「ノモンハン事件」勃発と停戦

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高まる“反英排英”感情

 

今回は、前回に続き、「ノモンハン事件」を取り上げましょう。政府内で、三国同盟を議論していた頃、日本人を激怒させる面倒な事件が発生ます。

 

国際都市天津市内のイギリス租界の劇場において、日本側に立つ華北政権の中国人が反日テロ団によって暗殺されるという殺人事件が発生したのです。

 

それまでの天津イギリス租界は反日テロ団の根拠になっているとして日本人居留民の憤激の対象になっていました。イギリスは、租界の特権を利用して抗日分子の潜入を黙って見過ごすばかりか、テロ団は租界の銀行から資金を得て抗日策動を容易にしていたのです。

 

本事件の後、イギリスが犯人の引き渡しと裁判にかけることを厳しく拒んだことから、殺人事件そのものよりも、居留民のみならず日本人をひとしく憤慨させ、日英関係をさらに悪化させます。歴史の歯車とはそうしたものなのでしょうが、それが日増しに“反英俳英”に拡大し、その反動として“三国同盟”推進の動きが活発になるのです。

 

ちょうどその頃、欧州では、ヒトラーとスターリンの2人の独裁者が思い切って接近し、併せて、ヒトラーはソ連と日本、スターリンは英仏とドイツと“二重取引”を始めます。しかし、欧州列国の微妙な“かけひき”から我が国は完全に蚊帳の外におかれます。

 

このような経緯を経て、「ノモンハン事件」の最初の小競り合いが始まる少し前、1939(昭和14)年5月7日、陸軍中央の全将校の激励を受けて、板垣陸軍大臣は“最後の頑張り”と五相会議に臨みます。

 

板垣陸相は「当面の重要課題は支那事変の解決であり、それを邪魔しているのはソ連とイギリスである。ドイツと協定を結ぶことによってヨーロッパにおいて両国を牽制する。そこにこの条約の意味がある」と決意を述べます。

 

またしても議論が繰り返されたあと、石渡蔵相が「経済問題にかぎり英米を刺激することはもっとも避けなくてはならないと思う」と発言し、続いて米内海相が「アメリカはドイツを極度に憎悪している。ドイツと接近するとアメリカの対日悪化は深まる。我が国の貿易の70%は英米との貿易である。欧州の戦争に日本が参戦すると、日米間の貿易がなくなることを覚悟しなければならい」とが発言し、外相も賛同して板垣の“中央突破”は失敗します。

 

それでも諦めない陸軍中央は、参謀総長の上奏権を使って天皇に直訴しようと上奏文の案を起案します。しかしその日早朝、「防共協定強化には明確に反対」との天皇のご意思が侍従武官を通じて伝わります。それでも閑院宮参謀総長は天皇に会いますが、「参戦に絶対不同意」と「拒否」されてしまいます。万事休すでした。

 

「ノモンハン事件」発生

 

その4日後の5月11日、満州と外蒙古の国境付近で敵味方が銃火をかわす大事件が発生します。その経過を簡単に振り返ってみましょう。

 

ノモンハンは、満州西北部ハイラルの南方約200キロの草原にある小さな集落です。地図をみますと、ノモンハンの北側は西の方に満州国が張り出し、南側は東の方に外蒙古が張り出しているのがわかります。

 

満州国は、独立以来、ノモンハン西側を流れるハルハ河を国境と設定していましたが、外蒙古側は、ハルハ河東方約20キロを国境線としていました。当時の地図でも、ノモンハンが満州国側に表記されているものと外蒙古側に表記されているものと2種類ありますが、まさに国境をめぐる“係争の地”だったことがひと目でわかります。

 

外蒙古側には蒙古軍のみならず、2度にわたる5か年計画によって充実の極みにあったソ連軍戦力も配置されていました。満州国側は、国境警備の満州国軍の他に、関東軍の第23師団(師団長小笠原中将)がハイラルに駐屯していました。

 

第23師団は、昭和13年に内地で編成されたばかりで、3個連隊単位で装備も劣悪、歩兵も不足していたといわれます。このような師団がなぜソ満国境の“係争の地”に配置されたかは謎ですが、「支那事変」の真っただ中にあって精強な師団を中国大陸に投入したことと、陸軍首脳部がこれほど大規模な事件がこの地域で発生することを予測していなかった結果であると考えます。

 

さて「ノモンハン事件」です。通常、事件は第1次と第2次に分けられますが、第1次ノモンハン事件は、5月11日、外蒙兵約70名がハルハ河を渡河し、満州国軍監視哨を攻撃する所から始まります。満州国軍の7時間にわたる反撃の結果、一旦はハルハ河西岸に後退しますが、翌12日、約60名の兵士が再び渡河越境し、13日には所在の満州軍と再び戦闘状態に入ります。

 

第23師団は東支隊を編成し現地に急派します。支隊が到着し攻撃前進すると外蒙兵はハルハ河西側に後退しましたので、支隊はハイラルに帰還します。ところが、17日、またしても外蒙兵が渡河越境するとともに、後方に兵力が集結していること、タムスク(ノモンハン南西部)に空軍が展開していることも判明します。

 

そこで、師団長は、侵入した敵を急襲襲撃することを決し、28日、3方から攻撃を加えますが、ハルハ河西岸からの砲火によって前進を阻止された上、逆に外蒙兵の逆襲を受け、1個連隊が玉砕する結果に陥ります。ソ連が長射程の砲兵を展開しているハルハ川西側の高地がこの地域の制高地帯となっており、再三日本軍を苦しめることになります。

 

関東軍は、「徹底的に反撃して日本の決意を示す必要がある」との結論に達して、第23師団全力、第7師団の一部、第1戦車団隷下の安岡支隊(戦車2個連隊、歩兵1個大隊など)、第2飛行集団をもって反撃の準備を整えます。

 

こうして、第2次ノモンハン事件前半の戦いが起こります。まず6月22日、来襲ソ連機延べ150機を迎撃しますが、ソ連は機数を増やし、新鋭機を繰り出してきます。関東軍はついにソ連機の根拠地のタムスクを攻撃することに決します。6月27日、関東軍は130余機をもってタムスク空襲を決行します。この結果、地上部隊の集中も順調に進みました。

 

しかし、タムスク攻撃は、不拡大を方針とする陸軍中央部の許可を得なかったため、じ後、陸軍中央部と関東軍の間に感情的な対立が生じることになります。

 

第23師団は、7月1日未明、ハルハ河を渡河し、西側のソ連陣内に突入します。ここでソ連軍戦車の大群と遭遇して100両余りは撃破しますが、3日午後には戦況不利と判断し、ハルハ河東側に転進し、東側の要地を占領します。

 

安岡支隊もホルステン河(ハルハ河南側の支流)北側のソ連陣地を攻撃しますが、移動障害物が進路を塞ぎ、砲火や戦車火力によって多大な損害を出し、主陣地前まで後退のやむなきに至りました。第23師団も攻撃を再考しますが、ソ連軍戦車とハルハ河西側からの砲火により攻撃失敗、戦線は膠着します。

 

関東軍は戦線を整理し、越冬を準備するとともに、ノモンハン地域の指揮を統一するために第6軍司令部を編成します。

 

このような矢先の8月、第2次ノモンハン事件後半の戦いが始まります。ソ連はジューコフ将軍の指揮の下、日本軍の4〜5倍の戦力を投入して全線で攻撃を開始し、関東軍は大打撃を受けます。

 

この結果、関東軍は第6軍に第2・第4の2個師団、全満の火砲を配属し、断固反撃に転ずべき新たな作戦を準備しますが、陸軍中央部は不拡大を方針として関東軍の攻勢作戦を中止させる一方で、対ソ戦備弱化を防止するために、中国戦場から2個師団の転用を計画します。

 

停戦協定と事件総括

 

他方、ソ連側も停戦を望んでいることが判明し、9月8日から交渉開始、9月16日にはモスクワで停戦協定が締結されます。なお、この間、8月23日には「独ソ不可侵条約」が締結され、9月1日、ドイツはポーランド侵攻を開始します。この結果、第66話で紹介しましたように、平沼内閣は、三国同盟交渉の打ち切りを決定し、「欧州情勢は複雑怪奇」との名言を残して総辞職してしまいます。

 

ソ連のこれらの行動はけっして偶然ではありません。「ノモンハン事件」の最中から、スターリンはゾルゲに“日本が本気でソ連攻撃を計画しているかどうか”を探らせ、“そうさせないような”スパイ活動を指示しています。のちに逮捕されるゾルゲは、「それこそが私が日本に派遣された目的にすべてだったといって間違いない」と証言しています。

 

やがて、「南進論」につながるゾルゲらの活動によって、ソ連は“東アジアの後顧の憂い”なく欧州正面に戦力を集中できたのでした。そして、事前に取り決めたドイツとの分割ラインで出会い、ポーランドを分割したのです。この間、英仏は手をこまねいているだけでした。

 

振り返りますと、軍事的に、ドイツという主敵があるソ連が日本相手に断固として対応するわけがないとの読み違いや、外交的にも、当時、独ソが「不可侵条約」締結に向けて接近していることを十分感知していないという失敗がありました。

 

日本軍は、その後、国境の不明確な地域から部隊を後退させ、また「侵入してきたソ連軍に対する攻撃は関東軍司令官の命によるものとする」ことを定めました。この結果、こののち、ソ満国境は大東亜戦争末期まで比較的平穏に過ぎます。

 

その時点においては、関東軍部隊は極東ソ連軍に敗北したと認識していましたが、改めて対ソ戦備の充実とドイツによるソ連牽制の強化が喫緊の課題として浮上します。

 

のちの真珠湾攻撃に至る日米の駆け引きも同じですが、“二重取引”のような欧米諸国のしたたかさに思慮が至らないまま、アジア・太平洋の狭い視野でしか考察しない我が国に比し、世界的な視野で開戦から停戦まで考えていた欧米列国の差異がこの時点でも明確になっていたのでした。

 

他方、矢面に立った軍人らにのみその責任を押し付けることも間違いであると考えます。一徹な“島国根性”のように、他の要因には目をつぶり、今なお軍人らの責任を追及することのみに専念する歴史研究家もいますが、この歴史から学ぶことは他にたくさんあると思うのです。

 

それらは、本メルマガの最後にまとめたいと思いますが、自衛隊の幹部教育においても、「ノモンハン事件」は事件のみを切り取って“戦史”として学びます。しかも冷戦最中の私たちの時代は、“負け戦”として学んだことを記憶しています。

 

よって、欧州と東アジア事情の関連、なかでもスターリンやヒトラーの思惑、陸軍中央と関東軍の確執(その原因)やゾルゲらの活動などの背景、それに「ノモンハン事件」の成果により終戦時まで満州が平穏だった史実などには思いが至りません。これでは戦後の軍事専門家への教育としては不十分と考えつつ、一部の紹介にとどまりましたが、事件の背景などに触れてみました。

 

いよいよ本メルマガのクライマックスともいうべき日米戦争を振り返ろうと思いますが、その前に我が国の当時の「石油事情」について触れてみようと思います。その後、正月休暇をいただき、この間に日米戦争に絡む“諸説”を整理しようと思います。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和元年(2019年)12月19日配信)

 

 

お知らせ

 

「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 

 

お知らせその2

 

新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。