日米戦争への道程(その5)

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松岡更迭と対ソ武力行使断念

 

さて、前回に続く日米交渉の経緯ですが、米国から修正案が届いたのは独ソ戦勃発の前日、昭和16年6月21日でした。そこには、「日独伊三国同盟」を従来以上に無力化することを強調する内容に加え、松岡更迭を促す口述書も添付されていました。

 

近衛首相は、陸海軍ともに日米交渉の継続を望んでいることから、独断で「口述書拒否」の電報を発出した松岡を排除するため、閣内不一致の理由で総辞職を奏上し、7月18日、新たに豊田貞次郎元海軍次官を外相に迎えて第3次近衛内閣を発足させます。これにより、ようやく松岡の政治生命が絶たれたのでした。

 

再三申し上げますが、松岡外相は歴史上、評価に値しない人物だったことに異論の余地はないと考えます。そして最近の言葉でいう「任命責任」を考えますと、近衛の松岡起用に至る“ふし穴”を含め、このような二人が日本の運命を大きく狂わしたことは何とも残念至極でした。その意味では、終始強硬論者だった田中新一を軍事課長から作戦部長に任命した陸軍首脳部にも同様の責任があるのは明白です(戦後、その田中がいずれの戦犯に問われないのも不思議です。いずれ取り上げましょう)。

 

さて、田中ら参謀本部は、この後も北方武力行使にこだわり、在満部隊を総勢85万人まで大動員しますが、独ソ戦の厳しさにかかわらず、日本の参戦を強く警戒していたソ連は、極東ソ連軍の兵力を田中らが期待するほど削減しませんでした。こうして、8月9日、ようやく参謀本部は年内の対ソ武力行使を断念します。

 

南部仏印進駐と米国の対日石油全面禁輸

 

一方、南方武力行使については、武藤ら軍務局は、米英と戦争にならない範囲で南進し、“南部仏印を進駐の限度”と考えていたようで、7月28日、南部仏印進駐を発動します。しかし、実際には日仏間の協定が進駐以前に成立し、武力行使を伴わない平和進駐となります。それにもかかわらず、アメリカは、対日石油全面禁輸措置を発動します。

 

進駐時点では、陸海軍はアメリカのこの措置を全く予期していなかったといわれますが、野村大使から「何かあれば、全面禁輸の断行は躊躇しないだろう」との情報が入っていたようで、武藤ら軍務局は一連の経済圧迫を予期していたようです。

 

また、南進の拡大が対米英軍事衝突を意味することも知っていたにもかかわらず、軍務局が南部仏印進駐の実施を容認した背景には、「参謀本部がしゃにむにソ連に飛び掛かりそうなのでそれを防ぐのが狙いだった」(武藤の回顧録より)とする参謀本部と陸軍省の情勢判断の差異が影響していました。

 

陸軍省は「北は希望、南は必然、北をやれば南に必ず火がつく」、つまり、「大東亜共栄圏の建設のため、資源を求めての南方進出は“必然”だが、北方武力行使によるソ連の排除は“実現できれば望ましい”」ぐらいに考えていたようです。

 

他方、田中ら参謀本部は、対ソ戦遂行のための資源確保のためにも南方作戦の重要性を認識していました。田中らは「もし米英が南部仏印に先手を打って確保すれば国防計画は南から崩れていく。しかし、米英はまだ本格的準備ができていない。よって、“自存自衛”のために北方武力行使を中止して南方作戦を実行しよう」と考えていたのです。

 

アメリカ国内においても、日本の南部仏印進出への対応については意見が分かれます。対日強硬派が「対日圧力をかければ日本が最終的に譲歩する」と判断していたのに対し、グルー駐米大使ら知日派は「日本を追い詰めると開戦に踏み切る可能性がある」と警告していました。

 

これに対して、ルーズベルトが対日石油全面禁輸に踏み切った判断は、「独ソ戦においてソ連が極めて危険な状況にあり、仮にソ連が敗北すれば、ドイツは本格的なイギリス侵攻に向かうだろう。その結果、イギリスに本格的な危機が訪れれば、アメリカはヨーロッパの足掛かりを失う」との危機意識を持ち、日本の対ソ戦開戦を阻止するために、「全面禁輸」という最大限の強硬措置に踏み切ったのでした。

 

一般には、アメリカの対日石油全面禁輸は、日本のさらなる南方進出を抑制するための判断だったとされますが、それ以上に「北方での本格的な対ソ攻撃を阻止」、その延長で「イギリスの崩壊の絶対阻止」があったのでした。つまり、アメリカの対日石油全面禁輸とその後の対日戦決意は「イギリスの存続のために行なわれた」と結論付けることができますが、これらは今だから言えるのであって当時、日本がここまで深読みしていた気配はなかったようです。

 

日米交渉継続か開戦決定か

 

こうして、我が国政府と陸海軍にとって、「対米対応」が第一義的な外交問題として浮上し、対ソ戦を優先的に考えることができなくなります。

 

イギリスやオランダもアメリカに追随し(いわゆる「ABCD包囲網」です)、石油をはじめ軍需物資輸入の道はほぼ閉ざされ、近衛の耳にも開戦の足音がはっきりと聞こえ始めたのでした。

 

8月4日、近衛は、中国からの撤兵も辞さない覚悟で、ハワイでルーズベルト大統領と首脳会談を決意し、陸海軍の頭越しに野村大使に訓電します。首脳会談の申し出に、ハル長官は冷淡でしたが、ルーズベルト大統領は「アラスカではどうか?」と前向きな姿勢を示し、野村を喜ばせました。

 

これには裏がありました。8月上旬に米英首脳会談が行なわれ、対日強硬論策を求めるチャーチルに対して、ルーズベルトは「私にまかせてほしい。3か月ぐらいは彼ら(日本)を“あやしておける”と思っている」と発言しています。アメリカにとって。この時点の日米交渉は、もはや“開戦準備を完了するまでの時間稼ぎ”となりつつあったのです。

 

この近衛の日米首脳会談構想に対して、武藤ら陸軍省は現政策の履行を条件に同意します。内心では首脳会談に期待をかけていました。しかし、田中ら参謀本部は、近衛が三国同盟を弱める方向でルーズベルトと妥協することを危惧して強硬に反対します。

 

武藤らは、「反対すれば近衛が内閣を投げ出す可能性がある。そうすればその責任は陸軍が負うことになる」と田中を説得します。田中は、やむなく「三国同盟を弱める約束をしない」という条件で了解します。

 

「大西洋憲章」発表

 

日本側から首脳会談の提案がアメリカ側に示された頃、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が会談し、8月14日、米英共同宣言として「大西洋憲章」が発表されます。

 

その概要は、@合衆国と英国の領土拡大意図の否定、A領土変更における関係国の人民の意思の尊重、B政府形態を選択する人民の権利、C自由貿易の拡大・経済協力の発展、D恐怖と欠乏からの自由の必要性などに続き、のちの「国際連合」設立の根拠とされた「一般的安全保障のための仕組みの必要性」も謳われています。

 

ルーズベルトが「この原則が世界各地に適用される」と考えたのに対し、チャーチルは「ナチス・ドイツ占領下ヨーロッパに限定される」、つまり、アジア・アフリカのイギリス帝国の植民地にはこの原則が適用されるのを拒絶していました。

 

そのルーズベルトも「あくまでドイツに主権を奪われていた東欧白人国家について述べたもので、(アジアの)有色人種のためのものではない」と語ったとのことですが、 憲章には日本を名指しはしていないものの、侵略的膨張主義への批判が表明されていました。

 

チャーチル回顧録によれば、ルーズベルトとは約1千通の交信があったとのことですから、互いの本音をわかった上での憲章だったと考えます。それにしても、欧州戦線の帰趨が全く不明なこの時期に、巨大な植民地を抱え、ややもすれば自国の“命取り”になるリスクを覚悟し、米国を参入させるために上記の内容を含む憲章の宣言まで漕ぎつけたチャーチルの戦略は「みごと」としか言いようがありません。そして9月には、ソ連もこの共同宣言に加わります。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)2月13日配信)

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。
「マッカーサー証言」の意味するもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「マッカーサー証言」の意味するもの」 (令和二年(2020年)8月6日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結への道程
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結への道程」 (令和二年(2020年)8月20日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復」 (令和二年(2020年)8月27日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その1)」 (令和二年(2020年)9月3日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その2)」 (令和二年(2020年)9月10日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その3)」 (令和二年(2020年)9月17日配信)です。