危機迫る“欧州情勢”

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はじめに(“些細な出来事”について)

 

 歴史を研究しますと、はじめは“些細な出来事”(と思ったこと)がその後の“壮大な歴史のうねり”に発展することがよくあることに気がつきます。「事の始まりとはこのようなものか」といつも考えさせられますが、最近の“些細な出来事”を取り上げてみましょう。

 

 11月24日、香港区議会の選挙があり、民主派が8割超の圧倒的勝利を獲得しました。当事者たちが「これはデモでなく、中国から自由を守るための戦争だ」とする一連のデモ騒動が多大な犠牲を払いつつここまで発展してきたのです。しかし、香港区議会の権限は限定されており、予算の審議権もありません。行政長官の選挙でも職業別団体や立法会枠が大半を占め、数で言うと区議会枠はわずか約1割にしか過ぎないとのことで、香港の統治体制に変化を与えるまでには至らないようです。

 

 それでも、「この先はどうなるのだろう」と思案していた矢先、中国の新疆ウイグルの「職業技能教育訓練センター」(収容所)に関する共産党の内部文書が流出したというニュースを見つけました。100万人以上のウイグル人が強制収容されているといわれる同センターにおける人権無視の思想教育などについては、これまで何度も批判されていましたが、この内部文書によって、ウイグル人監視のためにAIネットワークなどの事実が明らかになりました。

 

問題の深刻さは、それら事実の暴露に加え、内部文書が流出したことにあるのは明白です。さっそくウイグル自治区政府は「完全な捏造だ」と否定しているとのことですが、当局の慌てぶりが目に浮かぶようです。

 

「ウイグルの次は香港人改造か」とささやかれていた折、米国においては、上下院両院ともに与野党が一致して通過させた「香港人権民主法」案にトランプ大統領が署名し、同法が成立しました。香港の人権侵害に強い警告を発している同法に対して、当然ながら、中国は「断固として反撃」と猛反発しております。

 

 米中には貿易協議もあり、それへの影響も含め、香港問題は今や米中問題に発展しつつあります。双方が相譲れない「人権」が焦点であり、“人類の未来をかけた戦い”に発展する可能性もあります。よって、引き続き緊張感をもって注目し、可能な対策を今から講じておく必要があるとだれもが考えるのではないか、と私は思います。

 

しかし、我が国の政治家の先生方やマスコミは違います。前回紹介しました韓国、最近の北朝鮮の挑発、さらにはこれら米中の動きなど、歴史の大きなうねりに発展しそうな事象が起きていることに目を閉じ、耳をふさぎ、日々何を議論しているのか、そして何を煽っているのかと繰り返すだけでも呆れます。このような状況下では、仮に近未来に周辺国に何かが起きた際に最も慌てふためくのは我が国であろうことは明白でしょう。

 

その際に、「政府は何をしていたのか」などと自分たちがやっていたことを棚に上げた無責任な発言は決して許さず、二度と国会に送ることなどないような“賢い国民”でありたいものです。

 

危機迫る“欧州情勢”

 

 我が国が「支那事変」の泥沼に陥り、身動きが取れない状況になっていた頃、再び戦争の危機が迫っていた欧州情勢に触れておきましょう。まさに欧州においては、第1次世界大戦もそうでしたが、第2次世界大戦においても、はじめは“些細な動き”がやがて大戦にまで発展したのでした。これら一連の動きから様々な教訓を学ぶことができると考えます。

 

 ナチス・ドイツが1935年に「ヴェルサイユ体制」を破棄して再軍備を宣言し、37年に、非武装地帯と定められていたラインラント進駐を断行したことなどは前回触れましたが、38年には、「サン=ジェルマン条約」(第1次世界大戦後の1919年、連合国とオーストリアの間で結ばれた条約)によって禁止されていたオーストリアとの併合を実現します。ヒトラーが“ドイツの生存圏”主張し、次々にそれを実行していくのです。

 

 この間、英仏は、欧州に圧力を強めつつあったソ連・共産主義の脅威に対してドイツが矢面になって対抗してくれることを期待して、有名な“宥和政策”をとることに終始します。

 

まさに、敗戦国ドイツに広大な領土割譲と多額な賠償金を背負わせた「ヴェルサイユ体制」がソ連・共産主義の出現とヒトラーの巧みな戦略の前にもろくも崩れ去ろうとしていたのです。

 

第2次世界大戦までの道程を考える時、必ずと言っていいほど、イギリスのネヴィル・チェンバレン首相が宥和主義者として “やり玉”にあがりますが、彼は彼なりに欧州の平和を真剣に考え、包括的な安全保障を実現しようとしていたといわれます。当然と言えば当然です。欧州の人々は第1次世界大戦の経験から極端に戦争を嫌っていましたし、当時のイギリスはドイツに対していかなる脅威も感じていなかったのです。

 

 1938年、ナチス・ドイツに脅威を感じたチェコスロバキアが動員します。当時のチェコ陸軍は43個師団、そのうち35個師団が近代兵器によって高度に機械化されていました。これに対して、ドイツ軍は歩兵が23個師団、機甲化・騎兵など5個師団、しかもその大部分は訓練課程を修了していない兵士たちからなり、予備兵の中にも使い者になるものがほとんどいない状態でした。つまり、ドイツにはチェコ戦を戦う能力がないのは明らかで、チェコの動員がヒトラーの攻勢を踏み留ませる結果となりました。

 

このチェコの強硬姿勢とヒトラーの自制という構図が全く逆のメッセージを国際社会に与えることになります。戦争の発生を回避するために、チェンバレンはあらゆる外交ルートを通じて、ドイツを懐柔するとともにチェコに柔軟姿勢をとるよう求めます。

 

具体的には、懲罰的にドイツからとりあげ、チェコスロバキアに与えたとして「ヴェルサイユ体制」の“不正の象徴”といわれたズデーテン地方をドイツに戻すようチェコを脅迫するのです。

 

その背景には、第1次世界大戦の戦後処理を巡って、ドイツに対するイギリスの同情のようなものがあったともいわれますが、フランスは、ドイツへの同情よりも新たな戦争が起こり、再び戦争によって国土が蹂躙される恐怖が上回ったのでした。

 

当時のフランスは、70師団以上を動員できる能力をあり、ドイツを恐れることはなかったのですが、第1次世界大戦の戦いの失敗や成年人口の半数が死傷した戦争の記憶がフランスを臆病にさせたのでした。

 

 チェコは、英仏の圧力によって、軍事的優位にあるにもかかわらずズデーテン地方の「自治案」を呑みます。しかし、ヒトラーは、チェンバレンに対して「自治案では問題にならない。直ちに占領し、割譲しなければならない」と要求したのです。

 

 チェンバレンがこの時点でヒトラーの邪悪さを見抜き、英仏がチェコ側に立って軍事行動に出れば、ドイツは一撃のもとに粉砕され、第2次世界大戦は起こらなかったに違いありません。

 

 しかし、チェンバレンはさらなる“妥協の道”を探り始めます。チェコ、フランス、イギリスが動員を始める一方で、こともあろうに、イタリアのムッソリーニに仲介を求め、「ミュンヘン会議」(1938年9月)を開催します。ここで、「これ以上領土要求をしない」との約束を交わす代償としてヒトラーが望むすべてを与え、会議への参加を許されなかった哀れなチェコに与えるべき妥協を容赦なく取り上げてしまいます。

 

この結果、ヒトラーは、ズデーテン地方を割譲しますが、英仏の権威低下を目前にして、ポーランドとハンガリーがドイツにすり寄る姿勢を見せ、ハイエナのようにチェコから領土をかすめ取ろうとします。こうして、1939年3月、ヒトラーは、ポーランドとハンガリーと組んでチェコを解体させ、35個師団余りの敵兵力を消滅させたばかりか、チェコの重工業を手に入れることによってドイツ軍の装備を飛躍的に向上させたのでした。

 

フランス首相のエドゥアール・ダラディエは、「ミュンヘン会議」を終え、暗澹たる気分で帰国の途につくと、(戦争を回避したとして)国民の思いがけない熱狂的な歓迎を受けます。「愚か者どもめ、自分たちが何を歓呼しているかも知らないで」とつぶやいたと伝わっています。それから1年も経たないうちにパリは陥落します。

 

第2次世界大戦勃発

 

英仏が自らの手で同盟国を抹殺して差し出す様子を見て、「頼りにならない」ことに最も失望したのはスターリンでした。英仏と同盟交渉を進めながら、ナチス・ドイツとも秘密交渉を開始します。ヒトラーは、我が国との同盟交渉もそうでしたが、“利益になる条約なら誰とでも結ぶ意思”を持っていました。

 

他方、チェンバレンは、チェコの消滅を機に突然、“対独強硬路線”に転換します(今日でもその理由が不明といわれています)。39年3月末、ヒトラーは、ポーランドにダンツィヒ(現グダニスク:旧ドイツの飛び地)回廊を要求しますと、イギリスは、ポーランドと同盟条約を結び、ポーランド防衛の意志を示します。

 

当時のポーランドもまた、ヒトラーの犠牲になるような小国でなく、領土的野心もある大国でした。ヒトラーは対ソ連戦略のために真剣にポーランドと同盟を結ぶ用意があり、ダンツィヒという両国の懸念を処理しようとしていただけとわれます。他方、ポーランドは、ドイツともソ連とも同盟を結ぶ意思がなく、戦意も旺盛、ソ連の自国通過を含むソ連・英仏と対独共同行動を拒否し、その構想を頓挫させていました。

 

このポーランドとイギリスの同盟は、ポーランドの利害を別にするドイツとソ連両国の利益を瞬時に一致させます。1939年8月、ソ連とドイツは「不可侵条約」を発表し、その付帯条項によってポーランドを両国で分割しようとします。これに対して、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発するのです。

 

「欧州情勢は複雑怪奇!」

 

前回、我が国が三国同盟の締結に向けて閣内が分裂していたことを取り上げましたが、欧州情勢が変転し、ついに「独ソ不可侵条約」が締結されるや、平沼内閣は、三国同盟交渉の打ち切りを決定し、「欧州情勢は複雑怪奇」との名言を残して総辞職します。

 

上記のように、ヒトラーやスターリンのしたたかな戦略やチェンバレンの君子豹変など欧州諸国の“機微な動き”を地球の反対側からウオッチできるわけがありません。のちには、現地で勤務していた外交官や武官らも判断を間違い、我が国の命運を狂わすことになります。

 

平沼首相の後継には、元陸軍大将で予備役に編集されていた阿部信行首相が誕生します。阿部首相は、「ドイツとの軍事同盟締結は英米との対立激化を招く」として大戦への不介入方針を掲げます。しかし、陸軍などの反対があって翌1940年(昭和15)年1月には首相を辞任してしまいます。

 

次回、時代を少しだけさかのぼりつつ、「ノモンハン事件」に至るソ満国境問題を整理して振り返りましょう。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)12月5日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。