精神は「不合理を愛する」精神とも解説されていますが、永野大将は、万が一「敗戦」して亡国になったとしても、「戦う精神」を歴史に留めることを重視し、時代を超えて後世に訴えようとしました。
そのような覚悟を持って臨んだ日米戦争ではありましたが、出来得れば、「緒戦で一泡吹かせてどこかで休戦」とだれもが思っていたはずです。たぶん、日清・日露戦争の終末をイメージしていたものと推測します。
しかし、時代は「総力戦」でした。実際に、科学・技術や経済力など国家の総力を活かし、陸にあっては戦車、海にあっては潜水艦、そして航空機のような近代兵器を投入した消耗戦までは予想していたとしても、大型爆撃機による焼夷弾攻撃、終いには原子爆弾による無辜の民の無差別殺戮まで視野に入れた「総力戦」をイメージしていたとはとても思えないのです。
そう考えると、「真珠湾攻撃」によって、アメリカを“本気モード”にさせてしまったことが戦略的な大失敗だったということに行き着くとしても、その実は、「総力戦」における“戦争終末の見積り誤り”こそが最大の過失だったと言えると考えます。しかもそれは、当時の軍人たちの戦局判断の範囲をはるかに超えたものだったと言わざるを得ないのではないでしょうか。
その上で私は、これらの戦局判断のブレーキになった精神こそが「武士道」の精神ではなかったと考えます。明治以降、「富国強兵」の主役に躍り出た軍人たちでしたが、「卑怯にならない」精神もいうべき「武士道」の精神は保持したままでした。
旧軍は確かに夜襲などをひんぱんに採用して、敵を恐れさせました。しかし、これらはあくまで“戦場の敵の戦力を撃破する”戦法の範囲であり、非戦闘員を攻撃するという「卑怯さ」にはかなりブレーキがかかりました。
重慶爆撃のように、蒋介石に巧みに吸引されるような格好で民間人の住む地域を爆撃した例はありますし、マニラなどの市街地戦争などでは住民を巻き込まざるを得ませんでした。あるいはアジア人に対してはある種の差別意識があったのかも知れません。
しかし、WGIPや東京裁判の一方的な指摘と戦場の実相はかなり違いますし、我が国の軍人たちが、米軍による東京大空襲や広島・長崎への原子爆弾投下のような、非戦闘員だけの殺戮を目的にした作戦を断行できたかどうかについては疑問が残ります。
我が国は、欧米諸国に「総合力」で負けた
長くなりますがもう少し続けます。「非情」という意味では、敵国の無辜の民の虐殺だけではありません。ルーズベルトが真珠湾攻撃を暗号解読によって事前に知っていたにもかかわらず、現地に知らせず3000人以上の兵士を見殺しにしましたし、チャーチルは、ナチスと戦うためカレーの4000人の兵士を犠牲にしてダンケルクの30万人を救いました。
現代戦の本質でもある「勝つためには手段を選ばない」戦略は、味方を犠牲にするのも厭わないのです。これは、兵士の命を犠牲にしても戦力発揮を強要する「人命軽視」とはその本質が違います。
それだけでは終わりません。ルーズベルトの謀略に乗せられたような「真珠湾攻撃」が、トルーマンに「野獣のような人間とつきあうのには、相手を野獣として扱わなければならない」として原爆投下の大義名分(正当性の根拠)にまで使われてしまいます。
正直言えば、「お前らに言われたくない」の一言ですが、トルーマンはさらに“悪知恵”を発揮します。ソ連の満州侵攻後、日本降伏の報告を受けたトルーマンは、なおもソ連が戦争継続していることを知り、攻撃作戦を一時停止するようアメリカ軍に命じています。ソ連による日本軍の人的損害が拡大することによって、原爆による人的損害を小さく見せることを企図したといわれます。
事実、参戦後、ソ連軍は270万人の日本人を捕らえ、35万人から37万5千人が最終的に死亡、もしくは行方不明となります。その上、64万人の日本人捕虜がシベリア各地の強制労働収容所に送られ、約6万人以上がシベリアで犠牲となるのです。
これに対して、原爆の犠牲者は広島長崎合わせて約21万人あまりです。その上、この数字を正当化する(だけの)目的で、東京裁判では「30万人の南京大虐殺」をでっちあげます。
我の謀略を敵の過失(悪)として国民の戦意を煽った「リメンバー・パールハーバー」の標語や原爆の大義名分や正当性を印象づける謀略に至る“したたかさ(悪さ)”こそが、彼らの「総力戦」であり、勝敗を分かつ岐路になったと私は考えます。
そこには、ルーズベルトやトルーマンやチャーチルなど、国のリーダーとしての個人的資質のならず、長い歴史の中で、何度も戦争を経験し、勝つために何をすべきかについて魂の奥底で継承されてきた民族のDNAから生み出されたもの、そして、植民地支配を通じて定着した人種差別や宗教差別ともいうべきものが根底にあると考えるべきでしょう。
これらについては、日本人は逆立ちしても叶いません。お手上げです。「非情になれない」「したたかになれない」と「戦争に不慣れ」「経験不足」は同義語とも言えるでしょうし、「武士道」と「騎士道」の本質的違いかも知れません。我が国は、これらの「総合力」でどうしても欧米諸国を越えられない根本的差異があったと考えます。
さて、「非情な上、目的のために手段を選ばず」に関しては米英の指導者よりさらに上がおりました。次号でそれらを振り返った後に、メルマガ流の総括をまとめたいと思います。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
(令和二年(2020年)10月1日配信)
著者略歴
宗像久男(むなかた ひさお)1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。
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- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
- 「支那事変」止まず、内陸へ拡大
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
- “歴史を動かした”ソ連の陰謀
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
- 世界に拡散した「東亜新秩序」声明
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
- 危機迫る“欧州情勢”
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
- 「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
- 「ノモンハン事件」勃発と停戦
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
- 戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
- 日米戦争への道程(その1)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
- 日米戦争への道程(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
- 日米戦争への道程(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
- 日米戦争への道程(その4)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
- 日米戦争への道程(その5)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
- 日米戦争への道程(その6)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
- 日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
- 「大東亜戦争」をいかに伝えるか
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
- 「大東亜戦争」の戦争戦略
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
- 「真珠湾攻撃」の真実
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
- 「ミッドウェー作戦」の真実
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
- ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
- 「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
- 「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
- 終戦とマッカーサー来日
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
- 米国の「日本研究」とその影響
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
- 「WGIP」の目的と手段
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
- 「日本国憲法」の制定経緯
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
- 「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
- 「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
- 占領期初期の欧州および周辺情勢
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
- 情勢変化に伴う占領政策の変容
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
- 「東京裁判」の結果と評価
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
- 我が国の安全保障政策をめぐる議論
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
- 変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
- 「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。
- 「マッカーサー証言」の意味するもの
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「マッカーサー証言」の意味するもの」 (令和二年(2020年)8月6日配信)です。
- 「サンフランシスコ講和条約」締結への道程
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結への道程」 (令和二年(2020年)8月20日配信)です。
- 「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復」 (令和二年(2020年)8月27日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その1)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その1)」 (令和二年(2020年)9月3日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その2)」 (令和二年(2020年)9月10日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その3)」 (令和二年(2020年)9月17日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その4)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その4)」 (令和二年(2020年)9月24日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その6)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その6)」 (令和二年(2020年)10月8日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その7)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その7)」 (令和二年(2020年)10月15日配信)です。
- 「大東亜戦争」の総括(その8)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その8)」 (令和二年(2020年)10月22日配信)です。
- あとがき(その1)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その1)」 (令和二年(2020年)10月29日配信)です。
- あとがき(その2)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その2)」 (令和二年(2020年)11月5日配信)です。
- あとがき(その3)
- 「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「あとがき(その3)」 (令和二年(2020年)11月12日配信)です。