「盧溝橋事件」から「支那事変」へ

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はじめに

 

私などが偉そうなことを述べるのは僭越極まりないとの自覚のもとに、10月22日に執り行なわれた「即位礼正殿の儀」など一連の行事について感想を少しだけ述べたいと思います。

 

 まず、古式ゆかしく執り行なわれた、一連の厳かな儀式を拝見し、一国民として改めて我が国の悠久の歴史や伝統に思いが至り、感動することでしたが、中韓を含め、諸外国から賞賛の声が寄せられたとの報道を知り、日本人としての“自覚”や“誇り”が何とも言えない感覚で彷彿してきました。これが率直な感想です。

 

 同時に、今日に至るまでの先人たちのご努力やご苦労、そして数多(あまた)の名もなき犠牲者への敬意と感謝の気持ちも沸き上がり、今日から将来に向け、“未来永劫にこの伝統を絶やさず、後世に伝えていくために、国民ひとり一人が何をすればいいのだろうか”ということが頭の中を駆け巡りました。

 

 天皇陛下のお言葉の中に、「国民の幸せ」と「世界の平和」という言葉がそれぞれ2回出て参ります。陛下がこれらを願われるのは極めて自然でありますし、発せられたお言葉自体にいかなる疑問を差し挟むものではありません。

 

 問題は、「いかにそれらを達成するか」ではないでしょうか。「国民の幸せ」という視点で言えば、天変地異、最近においても度重なる台風や大雨の被害が繰り返され、だれしも心が痛みますが、(前回も取り上げましたように)まさに“国民の叡智とたゆまぬ努力によって”、被害の最小限化への事前対策と緊急非難や応急復旧に向けた万全の処置が必要不可欠と考えます。

 

 また、「平和をいかにして維持するか」については、世界の歴史を見れば、平和な時代の方が少なかったといえるかも知れませんし、我が国においても、長い歴史の中でいっとき、平和でない時代がありました。

 

 過去の歴史の中で、平和を乱し、争う要因として何があったのか、どうすれば平和を維持できたのか、などについて“正しく歴史に学ぶ”ことが、未来の“平和の維持”、そして“平和を乱す要因に対する備え(未然防止)”のヒントを得ることができると考えます。

 

 陛下のお言葉や願いを実現するため、国民一人ひとりが(それぞれの事情や能力などに応じて)ふだんの心がけと努力を課せられていると私は解釈しています。本メルマガが“正しい歴史の理解の一助になれば”との願いを込めて、私は、私ができる範囲で引き続き先を急ぎたいと思います。なお、「歴史から学ぶ 平和を維持するための提言」の細部は、本メルマガの最後の方で総括したいと考えています。

 

▼「盧溝橋事件」から「北支事変」へ

 

「盧溝橋事件」についてもう少し補足しておきます。現在、中国政府は「盧溝橋事件」については「日本側が意図的に侵略を開始した」としていますが、歴史研究家の間では、“日本軍を見通しのない戦争に引きずり込むために、国民党軍を矢面に立たせて消耗させ、共産党を勝利に導く道を開く”という共産党の陰謀だったという説が最有力です。

 

 まず、事件当日、日本軍は検閲のための演習を実施中でした。中隊長の配慮で隊員は重い鉄兜をかぶってなかったことがわかっています。鉄兜をかぶってないような部隊が“戦争を引き起こす行動”をしないことは明白です。

 

 日本政府は、(中国に遠慮して)「偶発説」を採用しているようですし、歴史教科書もすべてその責任を曖昧にして「衝突が起きた」とだけ書いています。実際には、中国第29軍に入り副参謀長まで登りつめ、日本と戦争を画策していた共産党の秘密党員(名前も判明しています)の画策や中国軍大隊長の告白も出版物や回想録として出回っていますから、中国政府が認めないとしても、中国側からの発砲は間違いないのです。

 

 確かに、共産党本部(延安)の指示ではなかったという意味では、「偶発」だったと言えるのかも知れませんが、状況証拠が明白でもそれを事実として受け入れないのが中国の歴史認識であることを私たちは知る必要があるのです。

 

 繰り返しますが、なぜ日本軍があの現場にいたのか、についても確認しておきましょう。それは、日露戦争前の「義和団事件」までさかのぼります。各国と中国の最終議定書で、北京から海に至る十数か所に各国の軍隊を駐留するという協定を結びました。よって、日本以外にも当時、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア(ドイツやロシアは撤退)が駐留していたのでした。

 

さて、事件勃発後の拡大ですが、ただちに外務省と陸軍中央は「不拡大・現地解決」の方針を固めます。しかし、陸軍内部は「拡大派」と「不拡大派」が対立し始めます。

 

「不拡大派」は、「日本が出兵したら、泥沼にはまって長期戦に陥る可能性があり、列強に漁夫の利を与えかねない。それよりも満州経営に専念し、対ソ戦に備えるべき」というもので、作戦部長の石原莞爾らがその中心人物でした。

 

 他方、強硬意見を発する「拡大派」が存在しましたが、「拡大派」といえども、中国の反日・侮日の機運が高まるなか、反日政策を改めさせようする「対支一撃論」であり、けっして全面戦争を求めるものではありませんでした。

 

 事件2日後の1937(昭和12)昭和7月9日、現地で「停戦協定」が結ばれ、軍の派遣はいったん見送られますが、中国軍による協定違反の執拗な攻撃が続き、とうとう我慢しきれなくなって反撃を開始します。こうして7月27日、日本の天津軍が中国に開戦を通告し、北京と天津を掃討します。それまで日本を挑発していた中国軍はあっという間に北京・天津を放棄し南の方に逃げてしまったのでした(これが「北支事変」と呼ばれます)。

 

 その後、天皇が近衛首相に「もうこの辺で外交交渉で決着させてはどうか」とのご意向を漏らされたこともあって、日本政府・陸海軍は一丸となって積極的に和平に乗り出します。

 

 こうした情勢下の7月29日、「通州事件」が発生します。通州は、それまで長城以南では最も安定した地域で、多数の日本人が安心して暮らしていました。日本の軍隊が「盧溝橋事件」で街を離れていた留守に、本来、日本の居留民を守るべき中国保安隊3000人が反乱を起こし、日本人居留民を襲撃し、200人以上の日本人が言葉では表現きでないような残忍で猟奇的な殺害・処刑を受けることになります。

 

▼「北支事変」から「支那事変」へ

 

やがて、蒋介石が中央軍を上海に増派し、現地の日本軍に対して攻撃を繰り返した結果、「第2次上海事変」が発生します。こちらは海軍が主導して陸軍を引きずり込みます。その経緯を振り返っておきましょう。

 

「盧溝橋事件」が起きるや、米内正光海相は、「不拡大方針」を主張していましたが、海軍は、本事件が全中国に波及する可能性が高いとの認識のもと、軍令部と海軍省が協議の上、全面作戦に備えた作戦計画や処理方針を作成していました。そして全面戦争化した1937(昭和12)年8月以降、ほぼ計画をそのまま実行します。

 

 作戦部長の石原莞爾は、海軍のこのような強硬論について、「作戦の本質を知らないものである」と嶋田繁太郎軍令部長に申し入れたとの記録も残っています。

 

 さて、日本側は「北支における権益をすべて白紙に戻す」という寛大な方針に基づき和平交渉案を作成し、中国側と交渉します。第1回目の話し合いを予定していた8月9日当日、交渉阻止を狙いすましていたかのように「大山事件」(海軍陸戦隊の大山中尉以下2名の射殺事件)が発生し、会談は流れてしまいます。この事件を境に上海情勢が悪化するや、米内海相はそれまでの「不拡大方針」を放棄して、陸軍の派兵を要請し、居留民保護の目的で派兵が閣議決定されます。米内はのちに「全面戦争になった以上、南京を攻略するのが当然」と発言するまで強硬論に転じたのです。

 

 拝謁した米内海相に対して昭和天皇が「これ以後も感情に走らず、大局に着眼して誤りのないよう希望する」旨のお言葉が下されたとの記録も残っておりますし、「海軍はだんだん狼になるつつある」と当時の外務省東亜局長も日記に記しています。

 

 海軍は、予ねてからの計画通り、南京や南昌に対する本格的な爆撃を開始しますが、それは上海を戦場に限定していた陸軍参謀本部の作戦計画を大幅に超えるものでした。

 

 一方、蒋介石は、「盧溝橋事件」勃発後「不戦不和」「一面交渉、一面交戦」の中で葛藤していました。しかし、7月下旬には和平をあきらめ、「徹底抗戦」を全軍に督励します。そして「応戦」から「決戦」に転換しますが、その理由として、軍事力、特に空軍に対する自信を保持していたことに加え、国際都市・上海で有利に戦えば、対日経済制裁など外国の支援を得られるだろうと考えていたといわれます。

 

 上海においては中国側が先に仕掛けます。海軍旗艦「出雲」に対する爆撃を敢行しますが、軍艦には命中せず、上海租界の歓楽街を爆撃、千数百人の民間人死傷者が発生します(「第2次上海事変」といわれます)。

 

 8月14日、中国側は「自衛抗戦声明」を発表、日本側はこれを事実上の「宣戦布告」と受け止め、翌15日、近衛内閣は「支那軍の暴虐を膺懲(ようちょう)し、南京政府の反省を促す」と声明を発表し、「上海派遣軍」を編成、松井岩根大将が司令官となります。一方、蒋介石側も全国動員令を下令します。

 

 これによって、実質的に日中全面戦争に突入しますが、1941(昭和16)年12月に日米戦争が勃発するまでは両国とも実際の「宣戦布告」を行ないませんでした。主な理由は、双方ともアメリカの「中立法」の発動による経済制裁を回避することが念頭にありましたが、日本は早期事態解決を狙っていたこと、中国側は軍需物資輸入に問題が生じることを懸念していました。

 

 8月17日、我が国は従来の「不拡大方針」の放棄を決定し、「支那事変」と呼称しました。9月末、不拡大派の筆頭、石原莞爾作戦部長は更迭され、後任の下村部長によって、主戦場を華北から華中に移すことになります。陸軍も不拡大方針を放棄したのでした。

 

 日本軍が上海の南の杭州湾に上陸すると、中国軍は予想外に敗走を続け、11月中旬には上海全域をほぼ制圧した。陸軍は、上海線終結をもって軍事行動停止案を作成していましたが、海軍などの「時期尚早」との反対から見送ることになります。

 

 このあたりのいきさつは、以前に紹介しました、日中歴史共同研究の成果を取りまとめた『決定版 日中戦争』に克明に記されていますので、ある程度は中国側も了解しているものと判断されます。

 

 今なお、「日中戦争は日本の侵略ではなかった」と主張する歴史家は後を絶ちません。戦場が中国大陸であった以上、日本側にまったく非がなかったとは言えがたくとも、日中戦争拡大に至るにはさまざまな要因をあったことを読者に気づいてほしくて少し長くなりました。

 

「陸軍悪玉論」も同じです。軍国主義者=戦争拡大論者=陸軍と決めつけるのは、あまりに史実と違います。海軍主導の展開は、今後も続きます。引き続き振り返ってみましょう。(以下次号)

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)10月31日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。