日米戦争への道程(その4)

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はじめに

 

 ここまでくると(2月1日現在)、新型コロナウイルス問題に触れないわけにはまいりません。日々新たなニュースが世の中にあふれ出し、あたかも中国発の新型ウイルスが急激に蔓延し、明日にも人類社会が大パニックになるような雰囲気すら感じます。

 

SARSが大流行した時、北京で勤務していた元外務官僚の宮家邦彦氏はその経験から「中国の実態は発表の10倍」と指摘しています。2月1日現在、中国の患者は約1万人、死者259人との発表ですから、実態はその10倍と推測すれば、患者10万人、死者約3千人弱ということになるでしょう。しかも日々これらの数字が増え続けていまし、映像などをみるに、発症地の武漢などは悲惨な状況にあるのは間違いないでしょう。

 

 しかし、冷静に考えてみましょう。毎年発生するインフルエンザは、予防注射などの医療体制が完備しているのにもかかわらず、世界中で毎年の死亡者は約25〜50万人を数え、日本でも約1000万人が感染し、約1万人が死亡していると推定されています。しかし、毎日のようにその状況が報道され、社会現象になることはほとんどありません。

 

ネットを覗くと、「怖いのはインフルエンザ」と声をあげる専門家の投稿も散見されます。確かに、現時点では新型ウイルスに対するワクチンなどもなく、不安でないと言えば嘘になりますが、やがて人類の英知によってワクチンも開発されることはまず間違いないでしょう。

 

専門家は、「大したことはないと言い切るのはいけないが、さりとて、過度に騒ぎ立て不安をあおるような報道とそれに過敏に反応するのは問題」と指摘しています。今、大方の国民に求められているのは、「侮らず、冷静に対処する」ことであろうと思います。

 

 私は、これまでの人生に一度もインフルエンザにり患した経験がなく、最近は予防注射も打たなくなりました。しかし今年は、地下鉄など人ごみの中ではマスクをすることや手洗いを普段より多くすることなどを心がけてだいぶ前から実践しています。自分自身の免疫力を信じつつしばらくはそれで充分と思っています。

 

 さはさりながら、このような国民の最大関心事の前に、相変わらず些末な問題に明け暮れる先生方を処方するワクチンはないものかと呆れますが、皆様、「侮らず、しかし冷静に」対処しましょう。

 

松岡外相が「日米諒解案」をつぶす

 

前回に続き「日米諒解案」の顛末を取り上げましょう。「日米諒解案」については、当然ながら、昭和天皇も素直に喜ばれたようですが、近衛首相には、訪欧日程を終えて帰国する松岡外相がどのように反応するか、一抹の不安が残ります。そこで、「自分で説得しよう」と思い立ち、松岡を出迎えるため立川飛行場まで赴きます。

 

一国の総理大臣が外務大臣を迎えるためにわざわざ立川まででかける姿はあまりに滑稽です。振り返れば、天皇のご意向に逆らって松岡を閣内に取り込んだ近衛でしたが、まさに自縄自縛(じじょうじばく)となり、その上、主従が逆転し、二人の距離は大きく開いてしまっていたのです。

 

立川で近衛の目に入ったのは、「日ソ中立条約」を調印し、凱旋将軍気取りでカメラのフラッシュを浴びる松岡の姿であり、近衛はそのパフォーマンスにうんざりして説得を大橋忠一外務次官に任せてしまいます。

 

案の定、松岡は、外相である自分が関与しないところでまとめられた「日米諒解案」に対しては「盟邦の独伊に対して不信極まりない」と不快感を示します。

 

そして翌日、松岡は、大本営政府連絡懇談会で驚くべき行動に出ます。「帰国後の歓迎会で飲まされた」とろれつが回らないほど酔って現れ、訪欧の自慢話を吹きまくったのです。近衛が「“原則了解”と打電したい」と発言すると、「2週間ぐらい考えさせてほしい」とさっさと引き上げてしまいます。

 

後日、松岡は「アメリカの役割は、和平勧告のみにとどめ、日中間での平和条件の具体的内容には立ち入らせない」旨の独自の修正案を作成し、アメリカ側に提示させます。

 

松岡の修正案にアメリカが歯牙にもかけなかったのは言うまでもありません。野村とハルの日米交渉がスタートしますが、不信を強めたアメリカの要求は、「日米諒解案」をはるかに超えて硬化し、両国間の隔たりが鮮明になっていきます。米国の要求は、@日中交渉の相手は蒋介石政権のみとし、A間接的に満州国を否認し、さらにはB日本軍の中国駐兵を認めず、C「東亜新秩序」の否定、まで及びます。万事休す!でした。

 

松岡は天皇にも強硬論を唱え、天皇は松岡の正気を疑います。松岡退室の後、木戸内大臣に「外相を取り換えてはどうだか」と打診されたようです。ちょうどその頃(6月)、アメリカは、その年の3月に議会を通過させてイギリスに適用していた「武器貸与法」を中国に適用させます。

 

裏切りの「独ソ戦」

 

松岡の強硬姿勢によって再び日米開戦の危機が迫った頃でした。そのタイミングを見計らったように、日米の亀裂をさらに決定的なものにする新たな事態が欧州で発生します。ヒトラーが、有名な「バルバロッサ作戦」を発動し、独ソ戦が勃発したのです(6月22日)。

 

独軍の総勢300万人、約2700機の航空機、約3550両の戦車がモスクワに向けて攻撃前進し、不意を衝かれたソ連軍は総崩れとなります。

 

ヒトラーが対ソ連戦を決意したのは、「日独伊三国同盟」締結される2か月前の1940(昭和15)年7月末だったとされます。その秘密会議で「英国の希望はロシアとアメリカである。ロシアが打倒されると、英国の最後の望みも消滅するだろう。その暁にはドイツはヨーロッパとバルカンの支配者になれる」と豪語したのです。

 

他方、アメリカについては日本に牽制してもらうのがヒトラーの魂胆でした。「日独伊三国同盟」締結時に「日本とソ連の橋渡しをする」と口約束しながら、腹の底では真逆の陰謀を画策していたのでした。

 

ドイツはまた、独ソ戦の開始を日本に事前通告しませんでした。これを“背信行為”として同盟を空文化し、一気に日米交渉を加速させることの可能だったのでしょうが、「日米諒解案」亀裂直後だっただけに、軌道修正は困難だったと推測されます。独ソ戦前後の我が国の対応を振り返ってみましょう。

 

「独ソ戦」への我が国の対応

 

独ソ戦が始まる2週間ほど前、大島浩駐独大使から「独ソ開戦は確実」との情報が入り、政府・陸軍ともにその対処に忙殺されます。

 

田中ら作戦部は、またしても「ドイツの侵攻は短期間でソ連を崩壊させる」と見積もり、これを好機として北方武力行使、つまり対ソ戦への強い意志を持ち主張します。そして「独ソ戦になれば、米英ソの連携は強化されるだろうから、西太平洋での米英の動きに備え、仏印とタイを包摂しておかなければならない」と南方武力行使も主張します。

 

「ソ連が屈服すれば、日本への北方からの脅威を取り除くとともに、イギリスの対独戦意思を破砕して大東亜共栄圏形成の最大の障害を取り除き、南方作戦を容易にする。このことは、米国に対しても強い軍事的圧力となって、対独参戦を背後から牽制する効果を持つ」と考えた結果だったようです。

 

田中らは、この時点で“独伊枢軸”か“対米英連携化”か、を改めて自問した上で、自らの情勢分析として“独伊枢軸”を選択したのです。昭和陸軍は、ドイツとの同盟を固定的に考えていたわけではなく、“米英連携”も選択肢に入れていたことは事実でした。

 

この考えは松岡外相とおおむね一致し、松岡もソ連と即時開戦すべきこと、早晩、ソ米英3国と同時に戦わなければならないことを主張します。

 

これに対して、武藤軍務局長らは「ソ連の広大な領土と資源、それに一党独裁の強靭が政治組織から容易には屈服しないだろう」と判断、「独ソ戦をドイツの勝利で短期に集結する可能性は低く、長期持久戦になる」と見積もっていたようです。

 

それゆえ、「独ソ戦については事態を静観し、情勢の展開を見守る」という姿勢でした。よって、対ソ武力行使は否定的で、「日米交渉をさらに力を注ぎ、それを活用して日中戦争の解決を促進すべき」と考え、田中と激しく対立します。

 

田中らも、独ソ戦が必ずしも短期間に終了しない場合も想定し、その際には「極東ソ連軍の動向によっては武力行使し、ドイツと東西からソ連を挟撃しよう」と考えていたようです。

 

こうして、独ソ戦に伴う国策案について、陸軍省内で意見調整が行なわれ、田中が主張する「北方武力行使と南方武力行使については、陸軍省軍務局も容認しうる場合に限定する」という妥協案で「情勢の推移に伴う国防国策大綱」陸軍案がまとめられます。

 

この間、松岡は「ただちにドイツと共同してソ連を攻撃すべき」と主張し、独断で天皇に上奏しますが、天皇は松岡の判断には否定的で、それを知った近衛は、この機会に「三国同盟の前提が崩れた以上、これを無効化してアメリカとの交渉を進め、中国に和平を勧告してもらうしか道はない」と考えます。

 

大本営政府連絡懇談会においては、松岡の北進論、陸海軍の南進論が対立、激しい議論の応酬となります。両者ともドイツの快進撃に目がくらみ、近衛の同盟破棄論は全く問題となりませんでした。

 

これらの結果を受けて、「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」陸海軍案として「@大東亜共栄圏建設の方針堅持、A自存自衛のための南方進出の歩を進め、情勢の推移に応じて北方問題を解決する」との方針を決定します。この場において、武藤同様、北方武力行使に慎重だった海軍から初めて「対米英戦を辞せず」との強い表現が示されます。7月2日、陸海軍案どおり御前会議で正式決定されます。

 

この決定は、その後の日本の進路の方向付けをしたものとして重要な意味を持っていました。特に、「独ソ戦の動向をにらんで対ソ武力準備を整える」ことが公式に認められ、田中ら作戦部は対ソ戦強化に向けて動きだすことになります。

 

「独ソ戦」の背景と結果

 

最後に、「『独ソ不可侵条約』を破って、なぜヒトラーがソ連を攻撃したか」についてまとめておきましょう。

 

これには様々な見方がありますが、その根本は、ヒトラーは「東方に、豊富な資源や農地を有する空間、つまり『生存権』を確保しなければゲルマン民族は生き残れない」と確信し、対英戦争が膠着状態に陥る中、ドイツ軍部も同調して開戦に踏み切ったというのが真相のようです。

 

その背景に、1937年頃からスターリンが軍部を「大粛清」して軍が弱体化していたことがありました。それもあって、ドイツは、当初は「短期決戦による圧勝」と確信していましたが、ソ連がコミュニズムとナショナリズムを足した「大祖国戦争」と銘打って、犠牲者をいとわず(実際に2700万人が犠牲となります)予備役を大量投入して抵抗したために手こずります。

 

そしてナポレオン同様、とうとう“冬将軍”に遭遇し、モスクワまであと30キロというところまで近づいた12月5日、攻撃を中止し、翌日から敗走します。

 

のちに触れます「真珠湾攻撃」の3日前のできごとでした。なぜこのような欧州情勢の大きな転換点を目の前にして、「真珠湾攻撃」を敢行したか、などについてはいずれ振り返ってみましょう。

 

このように、独ソ戦は単なる「植民地獲得」にとどまらず、「収奪戦争」「世界観戦争」だったとし、「満蒙は我が国の生命線」とした日中戦争と類似するとの見方があることを付記しておきます。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)2月6日配信)

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
「東京裁判」の結果と評価
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
我が国の安全保障政策をめぐる議論
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。
「マッカーサー証言」の意味するもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「マッカーサー証言」の意味するもの」 (令和二年(2020年)8月6日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結への道程
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結への道程」 (令和二年(2020年)8月20日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復」 (令和二年(2020年)8月27日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その1)」 (令和二年(2020年)9月3日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その2)」 (令和二年(2020年)9月10日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その3)」 (令和二年(2020年)9月17日配信)です。