「真珠湾攻撃」の真実

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はじめに

 

 ようやく「真珠湾攻撃」を振り返るところまで来ました。「真珠湾攻撃」をはじめ、旧海軍が実施した各作戦を振り返り、我が国の戦争戦略に照らして適切だったかどうかを言及するのは、元陸上自衛官の私であっても正直、複雑な気持ちになります。

 

 その理由は、史実を辿ると、当時、国家の英雄として国葬まで執り行なわれた山本五十六提督をはじめ、旧海軍の戦略や体質をどうしても批判することになるからです。

 

その上で、「おまえは元陸上自衛官だから、海軍の作戦は素人だ」と海軍びいきの関係者から非難されることをあえて覚悟して申し上げれば、戦後「なぜ海軍作戦の稚拙さが表に出ず、旧陸軍だけが悪者にされるのか」の理由について、不勉強ですが、未だ納得が行く“説明”に出会ったことがないこと、そして、今なお「伝統墨守」の海上自衛隊が旧海軍の伝統を受け継ぎ、旧軍の提督たちを敬愛し、旧海軍と同じような人材育成を実施していることについてどうしても理解に苦しむとの立場から、本メルマガに限っては本音を書こうと決意しました。

 

20年ほど前でしたか、旧海軍出身の存命の5人の佐官が、海軍関係者にしては珍しく本音を披露した『日本海軍の功罪』という書籍を発見しました。海軍にも史実や自分たちの組織を正しく評価する良識派もいたことに安堵した覚えがありますが、今、改めて読み直しますと、「海軍関係者としてこれ以上は書けないのだろう。当時の佐官クラスでは止むを得まい」が率直な感想です。

 

本メルマガでは、遠慮しつつももう少し踏み込みたいと考えていますが、“意のある所”をご理解いただければありがたい限りです。

 

「真珠湾攻撃」は計画された作戦だったのか?

 

「大東亜戦争」のうち、主に「日米戦争」は、大きく4期に分けることができます。

 

第1期が開戦から約4か月間で、我が陸海軍が大活躍した時期、第2期がその後の約1年2か月間で、我が陸海軍が連合国軍とほぼ互角に戦争をしていた時期、第3期が昭和18年7月から約1年間で、我が陸海軍が防戦一方の作戦を強いられた時期、そして第4期が昭和19年7月から終戦までの約1年1か月で、端的に言えば、我が方にとっては敗戦処理、連合国軍側にとっては残敵掃討の時期でした。

 

本メルマガでは、この区分に沿って、戦争の経緯の要点、そして各期の戦争指導に焦点を当てて振り返ってみることにします。

 

 さて、第1期の緒戦「真珠湾攻撃」です。その華々しい大勝利について細部を解説する必要はないと考えますが、「真珠湾攻撃」の大成功のニュースはまたたく間に日本中を熱狂させ、山本五十六連合艦隊司令官は“軍神”のように当時の新聞やラジオで大賞賛されました。

 

他方、有名な「リメンバー・パールハーバー」の合言葉に代表されるように、本奇襲作戦はルーズベルト大統領にたくみに利用され、米国人の戦意に火をつけてしまいました。米国民は激高し、厭戦気分は雲散霧消、「日本叩くべし」の声が全米で高まってしまったのです。

 

そもそも実際の我が国の戦争戦略・計画(いわゆる「腹案」)には「真珠湾攻撃」が含まれていたのでしょうか。

 

日本の軍部は、ルーズベルト大統領がチャーチルの要請に応えて第2世界次大戦に参戦したがっているのに反し、米国民の多くが第2次世界大戦への参加を拒んでいることをよく知っていました。だから、米輿論の厭戦気分を高め、戦意を喪失したままにしておくことが得策と考えていたのでした。

 

 前回紹介しましたように、「腹案」は、その手段としてアメリカを直接叩くというよりも盟友イギリスを屈服させることを選択していました。その「腹案」に同意していた海軍軍令部は、当然ながら「真珠湾攻撃」に大反対していました。

 

大本営政府連絡会議で「腹案」を決定したのは11月15日でしたが、その時点で山本五十六率いる連合艦隊は「真珠湾攻撃」を目指し、最後通牒が米国に手渡されればすぐに攻撃できるように大きく動き出していたのです。当時、第1航空艦隊所属の飛行機は錦江湾など九州各地で猛訓練していたのもこの頃です。

 

 これは、明らかに「戦う場合は“極東に米海軍をひきつけて”」との方針だった「腹案」、つまり大本営政府連絡会議の方針を無視した行動であり、軍事組織として体を成していないと批判されてもしかたがないと考えます。

 

これに対して「緒戦のみ戦術として真珠湾を攻撃して米国に打撃を与え、後は極東、インド洋での戦闘に注力するという戦術はあり得た」という意見もあります。つまり、「大本営の『戦略』と山本の『戦術』に齟齬はない」というわけですが、「米国を怒らせない」「厭戦気分を高める」「米軍を極東に誘致する」という「戦略」に対して「戦術」の狙いがあまりに違うことは明白で、実際に大いなる齟齬は来す結果ともなりました。

 

 山本長官はなぜ「真珠湾作戦」、そしてこの後の「ミッドウエー作戦」を実行したのでしょうか? 今になって振り返ると、両作戦ともあまりに無謀で、「やるべきではなかった」と結論づけざるを得ないのですが、米国通の山本提督がなぜこのような大ギャンブルを打ったのか、その究極の真意はどこにあったのでしょうか?

 

「吉田ドクトリン」の名付け親として有名な、今は亡き永井陽之助氏は、『歴史と戦略』の中で「海軍主流派の大艦巨砲主義を嘲笑していた山本長官が、どうも真珠湾で多数の『戦艦』が撃破、撃沈されれば、アメリカ人に与える心理的効果絶大なものと心から信じていた形跡がある」として、「山本長官ともあろう人物が、どうして、かくも素朴になり得たのか」との疑問を紹介しています。

 

そして、「連合艦隊司令長官よりも海軍次官が適役で、戦略家、実戦指揮官よりも、軍政家としてその行政、管理能力が高く評価される」と結論づけ、よく言われる“親分肌の人情味(人気どり)についても厳しい評価をしています。

 

 実際に、長官として宇垣纏(まとめ)参謀長を無視し、腹心の先任参謀・黒島亀人(かめと)(奇人変人として有名だった)に直接指示したとの事実や「根っからのギャンブラーの魂を持っていた」とする副官の証言などからしても、その実像は、戦後の“伝説”と違っていたのかも知れません。

 

軍令部はなぜ止められなかったのか?

 

 次に、山本長官はいつから「真珠湾攻撃」を決めていたのか、また、軍令部や大本営政府連絡会議がなぜ山本長官の“暴挙”を止められなかったのか、との疑問が頭をよぎります。

 

その答えとして、昭和16年1月7日付の山本長官から及川古志郎海相宛の書簡の中に「開戦劈頭に敵主力艦隊を猛撃爆破し、米国海軍及び米国民をして救うべからざる程度にその志気を阻喪せしめる」とありますので、この時点で本作戦を考察していたということになるでしょう。「腹案」より10か月も前です。

 

そして3月頃、連合艦隊から「真珠湾攻撃」の細部を聞かされた軍令部が大反対したとの記録も残っています。10月に入り、山本は「これをやらされなければ辞める」とまで主張して永野修身軍令部長を説得したようで、永野軍令部長は、熟慮の末、「出先指揮官を羈絆(きはん)せず自由にやらせるのが我が海軍の伝統だ」として同意されたといわれます。

 

「羈絆」とは「さまたげになる」との意味ですが、国家の命運を決する一大作戦を「海軍の伝統」として独断で同意してしまったのです。

 

では、東條首相・陸相は「真珠湾攻撃」を知っていたのでしょうか? 戦後の東京裁判において、東條は「真珠湾攻撃」についてキーナン検察官から執拗に質問されますが、東條は「連合艦隊が『真珠湾攻撃』を準備していたことも、11月5日に作戦命令が発せられたことも、11月23日頃、連合艦隊が日本を出発したことも知らなかった。知ったのは12月1日、(最終決心の)御前会議の日であり、陸軍大臣として参謀総長から知らされた。御前会議では話題にならなかった。8日までの間、何度も謁見したが、首相の立場で天皇にそれについて報告することもなかったし、話題にもならなかった」と証言しています。

 

この証言によれば、現役の陸軍大将とは言え、一国の首相にも報告しないまま、海軍が、連合艦隊主導で「真珠湾攻撃」を準備・発動し、ゴーがかかる時を待っていたということになります。

 

東條の証言からすれば、天皇もこれについては知らなかったようです。昭和天皇や側近の日誌などについて書かれた書籍を読む限りにおいても、「天皇が事前に『真珠湾攻撃』を知っていた」と記述している文章を発見することはできませんでした。本当に極秘裏に作戦準備が進めされていたようです。

 

この事実を裏付けるように、前述の『日本海軍の功罪』に登場する源田実氏は、「真珠湾攻撃のために航空母艦が出港した事実を日本人の目から隠すために、涙ぐましいような努力をした」旨のことを暴露しています。

 

ここにこそ、戦前の日本政府の組織的欠陥があったといわざるを得ないのです。前回指摘しましたように、@陸海軍の対立に加え、A統帥権の干犯問題により、(現役の軍人が司る内閣であっても)政府が軍部をコントロールできない、B天皇の軍事的・政治的な権限は実質的に存在しなかった、ことが“現実”だったわけで、強力なシビリアンコントールの下で統合運用体制が完成していた米英と我が国は全く違った体制で戦争に突入したのでした。

 

なぜ最後通牒は遅れたか?

 

 思うに、「真珠湾攻撃」そのものが「戦略ミス」とするならば、有名な「最後通牒の遅れ」は、ルーズベルト大統領にとっては“願ったりかなったり”の「戦術ミス」だったと考えます。それを「日本軍は宣戦布告なしに卑怯な攻撃を行なった」として逆用され、「スニーク・アタック」や「リメンバー・パールハーバー」の合言葉のもと、厭戦気分のアメリカ国民は一気に燃え上がりました。

 

 その最大の要因として、一般には在ワシントン大使館の前夜の送別会に加え、事務方が翻訳に手間取ったこととなどが挙げられています。機転の効かないエリート官僚の典型としてそれ自体は批判されるべき不手際ですが、どうもそれだけが遅れの原因ではなさそうです。

 

そもそも「開戦に関する条約」(1907年成立、日本も署名)では、「締結国は、明瞭かつ事前の通告なしに相互間の戦争を開始しないこと」と書かれており、山本長官もその点を最も気にしていたといわれます。

 

他方、海軍軍令部は、奇襲を成功させるために、当初は「真珠湾攻撃開始予定時刻の1時間前に通告」と決めていたものを、軍令部次長の伊東整一がさらに検討を加え、「攻撃開始の30分前」の手交に変更しました(この事実はなぜかあまり語られていません)。

 

これもあってか、全部で14部からなる覚書のうち、最後の1部が本省から現地に届いたのは、13部目が届いた14時間後だったとのことで、しかもそれには「大至急」の指定がないばかりか、誤字脱字だらけで解読作業が大幅に遅れたようです。

 

人類の歴史を振り返れれば、「宣戦布告」のない戦争など珍しくありませんし、第2次世界大戦においては、ドイツのポーランド攻撃もソ連による日本攻撃も「宣戦布告」はありませんでした。アメリカの戦後の戦争もほとんどの場合、宣戦布告なしに攻撃を行なっています。

 

それらから考えますと、「真珠湾攻撃」のみが“卑怯扱いされる筋合い”はありませんが、ルーズベルト大統領のプロパガンダに逆用されたことは間違いなく、海軍と外務省の意思の疎通の悪さや現場の事務処理能力の不十分さなどから、我が国が汚名を着せられた上に命運まで左右されたことは、何とも複雑な思いに駆られます。

 

 ちなみに、当時ワシントンで勤務していた外務官僚たちはその後、皆、偉くなります。事務次官になった人も国連大使になった人もおります。攻撃前夜の送別会の主役だった官僚は、天皇の御用掛となって、のちに『昭和天皇独白録』を筆記しますが、天皇には最後まで“真相”を話さないままだったようです(苦しかったと想像します)。

 

次回、「アメリカ側からみた真珠湾攻撃」を取り上げた後、先を急ぎます。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)4月2日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。