日米戦争への道程(その6)

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はじめに

 

 多くの昭和史研究家は、「@日中戦争が拡大し、日米戦争に至った原因は我が国にある、Aその主体は、大日本帝国憲法の『統帥権の独立』を笠に着て権力を行使した旧軍、特に陸軍にある」との“流れ”が頭に刷り込まれ、それを裏付けることに夢中になって歴史を研究し、その成果を取りまとめて出版します。それがなぜかヒットするものだから、次々にこの種の書籍が巷に溢れています。

 

他方、@については、ようやく「戦争を仕掛けたのは米国」との視点で解説する書籍も増えています。そして、Aの旧軍に関しては、海軍の将官を称賛したり、海軍の立場を援護する書籍は見かけますが、陸軍を援護する書籍はほとんどありません。

 

私は陸上自衛官として30数年も生きてきたためか、旧軍、特に陸軍の“ものの考え方”を肌感覚でわかる部分があります。今でも、国と国との付き合いにおいて、「ミリタリー・ツー・ミリタリー」といわれる軍人同士の交流は、政治家や官僚などより相互理解を得やすい部分がありますが、同じような感覚です。

 

そのような視点で旧軍の指揮官や参謀たちの“生きざま”を自分なりに追体験しますと、なぜかこれまでの歴史書などに書かれている内容に違和感を抱き、悶々としながら、長い間、自分なりの視点で「史実」を追い求めてきました。

 

大東亜戦争の意義などについては、のちほど総括するつもりでおりますが、「我が国の命運を狂わした日米戦争をなぜ避けることができかったのか」について、当時の状況に我が身を置いて追体験しつつ、できるだけ「史実」を追いかけながら書き記したところ、このテーマが本当に長くなってしまいました。

 

今回、そして次回は「アメリカ側から見た米日戦争への道程」を要約した形で加えてこのテーマを終了しようと思いますが、日米戦争への道程は、「我が国に一方的な責任がある」とか「軍人、特に陸軍のミスリード」というような単純なものでなかったと考えています。

 

もちろん、当事者であった旧軍、特に陸軍の責任を軽視するものでも安易な同情心を抱くものではありませんが、@刻々変化する欧州情勢や中国情勢に振り回され、Aしたたかな米国の戦略(工作)を読み切れず、B(チャーチルのような)国を導く強力なリーダーが不在で、Cマスコミの煽動に煽られた無責任な世論が存在するなかで、(いまだ発展途上にある)中堅将校たちが国の舵取りの判断を強いられた“歴史の流れの中の現実”にどうしても思いが至ります。

 

それを旧軍の“暴走”というのは簡単ですが、彼らの双肩にかかる重さを含めて、このような国家の指導体制になってしまったことまで彼らにその責任を押し付けることはいかにも乱暴という認識を持たざるを得ません。

 

 かなり端折りながらも、日米戦争に至った節目とそこに至る葛藤を主にまとめてきましたが、読者の皆様には「どのような経緯を経て国の命運を決める決断をしたのか?」について、これまでの先入観を廃してご一読いただくことを願っております。その上で、いつの間にか出来上がった“自分なりの常識”にいささかなりとも疑問を感じていただければ、望外の喜びです。続けましょう。

 

日米首脳会談決裂

 

さて前回の続きです。8月17日、米英会談を終えたルーズベルトから野村大使に2つの文書が手交されました。1つは、「日本政府が武力によって隣接諸国に進出するなら、アメリカは一切に必要な措置をとる」との強い警告文、もう1つは首脳会談提案に対する回答で、「アメリカが従来から主張してきた基本原則に適合するもの以外は一切考慮されない」とする強硬なものでした。

 

これに対して、近衛は「これまでの行きがかりに捉われず、大所高所から太平洋全般にわたり日米間の重要な問題を討議し、最悪の事態を回避したい」と首脳会談にかける熱意を示します。

 

近衛の熱意に対して、グルー駐日大使も理解を示し、ワシントンに意見具申をします。また、大統領も乗り気であることが野村大使から伝えられ、政府や陸海軍は首脳会議に実現に向けて、随行の人選まで進めます。

 

しかし、9月3日、アメリカ政府の回答は「首脳会談の前に、これまでの懸案事項について日米間で一定の合意が必要である」とし、その合意の中には、「日米諒解案」の4原則も含まれていました。野村大使が日本に送付しなかったハル長官の「領土保全」「主権尊重」「内政不干渉」「機会均等」の4原則です。

 

さらに、ハル長官は、これまでの日米間の懸案事項であった「特定の根本問題」、つまり「中国撤兵問題」「三国同盟問題」「通商無差別原則の問題」も合意が必要と示唆します。

 

近衛のメッセージに全く触れていなかったこれらの問題まで「すべて合意が必要」とする米側要求について、首脳会談の前の妥協することは困難なことが明白になり、事実上、日米首脳会談の早期開催の見通しは立たなくなってしまいます。この段階で、近衛の企図は“水の泡”に帰してしまったのです。

 

のちの真珠湾攻撃の際の外務省の不手際が問題になりますが、「日米諒解案」の段階から米国の真意を伝えなかったことの方がよほど“罪が重い”と個人的には考えます。

 

交渉継続か開戦決意か

 

この回答を受けて、日本政府と陸海軍は「米英蘭から対日禁輸を受けた場合は、自存自衛のために南方武力行使に踏み切る」とした「対南方施策要領」の見直しを迫られますが、この場においても、陸軍省と参謀本部、海軍の間には意見の相違が残ります。

 

武藤ら陸軍省は慎重で、「対米戦の主力は海軍になるので、南方戦は海軍の主導によらなければならない」と、対米英戦は「海軍の決意次第」との反応を示します。

 

石油全面禁輸によって窮地に陥った海軍は「帝国国策方針」を作成し、8月16日、陸軍側に提示します。その内容は「10月中旬を目途に戦争準備と外交を並進させ、10月中旬に至っても外交的妥協が得られない場合は実力行使の措置をとる」というものでした。

 

これに対して、田中ら参謀本部は、「即時対米開戦決意のもとに作戦準備をすべき」と強硬論を主張します。背景に、海軍と違い、陸軍には「国家レベルの開戦決意がなければ戦争準備は困難」との認識がありますが、田中の強硬論には、“対米戦争の決意そのものを重視する”意図があったのでした。三国同盟破棄のような外交的妥協の可能性はほぼゼロと判断し、「戦争が主で、外交が従」という立場だったのです。

 

これによって、参謀本部は「即時戦争決意」を盛り込んだ「帝国国策遂行要領」を作成し、杉山参謀総長の同意を得て陸軍省に提示します。武藤ら陸軍省は、できるかぎり外交の余地を残して、あくまで日米交渉によって事態の打開を図ろうと難色を示した結果、武藤と田中が会談し、「9月下旬に至っても要求が貫徹しない場合はただちに対米英蘭開戦を決意する」と双方の妥協案で修正します。

 

早期の開戦決意について、田中は、来春以降の北方武力行使の可能性を捨てなかったようで、その執着心は半端でありませんでしたが、強硬論の田中でさえも、“できれば対米戦は回避したい”と考えつつ、“一定時期まで外交的妥協ができなければ対米戦を決意しなければならない”との立場でした。

 

陸海軍局長会議で海軍の意思を確認しますが、海軍の態度はまだ定まっていなかったようです。調整の結果、開戦決意を「9月下旬」から「10月上旬」と修正し、「帝国国策遂行要領」陸海軍案が完成します。

 

御前会議(9月6日)

 

 これでようやく、第70話で紹介しました9月6日の御前会議に歴史の針が戻りました。

 

「帝国国策遂行要領」は、@対米英蘭戦争を辞せざる決意のもとに10月下旬を目途として戦争準備を整える。Aこれと並行して米英に対し外交手段を尽くして要求貫徹に努める。B10月上旬に至っても要求が貫徹できない場合はただちに対米英蘭開戦を決意する」となっており、70話で紹介しました原枢密院議長の「戦争が主で外交が従なのか」の発言となります。

 

天皇が明治天皇御製の和歌を詠まれた後、沈黙を破って永野軍令部長が「海相の答弁が政府と統帥部を代表したものと思い、発言しませんでした。外交を主とする趣旨にかわりはありません」と発言し、杉山参謀総長も「軍令部長と同じです」と直立不動で発言し、御前会議は終わりました。

 

近衛退陣・東條内閣誕生

 

驚くことに、御前会議のみならず、これに至る大本営政府連絡会議や閣議においても、近衛首相は、自ら画策した首脳会議が頓挫したせいか、戦争決意に対する異議や反対意見を一切述べておりません。首相の地位にある政治家としては極めて不可解でした。

 

会議後、武藤軍務局長は部下を集め、「天皇は何としても外交で妥協せよとの仰せだ」と発言しますが、服部卓四郎のように「陸相は何度も参内して天皇を説得すべきだ」という強硬な意見もあり、陸軍の流れを変え、時代の流れを止めることができたのはわずか1か月ほどでした。その理由の主たるものは、米政府首脳の態度が日に日に硬化していったことにもありました。

 

9月3日、日米首脳会談を事実上拒否する回答が大統領から野村大使に手交され、10月2日、ハルが野村に会い、改めて4原則を強調するとともに、「仏印と中国から全面撤兵」を求める覚書を手渡します。

 

近衛は、中国から全面撤兵を決意し、陸海外相らを集めて協議します。その席で、及川海相から「今や和戦いずれかに決すべきだ。その決心は総理に一任したい」と決断を強要され、東條陸相からは「駐兵問題は絶対譲れない」と断られます。

 

この後もハル4原則や中国の撤兵など受諾をめぐって政府と陸海軍の間に幾度となく議論が実施されますが、結局物別れに終わります。

 

10月15日、野村大使から「首脳会談絶対見込みなし」の電報が届きます。こうして、翌16日、日米首脳会談の希望が打ち砕かれた近衛は「閣内不一致」を理由に総辞職し、退陣を余儀なくされます。

 

問題は後継者でした。「陸軍を抑えなければ戦争になる。その陸軍を抑えられるものは東條以外になく、その東條に戦争回避の勅命があれば、日米交渉を再考するだろう」として原則を重んじる東條陸相に白羽の矢があたります。

 

10月17日、参内した東條に対して、天皇は「9月6日の御前会議にとらわれることなく、内外の情勢をさらに広く深く検討し、慎重なる考究を加えよ」と述べられました。のちに「白紙還元の御諚(ごじょう)」といわれる日米交渉の期限を白紙にする勅命です。

 

「甲案」「乙案」の案出

 

これに基づき、東條は「主戦論」を棄て、撤兵問題などで妥協する日米交渉の「甲案」をまとめあげます。その概要は「@欧州戦争への態度、つまり三国同盟の問題は従来通り。つまり、参戦決定は自主的に行う、Aハル4原則については、アメリカの主張を認める。B通商無差別は、全世界に適用されるべきとした上で承認する、C中国の駐兵問題は、従来通り、蒙疆(もうきょう:内モンゴル一部)・華北・海南島に駐兵する。交渉によって25年とするも可。それ以外は2年以内に撤兵」などと日本側からみればかなり譲歩したものでした。

 

11月1日の連絡会議では、第1案「戦争を極力避け、臥薪嘗胆する」、第2案「開戦を決意しこれに集中する」、第3案「開戦決意のもとに外交施策を続行する」の3案を提示します。

 

第1案を永野軍令部長が拒否し、第2案の杉山参謀総長と第3案の東郷外相と激しく議論しますが、第3案をもとに新たな「帝国国策遂行要領」が決まります。つまり「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」「対米交渉が12月1日午前零時までに成功する時は武力発動を中止する」というものでした。

 

そして、甲案を米国が拒否した場合に備え、「乙案」も用意し、2段構えの交渉で妥協に漕ぎ着けようとします。その内容は「@日本の南部仏印から撤退する代わりにアメリカは日本に石油を供給する、A両国は蘭印における必要な物資の獲得に協力する」との暫定協定案でした。

 

この「乙案」には、杉山参謀総長らが猛反発しますが、武藤は「乙案を拒否すれば、外相辞職、政変となる」として受け入れ説得をします。これに対して、対米戦をすでに決意していた田中は「絶対に許しがたい」として、その怒りの矛先が武藤に向けました。

 

新たな「帝国国策遂行要領」(甲案、乙案含む)は、(70話で紹介しました)11月5日の御前会議で決定されます。陸海軍の「対米英蘭作戦計画」はすでに10月下旬に決定されており、11月5日、山本五十六連合艦隊司令官に「大海令」が、6日、寺内寿一陸軍南方軍総司令官に「大陸令」が発令され、日米開戦に向けた準備に着手したのです。(以下次号)

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)2月20日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「明治時代の「国民精神」を育てたもの  (2019年(平成31年)2月21日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その1)」  (2019年(平成31年)2月28日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その2)」  (2019年(平成31年)3月7日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その3)」  (2019年(平成31年)3月14日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その4)」  (2019年(平成31年)3月21日配信)です。
“アジアを変えた”「日清戦争」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“アジアを変えた”「日清戦争」」  (2019年(平成31年)3月28日配信)です。
世界を驚かせた「日英同盟」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。