「大東亜戦争」の戦争戦略

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はじめに

 

昭和20年8月14日、日本政府は、閣議で「ポツダム宣言」受諾を決定するとともに、重要機密文書の焼却を決定します。「ポツダム宣言」に「戦犯の処罰」が記述されていたので、「戦犯にかかわるような文書を全部焼いてしまおう」との意思が働いたといわれます。

 

この決定を受けて、陸軍省や参謀本部など陸軍の中枢機関が所在した市ヶ谷台では数日にわたり大量の文書が焼却されました。その結果、不幸にも「歴史の真実」を語る貴重な資料の大半を失ってしまいます。

 

しかし、占領軍に押収された資料も少なくなかったのでしょう。最近、米国スタンフォード大学フーヴァー研究所の西悦男教授が、それら占領軍が押収した歴史資料などを発掘し、鋭い角度で「歴史の真実」を解き明かしています。

 

時々、私も西教授の解説を勉強させていただていいますが、それらによると、私などはまだまだ歴史の真相の“上澄み”を漁っているだけなのかも知れない、との思いに駆られます。

 

読者の皆様にも、日本の命運を狂わした「大東亜戦争」の真相にはまだまだ感知し得ない部分があること、そして、本メルマガは、これまで私が“知り得た情報”に基づき、現時点でこれが“史実”だろうと判断していることを要約していることをご理解いただきたいと願っております。

 

我が国の戦争指導組織―陸海軍の対立

 

「大東亜戦争」を振り返る時、我が国の失敗の要因として必ず指摘されるのが「陸海軍の対立」です。改めて触れておきましょう。

 

 まず、我が国と対比される米英の戦争指導組織ですが、英国は、第1次世界大戦の苦い経験から、大戦後の1918年、早くも「王立空軍」を独立させ、1924年に国防会議付属機関として三軍参謀総長会議を設置します。1940年にチャーチルが首相になると、国防大臣を新たに設置して自ら兼務し、シビリアンコントロールの体制を整備します。そして三軍参謀総長会議の下部組織として統合計画幕僚部・統合情報委員会・統合行政計画幕僚委員会等を設け、チャーチルは三軍参謀総長会議を活用して戦争指導を行ないました。

 

米国は、英国との連合作戦を協議するために英国に倣って統合幕僚会議ならびにその下部組織を整備して、ルーズベルト大統領が戦争指導に活用します。さらに、真珠湾攻撃の後には、その教訓から太平洋や欧州などの主要戦域の指揮権を統一した「統合部隊」を設けます。

 

我が国の陸海軍が明治初期の生い立ちからして違ったことは何度も述べました。その結果、陸海軍がドイツと英国の国防思想・作戦思想・政治との関係などすべてをそれぞれ別個に模倣することになり、相互不信と対立を生み出す土壌が出来上がっていました。

 

それでも明治18年に「国防会議」を設置し、皇族を議長として陸海軍の将官を議員とする会議を立ち上げますが、明治22年に創設された海軍参謀本部が海軍省の隷下に入ったため、統合された参謀本部は解消されてしまいます。

 

一方、「戦時大本営条例」が制定され、戦時の軍令は“陸軍参謀本部の下で統合”されます。この態勢で「日清戦争」を戦いましたが、戦争後、海軍側の主張によって「戦時大本営条例」が改正され、“参謀総長・軍令部総長が並列した大本営”で天皇を輔弼(ほひつ)するシステムに改められます。日露関係が風雲急な情勢下で、陸軍は海軍を協議に引き出すための手段として改訂したといわれます。

 

この体制で「日露戦争」を戦い抜き、統合運用は戦後の課題となったようですが、戦後、児玉源太郎が急逝したため、この課題は果たされることなく時が過ぎてしまいます。逆に、明治末期には「長派陸軍」「薩派海軍」と言われたように、藩閥抗争も災いして、陸海軍の対立の根っこは、容易には抜き差しならぬ“深み”にはまっていきます。

 

我が国はまた、第1次世界大戦には限定的参加にとどまったため、英国のように、欧州戦場で展開された戦争やその教訓を学ぶ機会がなく、考えや立場を異にする陸海軍が激しい対立を繰り返しながら「支那事変」から「日米戦争」を迎えることになります。

 

ようやく、昭和18年頃、窮迫する戦況を打開する決め手として陸海軍合一論が中央統帥部などで議論されますが、「時すでに遅し」でした(細部は後述します)。

 

大東亜戦争」という呼称

 

 1941(昭和16)年12月8日、日本軍はハワイの真珠湾を攻撃するとともに、英領マレー半島に上陸し、ここに「大東亜戦争」の火ぶたが切られます。12月12日、東條内閣は、「支那事変」を含めて「大東亜戦争とする」と閣議決定します。よって、「大東亜戦争」の開始は1937(昭和12)年7月7日(盧溝橋事件勃発の日)ということになります。

 

 その理念は、「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」ことであり、この理念を貫こうとしたこの名称は、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国にとって都合が悪かったため、GHQによって使用禁止となり、「太平洋戦争」という呼称が代わって用いられるようになります。

 

その後、マスコミでは「大東亜戦争」の呼称が意図的に控えられていますが、逆に「大東亜戦争」の呼称を使用すべきとの主張もあります。のちほど触れますが、我が国が目指した戦争計画そのものからしても、「太平洋戦争」と呼称すべきものでなかったことがわかります。本メルマガにおいては、“閣議決定した呼称を使うべき”と立場でこれまでも「大東亜戦争」という呼称を使用してきましたし、今後も使用するつもりです。

 

 ちなみに、本戦争に関する書籍は巷に溢れていますが、使われている呼称だけで「どちらの立場か」がただちに判明できるという便利さがあります。そして一読するとすぐ納得します。

 

「陸軍省戦争経済研究班」(秋丸機関)の戦争研究

 

「大東亜戦争」に臨む我が国の戦争戦略・計画は、確かに1941(昭和16)年11月15日の大本営政府連絡会議で「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」(以下、「腹案」)として決定されます。当然ながら海軍も同意しました。

 

その内容は、「陸軍省戦争経済研究班」(以下、「研究班」)が昭和14年秋以降、およそ2年間かけて研究した成果を継承・編集したものでした。本研究班は、これを率いたのが秋丸次郎中佐だったことから「秋丸機関」と呼ばれています。

 

 研究班は、軍人のみならず、大学教授、企画院、外務省・農林省・文部省などの少壮官僚に加え、民間企業、業界団体、金融機関の精鋭など、総勢2百名に及ぼうとする巨大な組織でした。中には、治安維持法違反で検挙され保釈中の身であった東大助教授(休職中)のマルクス経済学者・有沢広己のような異色な人物も含まれていました。

 

 冒頭に述べましたように、大本営政府連絡会議において決定された「大東亜戦争」の戦争戦略は、その存在自体も歴史の中で埋もれ、長い間完全にベールに包まれていました(私個人は未確認ですが)。なぜか防衛研究所戦史室が編纂した『戦史叢書』(全102巻)にも一切触れられていないようです。

 

恥ずかしながら、元幹部自衛官の私でさえ、その概要は、『日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』(林千勝著:2015年初版発行)で知ることになりました。興味のある方がご一読願います。細部は省略せざるを得ませんが、戦後、語られているイメージと全く違い、陸軍がいかに科学的かつ合理的だったかが理解できます。

 

特に、我が国やドイツ、それに米英の戦争遂行能力(研究班は「経済抗戦力」と呼称)の分析はかなり的確でした。例えば、ドイツについては、ドイツの勝利を妄信していた大方の陸軍参謀達と違い、ドイツの経済抗戦力は独ソ戦最中の昭和16年がピークと見積もり、生産力確保のためにはソ連占領が必要なこと、しかも対ソ連戦が膠着状態になる可能性があること、それがドイツにとって大きなリスクになることまで分析していました。

 

また、米英の英国の経済抗戦力や動員力、それに弱点までもほぼ的確に見積り、大きなリスクを負いながらも、“これら弱点を突く方策はある”と極めて科学的に見積もっています。また、米国による対日原油全面禁輸がいかに我が国を“絶望の淵”に追い込んだかもよくわかります。

 

個人的な印象を隠さずに言わせていただけば、私はこの書籍を通じて、ようやく旧陸軍の“あの戦争にかけた乾坤一擲の戦略(本音)”に触れたような気がして、以来、私の“陸軍観”は180度変わりました。それが本メルマガスタートのきっかけにもなりました。

 

ちなみに、国家総力戦に関する基本的な調査研究と各省庁や民間などから選抜された研究生に対する教育と訓練を目的に設立された内閣総理大臣直轄の「総力戦研究所」は、この「秋丸機関」とは別物です。

 

こちらは、『日本人はなぜ戦争をしたのか 昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹著)で詳細に紹介されておりますが、林千勝氏は「この演習では、総力戦に対する深い洞察も、敵の弱点の研究・検討もなかった。この最も大事な点を、猪瀬氏は致命的に見過ごし、誤解したまま、短絡的な文脈に基づく著作を世に出してしまった。世間を誤った方向に誘導した」と指摘しています。2冊を比較すると、その違いは一目瞭然です。

 

戦争戦略の概要

 

さて、我が国の戦争戦略(「腹案」)の内容に触れてみましょう。「腹案」は「方針」と「要領」にわかれます。その「方針」は、まず第1段階として「速やかにアメリカ、イギリス、オランダの極東の拠点を叩いて南方資源地帯を獲得し、自存自衛の体制を確立する」として「大東亜共栄圏という広域経済圏の獲得」を掲げています。

 

そして第2段階として「比較的脆弱な西正面と蒋介石政権を屈服し、ドイツ、イタリアと連携してのイギリスを封鎖・屈服する。アメリカについては、合作相手のイギリスの屈服により戦争継続の意思を喪失せしめる」としています。この内容は、明らかに「秋丸機関」による研究成果の最終報告から導き出されたものでした。

 

次にその「要領」です。第1段作戦は、長期自給自足態勢の確立を掲げるとともに、アメリカ海軍主力については、日本から積極攻勢に出るのではなく、逆にこちらへ誘い込んで撃破する」という日本海軍の伝統的な“守勢作戦思想”を掲げています。まさに「日露戦争」時の「日本海海戦」の再現です。

 

第2段階作戦の核心は、イギリスの屈服をはかるために西向きの方策、つまり「西進」が記されています。日本はまず、インドやオーストラリアに対して攻略や通商破壊などの手段によって、イギリス本国と遮断して離反を図ります。そしてビルマの独立を促進し、インドの独立を刺激します。

 

さらに日本と呼応して、ドイツとイタリアが近東・北アフリカ・スエズに侵攻して、西アジアに向かう作戦を展開します。イギリスの封鎖・屈服のためには、日本によるインド洋やインドでの作戦が極めて重要とされました。

 

アメリカに対しては、この段階もあくまで“アメリカ海軍主力を極東近くに誘い込んで叩く”のであり、日本が積極的に東進して積極攻勢に出ることは全く意図していないことを繰り返し述べています。

 

 それ以外、蒋介石政権の屈服については、特にアメリカ・イギリスの援助の遮断に力点が置かれ、ソ連に対して、南方進出の関係から戦争を回避する方針でした。

 

 以上が、我が国の「大東亜戦争」に臨む戦争戦略でした。実際の戦争経緯は、当初の予定になかった「真珠湾攻撃」や「ミッドウェー海戦」などが生起したのに加え、ドイツとイタリアが早期に敗北して、日本が描いた戦略環境は大幅に狂いますが、昭和16年当初の戦略としては、当時の状況からけっして“無謀極まるものではなかった”ことがわかります。

 

 これまで何度も触れてきました武藤ら陸軍省と田中ら参謀本部の考えもほぼ同様でした。つまり、「対米英蘭戦は長期戦になる。よって、先制奇襲攻撃によって戦略上優位な態勢を確立し、重要資源地域及び主要交通路を確保して長期自給自足の体制を整える」ことを目指していました。

 

唯一の差異は、田中らが依然として南方資源を確保した段階で、対ソ武力行使を行なうことを意図していたのに比し、武藤らは、対ソ武力行使には否定的でした。

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)3月26日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その4)」  (2019年(平成31年)3月21日配信)です。
“アジアを変えた”「日清戦争」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“アジアを変えた”「日清戦争」」  (2019年(平成31年)3月28日配信)です。
世界を驚かせた「日英同盟」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。