日米戦争への道程(その2)

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はじめに

 

 年初めから“きな臭い”中東情勢について、本メルマガでも機会を見つけてトピックスとして取り上げようと考えておりますが、今回は、イラン軍によるウクライナ旅客機の撃墜に触れてみましょう。

 

現役時代の私は、「高射特科」と言いまして、対空ミサイルや対空機関砲によって敵の航空攻撃から地上の重要な施設や我が部隊を防護することを主任務とする職種に属しておりました。

 

そのような経験もあって、1月8日、イランによる米軍基地へのミサイル攻撃の直後、あのニュースが流れた瞬間、「やったな」との思いが脳裏に浮かびました。そしてしばらく後に、破片がバラバラになっている墜落現場の映像を観て、(原因はさておき)空中で爆破したに違いないと確信しました。エンジン不調などによる一般的な墜落の場合、通常、機体の一部は壊れてももっと大きな残骸が残るからです。

 

当時、ミサイル攻撃への米軍の報復に対処するため、イラン全軍に最高レベルの警戒態勢を敷き、なかでも防空(高射)部隊には“至上命令”として米軍の巡航ミサイル攻撃対処が発令されていたと考えます。

 

防空部隊には、味方の航空機や民間旅客機を誤射、いわゆる“友軍相撃”を避けるためにいくつかの手順が定められています。

 

事柄の性格上細部は省略しますが、一般的な手順は、@民間航空機の飛行経路は射撃禁止、A味方識別装置(IFFといわれます)による敵味方の判定、B目視による機体の大きさ、飛行方向、飛行要領などの確認です。

 

この手順に基づき、悲劇が起こった原因を探ってみましょう。@については、ウクライナ旅客機の出発が1時間ほど遅れたらしく、その事実がイランの防空部隊に伝わっていなかった可能性があります。しかし、ウクライナ旅客機は通常のフライトコースを飛んでいることから、これを誤射の原因とすることには無理があります。

 

Aについて、どの国の対空ミサイルシステムも味方識別装置を標準装備していると考えます。しかし、スイッチをONにしていなければ作動しないことは言うまでもありません。

 

当時、不意急襲的に現れる可能性が高い巡航ミサイルに対するリアクションタイムを最小限化するため、射撃モードを「自動射撃」(人間が介在せずシステムのコンピュータが判定し、最も短い時間で発射するモード)にしていた可能性もあります(イランのミサイルシステムにそのモードがあるかどうかは不明です)。

 

このモードの使用は、味方機や旅客機がまったく飛行していないことが判明している、いわゆる“戦場”に限られ、空港が近くにあるような今回の場合、まさに友軍相撃防止を優先し、使用されることはないと考えますが、イラン軍がどう設定していたかはわかりません。

 

次にBですが、システムの操作員は、レーダーに映る映像から目標の大きさとか飛行方向とか機数などがわかります。当然ながら、巡航ミサイルと旅客機の映像の差異は明白です。しかも、今回のように遠行目標(遠ざかっていく目標)は、我の脅威にはならないので、射撃しないのが一般的です。

 

 その他、射手がパニックをおこして発射ボタンを押してしまったことも考えられますが、日頃からしっかり訓練してシステムや射撃要領などに熟練しておれば、このような間違いはしないものですし、2発発射されたことから意図的な射撃だったと考えるのが適切でしょう。

 

結論から言えば、上級部隊の命令付与や現場指揮官の判断を含め、イランの防空部隊があまりにレベルに低かったため、今回の悲劇が起きたものと考えざるを得ないのです。

 

東西を問わず、軍の軽率・稚拙な行動が国の命運を狂わせたことは、人類の歴史上枚挙に暇がありませんが、現場指揮官をはじめ関係者は今頃、厳罰に処されていると推測します。

 

イラン政府は、当初から上記のような誤射の事実を分かった上で、本事件を隠ぺいしようとしましたが、誤射の証拠があまりに明々白々であったためすぐに観念しました。これら不誠実極まりない対応に、国際社会はもとより国民が反感を持つのは当然と考えます。改めて犠牲者のご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

 

さて本論です。前回紹介しました「日米通商航海条約」破棄後の情勢をしばらく追ってみようと思います。“なぜ日米戦争に陥ったのか?”を理解するために、あまりスキップしないで振り返ります。長くなりますが、我慢してお付き合い下さい。

 

武藤章軍務局長誕生!

 

第66話で紹介しましたように、1939(昭和14)年8月、「独ソ不可侵条約」が締結され、平沼内閣が三国同盟交渉を打ち切りました。あれほど紛糾した「三国同盟」が陸軍にとって無意味になった瞬間でしたが、その後の歴史をみれば、陸軍が「三国同盟」を諦めたことを意味したわけではありませんでした。

 

余談ですが、旧陸軍は明治初期のメッケル招聘以来、ドイツ陸軍を師としたためか、どうしてもドイツに対するシンパシーが根強く残っていたと思います。それが、イギリスを師とした海軍との差となって、陸・海軍対立の根本原因となったのではないでしょうか。明治初期当時の状況から限られた選択肢しかなかったとは言え、建軍精神の重要性に思いが至ります。

 

話を戻しますと、1939年9月1日、ドイツがポーランドを侵攻して第2次世界大戦が勃発します。「日米戦争」が始まる約2年半前に欧州で大戦が始まったのです。この“タイムラグ(時間的ズレ)”が我が国の歴史上とても重要な意味を持つことになったと私は考えます。

 

 欧州で第2次世界大戦が勃発した頃、日本の国民生活は窮乏の一途をたどり、前年の昭和13年5月から施行された「国家総動員法」のよる統制経済とともに思想統制も強まりました。そのような中、武藤章が北支那方面軍参謀副長から陸軍省軍務局長に就任し、内外の難しい情勢の中、陸軍をリードすることになります。

 

 他方、元陸軍大将の阿部信行内閣は国民の求心力を失い、力不足とみなされます。一部の政党から内閣不信任案と辞職を勧告され、民政党と政友会から内閣に善処を求める決議まで行なわれました。この時点では、帝国議会はまだ機能していたのでした。

 

 年が明けた昭和15年1月、阿部首相は出身母体の陸軍からも見放されて総辞職、後任には海軍大将の米内光政内閣が成立します。米内自身は断るつもりで参内したところ、陛下から懇願されたというのが真相のようです。

 

米内首相は、阿部内閣同様、米英重視の外交路線を引き継ぎますが、欧米情勢の激しい変化に加え、生活物資の不足が目立ったことから「コメナイ内閣」と呼ばれたりした国内事情から、倒閣運動が組閣その日から始まるなど、首相として腕をふるうことを許される情勢ではなかったようです。

 

陸軍の「綜合国策十年計画」の策定

 

武藤局長がリードする陸軍は、欧州の大戦勃発に対して「不介入」の態度をとる一方で、“国家総力戦”に向けた「国防国家体制の確立と日中戦争の早期解決」を当面の課題と考えます。この考えの真意は、統制派の先輩・永田鉄山の考えを継承したもので、「欧州の戦火は、いずれは世界中に拡散し、日本もその去就を決めなくてはならない」とした所にありました。

 

日中戦争については、重慶政府と直接交渉により日中平和を追求しようとします(「桐工作」といわれます)。一般には、日中戦争の解決が困難になって、その状況を打開するために、陸軍は南方進出し、さらに対米戦へ進んで行ったとの見方がありますが、そもそも“次期大戦にどのように対応するか”が先にあり、日中戦争の早期解決もそのためのものだったのです。

 

こうしたなか、陸軍は「綜合国策十年計画」を作成し、1940(昭和15)年6月、これをまとめ上げます。その概要は、@日本・満州・華北・内蒙古を「自衛的生活圏」とし、それを軸にA日満中による「東亜新秩序」、B「大東亜を包含する協同経済圏」の三重構造から出来上がっています。

 

この「協同経済圏」には、東南アジア地域が“資源の自給自足”の観点から含まれており、やがて「南進論」となり、「大東亜生存権」につながって行きます。

 

第2次近衛内閣誕生と「基本国策要綱」策定

 

欧州では、同1940年5月10日、ドイツが西方攻撃を開始し、オランダ、ベルギー、さらにフランスに侵攻し、破竹の勢いで周辺国を占領しようとしていました。その電撃攻撃によって5月27日にはイギリスのダンケルク撤退、6月14日にはパリ陥落、6月22日、ついにはフランスがドイツに降伏します。

 

国内では、昭和13年夏ごろから近衛新党結成の動きが強まっていましたが、昭和15年5月下旬ころから、近衛文麿、木戸幸一、有馬頼寧(よりやす)らが会合し、近衛首班の想定のもとの新党結成の動きが活発になります。

 

欧州情勢の激しい変化もあって、武藤がリードする陸軍は、親軍的新党結成の動きに賛成し、8月、第2次近衛内閣が発足します。しかし、新党は天皇の統治権を制約する“幕府的存在”だとする批判が起きます。その批判を受け、近衛らは新党結成を断念、“行政を補完する精神運動組織”としての「大政翼賛会」の設置に変更、10月中旬、閣議決定を経て「大政翼賛会」を発足します。

 

独自の政治基盤を持たない近衛は、陸軍の力を背景にせざるを得なかったことに対して、陸軍も、親軍的新党によって陸軍が望む国策を実現しようとしていました。その背景には、当然ながら近衛の高い国民的人気がありました。

 

こうして、武藤らが作成した「綜合国策十年計画」は、近衛内閣の組閣直後、「基本国策要綱」として反映されます。中でも、日満支の結合による「大東亜の新秩序」の建設が明確になります。

 

「米英可分」と「世界情勢の推移に伴う時局処理要領」決定

 

陸軍は、上記のような欧州情勢を“日中戦争を解決する好機”としてとらえ、「“南方武力行使”は、その対象を極力“英国のみ”として、対米戦は努めて“避ける”」よう方針変更し、陸海軍合意の共に「世界情勢の推移に伴う時局処理要領」を決定します。

 

米英の密接な連携を承知しながら「米英可分」と判断したのは、「ドイツの英本土攻撃上陸によってイギリスが崩壊すれば、アメリカは戦争準備の未整備と孤立主義的国内世論の中で南方への軍事介入のチャンスを失う。また、英国が崩壊すれば、その植民地のために日本との戦争を賭してまでアメリカは軍事介入しないだろう」と考えた結果でした。

 

そして、仏印(フランス領インドシナ)については、フランスの降伏によって援蒋ルートの遮断が可能と判断し、また蘭印(インドネシア)については、その本国オランダ政府はイギリスに亡命する形で存続はしているものの、蘭印の対応によっては石油資源確保のために武力行使の可能性も視野に入れていました。

 

武藤ら陸軍は、「世界は今や歴史的な一大転換期」にあると認識し、「ドイツや日本などの“現状打破国”と米英など“現状維持国”との争いは避けられない。ドイツは、次々に欧州の強国を征服している。日本の使命は、“大東亜生存権”を建設し、“白人帝国主義”のもとの奴隷的境遇からアジアを解放することだ」と考えるようになります。

 

この背景には、ドイツの快進撃のあまり、独ソ不可侵条約で棚上げにされた「三国同盟」の動きが再燃し、「バスに乗り遅れるな!」の世論の大合唱がありました。

 

しかし、その後の欧州情勢は、陸軍が期待したようには進展しませんでした。その細部は次回振り返りましょう。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)1月23日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。