日米戦争への道程(その4)

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はじめに

 

 ここまでくると(2月1日現在)、新型コロナウイルス問題に触れないわけにはまいりません。日々新たなニュースが世の中にあふれ出し、あたかも中国発の新型ウイルスが急激に蔓延し、明日にも人類社会が大パニックになるような雰囲気すら感じます。

 

SARSが大流行した時、北京で勤務していた元外務官僚の宮家邦彦氏はその経験から「中国の実態は発表の10倍」と指摘しています。2月1日現在、中国の患者は約1万人、死者259人との発表ですから、実態はその10倍と推測すれば、患者10万人、死者約3千人弱ということになるでしょう。しかも日々これらの数字が増え続けていまし、映像などをみるに、発症地の武漢などは悲惨な状況にあるのは間違いないでしょう。

 

 しかし、冷静に考えてみましょう。毎年発生するインフルエンザは、予防注射などの医療体制が完備しているのにもかかわらず、世界中で毎年の死亡者は約25〜50万人を数え、日本でも約1000万人が感染し、約1万人が死亡していると推定されています。しかし、毎日のようにその状況が報道され、社会現象になることはほとんどありません。

 

ネットを覗くと、「怖いのはインフルエンザ」と声をあげる専門家の投稿も散見されます。確かに、現時点では新型ウイルスに対するワクチンなどもなく、不安でないと言えば嘘になりますが、やがて人類の英知によってワクチンも開発されることはまず間違いないでしょう。

 

専門家は、「大したことはないと言い切るのはいけないが、さりとて、過度に騒ぎ立て不安をあおるような報道とそれに過敏に反応するのは問題」と指摘しています。今、大方の国民に求められているのは、「侮らず、冷静に対処する」ことであろうと思います。

 

 私は、これまでの人生に一度もインフルエンザにり患した経験がなく、最近は予防注射も打たなくなりました。しかし今年は、地下鉄など人ごみの中ではマスクをすることや手洗いを普段より多くすることなどを心がけてだいぶ前から実践しています。自分自身の免疫力を信じつつしばらくはそれで充分と思っています。

 

 さはさりながら、このような国民の最大関心事の前に、相変わらず些末な問題に明け暮れる先生方を処方するワクチンはないものかと呆れますが、皆様、「侮らず、しかし冷静に」対処しましょう。

 

松岡外相が「日米諒解案」をつぶす

 

前回に続き「日米諒解案」の顛末を取り上げましょう。「日米諒解案」については、当然ながら、昭和天皇も素直に喜ばれたようですが、近衛首相には、訪欧日程を終えて帰国する松岡外相がどのように反応するか、一抹の不安が残ります。そこで、「自分で説得しよう」と思い立ち、松岡を出迎えるため立川飛行場まで赴きます。

 

一国の総理大臣が外務大臣を迎えるためにわざわざ立川まででかける姿はあまりに滑稽です。振り返れば、天皇のご意向に逆らって松岡を閣内に取り込んだ近衛でしたが、まさに自縄自縛(じじょうじばく)となり、その上、主従が逆転し、二人の距離は大きく開いてしまっていたのです。

 

立川で近衛の目に入ったのは、「日ソ中立条約」を調印し、凱旋将軍気取りでカメラのフラッシュを浴びる松岡の姿であり、近衛はそのパフォーマンスにうんざりして説得を大橋忠一外務次官に任せてしまいます。

 

案の定、松岡は、外相である自分が関与しないところでまとめられた「日米諒解案」に対しては「盟邦の独伊に対して不信極まりない」と不快感を示します。

 

そして翌日、松岡は、大本営政府連絡懇談会で驚くべき行動に出ます。「帰国後の歓迎会で飲まされた」とろれつが回らないほど酔って現れ、訪欧の自慢話を吹きまくったのです。近衛が「“原則了解”と打電したい」と発言すると、「2週間ぐらい考えさせてほしい」とさっさと引き上げてしまいます。

 

後日、松岡は「アメリカの役割は、和平勧告のみにとどめ、日中間での平和条件の具体的内容には立ち入らせない」旨の独自の修正案を作成し、アメリカ側に提示させます。

 

松岡の修正案にアメリカが歯牙にもかけなかったのは言うまでもありません。野村とハルの日米交渉がスタートしますが、不信を強めたアメリカの要求は、「日米諒解案」をはるかに超えて硬化し、両国間の隔たりが鮮明になっていきます。米国の要求は、@日中交渉の相手は蒋介石政権のみとし、A間接的に満州国を否認し、さらにはB日本軍の中国駐兵を認めず、C「東亜新秩序」の否定、まで及びます。万事休す!でした。

 

松岡は天皇にも強硬論を唱え、天皇は松岡の正気を疑います。松岡退室の後、木戸内大臣に「外相を取り換えてはどうだか」と打診されたようです。ちょうどその頃(6月)、アメリカは、その年の3月に議会を通過させてイギリスに適用していた「武器貸与法」を中国に適用させます。

 

裏切りの「独ソ戦」

 

松岡の強硬姿勢によって再び日米開戦の危機が迫った頃でした。そのタイミングを見計らったように、日米の亀裂をさらに決定的なものにする新たな事態が欧州で発生します。ヒトラーが、有名な「バルバロッサ作戦」を発動し、独ソ戦が勃発したのです(6月22日)。

 

独軍の総勢300万人、約2700機の航空機、約3550両の戦車がモスクワに向けて攻撃前進し、不意を衝かれたソ連軍は総崩れとなります。

 

ヒトラーが対ソ連戦を決意したのは、「日独伊三国同盟」締結される2か月前の1940(昭和15)年7月末だったとされます。その秘密会議で「英国の希望はロシアとアメリカである。ロシアが打倒されると、英国の最後の望みも消滅するだろう。その暁にはドイツはヨーロッパとバルカンの支配者になれる」と豪語したのです。

 

他方、アメリカについては日本に牽制してもらうのがヒトラーの魂胆でした。「日独伊三国同盟」締結時に「日本とソ連の橋渡しをする」と口約束しながら、腹の底では真逆の陰謀を画策していたのでした。

 

ドイツはまた、独ソ戦の開始を日本に事前通告しませんでした。これを“背信行為”として同盟を空文化し、一気に日米交渉を加速させることの可能だったのでしょうが、「日米諒解案」亀裂直後だっただけに、軌道修正は困難だったと推測されます。独ソ戦前後の我が国の対応を振り返ってみましょう。

 

「独ソ戦」への我が国の対応

 

独ソ戦が始まる2週間ほど前、大島浩駐独大使から「独ソ開戦は確実」との情報が入り、政府・陸軍ともにその対処に忙殺されます。

 

田中ら作戦部は、またしても「ドイツの侵攻は短期間でソ連を崩壊させる」と見積もり、これを好機として北方武力行使、つまり対ソ戦への強い意志を持ち主張します。そして「独ソ戦になれば、米英ソの連携は強化されるだろうから、西太平洋での米英の動きに備え、仏印とタイを包摂しておかなければならない」と南方武力行使も主張します。

 

「ソ連が屈服すれば、日本への北方からの脅威を取り除くとともに、イギリスの対独戦意思を破砕して大東亜共栄圏形成の最大の障害を取り除き、南方作戦を容易にする。このことは、米国に対しても強い軍事的圧力となって、対独参戦を背後から牽制する効果を持つ」と考えた結果だったようです。

 

田中らは、この時点で“独伊枢軸”か“対米英連携化”か、を改めて自問した上で、自らの情勢分析として“独伊枢軸”を選択したのです。昭和陸軍は、ドイツとの同盟を固定的に考えていたわけではなく、“米英連携”も選択肢に入れていたことは事実でした。

 

この考えは松岡外相とおおむね一致し、松岡もソ連と即時開戦すべきこと、早晩、ソ米英3国と同時に戦わなければならないことを主張します。

 

これに対して、武藤軍務局長らは「ソ連の広大な領土と資源、それに一党独裁の強靭が政治組織から容易には屈服しないだろう」と判断、「独ソ戦をドイツの勝利で短期に集結する可能性は低く、長期持久戦になる」と見積もっていたようです。

 

それゆえ、「独ソ戦については事態を静観し、情勢の展開を見守る」という姿勢でした。よって、対ソ武力行使は否定的で、「日米交渉をさらに力を注ぎ、それを活用して日中戦争の解決を促進すべき」と考え、田中と激しく対立します。

 

田中らも、独ソ戦が必ずしも短期間に終了しない場合も想定し、その際には「極東ソ連軍の動向によっては武力行使し、ドイツと東西からソ連を挟撃しよう」と考えていたようです。

 

こうして、独ソ戦に伴う国策案について、陸軍省内で意見調整が行なわれ、田中が主張する「北方武力行使と南方武力行使については、陸軍省軍務局も容認しうる場合に限定する」という妥協案で「情勢の推移に伴う国防国策大綱」陸軍案がまとめられます。

 

この間、松岡は「ただちにドイツと共同してソ連を攻撃すべき」と主張し、独断で天皇に上奏しますが、天皇は松岡の判断には否定的で、それを知った近衛は、この機会に「三国同盟の前提が崩れた以上、これを無効化してアメリカとの交渉を進め、中国に和平を勧告してもらうしか道はない」と考えます。

 

大本営政府連絡懇談会においては、松岡の北進論、陸海軍の南進論が対立、激しい議論の応酬となります。両者ともドイツの快進撃に目がくらみ、近衛の同盟破棄論は全く問題となりませんでした。

 

これらの結果を受けて、「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」陸海軍案として「@大東亜共栄圏建設の方針堅持、A自存自衛のための南方進出の歩を進め、情勢の推移に応じて北方問題を解決する」との方針を決定します。この場において、武藤同様、北方武力行使に慎重だった海軍から初めて「対米英戦を辞せず」との強い表現が示されます。7月2日、陸海軍案どおり御前会議で正式決定されます。

 

この決定は、その後の日本の進路の方向付けをしたものとして重要な意味を持っていました。特に、「独ソ戦の動向をにらんで対ソ武力準備を整える」ことが公式に認められ、田中ら作戦部は対ソ戦強化に向けて動きだすことになります。

 

「独ソ戦」の背景と結果

 

最後に、「『独ソ不可侵条約』を破って、なぜヒトラーがソ連を攻撃したか」についてまとめておきましょう。

 

これには様々な見方がありますが、その根本は、ヒトラーは「東方に、豊富な資源や農地を有する空間、つまり『生存権』を確保しなければゲルマン民族は生き残れない」と確信し、対英戦争が膠着状態に陥る中、ドイツ軍部も同調して開戦に踏み切ったというのが真相のようです。

 

その背景に、1937年頃からスターリンが軍部を「大粛清」して軍が弱体化していたことがありました。それもあって、ドイツは、当初は「短期決戦による圧勝」と確信していましたが、ソ連がコミュニズムとナショナリズムを足した「大祖国戦争」と銘打って、犠牲者をいとわず(実際に2700万人が犠牲となります)予備役を大量投入して抵抗したために手こずります。

 

そしてナポレオン同様、とうとう“冬将軍”に遭遇し、モスクワまであと30キロというところまで近づいた12月5日、攻撃を中止し、翌日から敗走します。

 

のちに触れます「真珠湾攻撃」の3日前のできごとでした。なぜこのような欧州情勢の大きな転換点を目の前にして、「真珠湾攻撃」を敢行したか、などについてはいずれ振り返ってみましょう。

 

このように、独ソ戦は単なる「植民地獲得」にとどまらず、「収奪戦争」「世界観戦争」だったとし、「満蒙は我が国の生命線」とした日中戦争と類似するとの見方があることを付記しておきます。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)2月6日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。