終戦とマッカーサー来日

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はじめに

 

「緊急事態宣言」が、まるで当初から予定していたように大した議論もなく延長になりました。5月4日、新型コロナ専門家会議の尾身副座長が「私たちは経済の専門家ではない」と本音を披露しておりましたが、これまで政府内に「経済に関する専門家会議」がなかったことは驚きでした。私の驚きとは、なかったこと自体よりも安倍首相の周辺の誰もその設置の必要性を具申しなかったことです(真相はわかりませんが)。

 

私は、新型コロナウイルスに対する政府や地方自治体や国民の自粛など、これまでの所はほぼ合格点だったと思っています。色々と物議を醸しておりますが、それでも欧米諸国と比べ、感染者も死者も2桁も違うことは対処が成功したことを物語っています。

 

最大の問題点は、ボールの周りに全員が密集する“小学生のサッカー”をやってしまったことで、このたびの国家の危機管理の欠陥を暴露してしまいました。4月7日の宣言前に、経済の専門家を招集し、感染防止と経済活動のバランスをしっかり議論しておけば、“大阪モデル”のようなものがことさらに脚光を浴びることはなかったのではないでしょうか。

 

国際社会は、すでに“ポストコロナ”に関心が行っています。人類の歴史は、今回のような全人類を巻き込んだ“パニック”の後には、必ずやそれまでの世界観や価値観が180度変わることを繰り返しています。いつかとりあげてみましょう。

 

天皇陛下の決断・降伏

 

 前回に続く我が国の終戦の状況です。2度の原爆投下とソ連参戦の後の8月9日、ようやく鈴木首相は戦争指導会議を開きます。その席で、東郷外相は「ポツダム宣言」受け入れの条件として「天皇の国法上の地位を変更しない」だけを主張しますが、阿南陸相らはそれに加え、「占領は小範囲で短期間」「武装解除は自分の手で」「戦犯処理は自分の手で」の4条件を主張します。

 

その夜の午後1150頃から御前会議を開かれます。議題はひとつ、「ポツダム宣言」を外相の1条件で受け入れるか、それとも阿南陸相らの4条件をつけるか、でした。

 

異例の御前会議においても、両派は意見を述べ合うばかりで意見の一致をみられませんでしたが、日付が変わった10日午前2時を回ったところで、鈴木首相は「まことに異例で畏れ多いことでございますが、ご聖断を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます」と天皇の決断を仰ぎます。

 

天皇は「それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣と同意である」として次のような発言をされました。陛下の切なる思いをご理解いただくために、長くなりますが、大筋を紹介しましょう。

 

「大東亜戦争が始まってから陸海軍が実施して来たことを見ると、どうも予定と結果が大変違う場合が多い。先程も両大臣・総長が申したように本土決戦の準備をしており、勝つ自信があると申しているが、自分はその点について心配している・・・そのような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。あるいは日本民族が皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。
そうなったら、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができるか、今日となっては一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達に将来再び起き上がって貰うほかに、この日本を子孫に伝える方法がないと思う。それにこのまま戦いを続けることは世界人類にとっても不幸なことである。自分は、明治天皇が三国干渉の時のお心持を考え、自分のことはどうなっても構わない。堪え難きこと、忍び難きことであるが、この戦争を辞める決心をした」

 

10日午前7時、中立国スイスとスウェーデンの日本公使あてに、「ポツダム宣言」を受諾するとの電報が送られ、両公使によって降伏の意思がアメリカ、中国、イギリス、ソ連に伝達されました。

 

そして午後7時、日本政府の対外情報発信を担っていた「同盟通信社」は、対外放送で日本降伏受け入れ意思を表明しますが、このニュースは日本国民に伏せられていました。

 

8月14日の御前会議において、天皇は「皇軍将兵、戦没者遺族、戦災者の心中を思うと、胸奥の張り裂ける心地するが、時運の赴くところ如何ともしがたい」と涙ながらに仰せられて降伏を宣言されました。一同、御前も憚らずどっと泣き伏し、中には身を悶える者もあったといわれます。翌8月15日、日本は戦争に負けます。

 

映画や小説で『日本の一番長い日』として有名になりましたが、無事、「終戦の詔書」が「玉音放送」としてラジオで全国放送されます。今、詔書を読み返しますと、無念さとともに、終戦の決断に至った天皇の想いが伝わってきて涙がこぼれます。

 

本詔書を起案された安岡正篤(まさひろ)氏は、長い間の沈黙を破り、昭和39年頃、当時の秘話を披露しています。安岡氏がこだわったのは、「日本の天皇なればこそという権威の言葉を選びたかった」として「万世の為に太平を開く」の部分と、「力尽きて仕方なく降伏するのではなく、道義の命ずるところ、良心の至上命令に従って降伏する」とした「義命の存する所」の2点でした。しかし後者は閣僚達に「時運の赴く所」に修正されたと暴露しています。

 

氏はまた、詔書を起案したことは名誉ではなく、永遠に拭(ぬぐ)うことができない恨事であり、深く心と魂を傷つけたとも語っています(当時はまだこのような賢人が存在していたのでした)。

 

天皇の詔書に続き、2日後の8月17日、東久邇宮稔彦王は皇族として初めて首相になり、ラジオで陸海軍に自制を呼びかけるとともに、朝香宮鳩彦王、竹田宮恒徳王、閑院宮春仁王を中国、満州、南方の各方面司令部に派遣して終戦の聖旨を伝達し、軍隊の団結と有終の美を求めます。

 

占領軍の急激な日本改造を避けるために、先手を打って武装解除を試みた結果だったといわれていますが、我が国の歴史上、このように皇族が自らイニシアチブをとり、依然として血気盛んな軍人らを慰撫(いぶ)するために行動されたのは初めてだったと考えます。

 

マッカーサーの「人間像」

 

 いよいよ、終戦から進駐軍の占領政策を振り返るところまで来ました。何回かに分けて振り返ってみましょう。

 

我が国は、終戦後、マッカーサーを最高司令官とし、米極東軍を主体とする連合国軍(通称、進駐軍)に約7年間も占領されます。その司令部の正式名称は、「連合国軍最高司令官総司令部」ですが、一般にGHQと呼称されているのはご承知のとおりです。

 

 マッカーサーが連合国最高司令官として日本陸軍厚木航空基地へ愛機「バターン号」でやって来たのは、昭和20年8月30日でした。その第一声で「メルボルンから日本までの道のりはとてつもなく長く険しい道であった」 と、フィリピンからオーストラリアへ避難し、再びフィリピンを取り戻した後、日本の敗戦でようやく日本へたどり着いた率直な感想を述べています。

 

その言葉の裏には、フィリピンで一旦は日本軍に敗北し、部下を見捨ててオーストラリアまで逃亡を余儀なくさせられた屈辱感と復讐心が微妙な割合で混じっていたことは明白でした。

 

その後、マッカーサーは厚木から横浜へ向け移動しますが、沿道には、約2個師団の日本兵がマッカーサーに対して敬意を示すために彼の車に背を向けて拝謁しました。こうして、マッカーサーは、「力」を誇示ながら皇居前の第一生命ビルに入ります。

 

まず、マッカーサーは、軍人として、そして人間としてどうだったのか、について振り返りますと、士官学校はトップ入学・トップ卒業でした。歴史上、マッカーサー以上の成績で卒業した者はこれまで2人しかいないといわれるほど優秀だったようです。

 

父は陸軍中将アーサー・マッカーサー。母メアリーは息子を溺愛し、心配のあまり士官学校在学中は近くのホテルに移り住んだとの有名な逸話が残っており、出世や任地(補職)にあたっては、むしろ母親の影響力が大きかったようです。

 

その父は、日露戦争の観戦武官として日本に赴任しますが、戦争終了後、マッカーサー中尉も副官として日本で勤務します。その際、東郷平八郎、大山巌、乃木希典ら日露戦争で活躍した司令官たちと面談し、感銘を受けたとの回想記が残っています。

 

若い将校時代のマッカーサーは様々な紆余曲折がありましたが、50歳の最年少で陸軍参謀総長に抜擢され、その後引退します。引退後はフィリピンの軍事顧問として赴任し、大戦勃発後、アメリカ極東軍司令官として現役復帰します。

 

軍人としての評価は二分されます。最大の汚点は、やはり上記のフィリピン脱出でした。マッカーサーは、自尊心、虚栄心、誇大妄想狂、復讐心などその人間性にも問題があったとの指摘もあります。その上、人種差別・宗教差別主義者でもあったようです。

 

ちなみに、マッカーサー家は元々スコットランドの貴族の家柄で、祖父の時代に米国に移民しました。チャーチルやルーズベルト(のちのダイアナ妃やブッシュ大統領も、との説があります)とも遠戚関係にあります(意外なところで血筋が繋がっているのです)。

 

 そのようなマッカーサーを最高司令官として指名したトルーマンは、マッカーサーに対して「@天皇と日本政府の統治権は、連合軍最高司令官のマッカーサーに隷属する。よって、権力を思う通りに行使せよ、A日本の支配は、満足すべき結果が得られれば日本政府を通じて行われるべきであるが、必要なら直接行動してもいい。武力行使を含めて必要な方法で実行せよ」と史上空前の権力を与えます。この権力は、「アメリカ史上、一人の手にこれほど強大で絶対的な権力が握られた例はなかった」(政治顧問ウイリアム・シーボルト)と評されています。

 

マッカーサーの「日本観」

 

若い頃に来日の経験があり、明治の軍人たちに感銘を受けたマッカーサーでしたが、再来日したマッカーサーの「日本観」は当初から厳しいものがありました。日本を勉強し、理解しようとする意欲もなかったといわれます。

 

マッカーサーは、「征服者の風格」を保つために、国家行事を除き決して日本人と同席しませんでしたし、朝鮮戦争が開始した1950年6月までの間、東京を離れたのはわずかに2度だけだったようです。当然ながら、アメリカの土は14年間一度も踏みませんでした。

 

また、執務室に電話も引かず、秘書も置きませんでした。日本人と会ったのは、天皇陛下、首相、外相、両院の議長ぐらいで、それも公式の仕事上、必要な時だけに限定されていました。
そして、「日本の奴隷的な封建主義が“日本の悲劇”をもたらした」と断言し、逆に「アメリカの“民主主義”が今日のアメリカの強さをもたらした」として「日本の降伏を軍事的敗北だけでなく、“信仰の崩壊”とみなし、この崩壊によって日本国民の中の道徳的、精神的、更に肉体的に生じた完全な空白に民主主義を注ぎ込こもうとした」(西悦夫氏)のでした。

 

 そのようなマッカーサーが試みた占領政策のうち当初から重視したのが、実は、キリスト教の伝道でした。

 

マッカーサーは、日本人の魂の空白を埋めるために、キリスト教の伝道を広めようとします。マッカーサーは、「後世の歴史家に“連合国の軍人”としてではなく、“キリスト教を日本にもたらした人物”と書かれたい」と語ったといわれます。

 

この手段として、愛国心、誇り、道徳、歴史、文化など長い年月をかけて育まれ脈々と受け継がれた日本の「心」を奪い取り、キリスト教を流し込め始めます。

 

そのため、3000人を超える宣教師を自身の権力を使って呼び寄せ、当時の人口7200万人に対し、約1000万冊の聖書を惜しげもなくばらまきます。国民は聖書を喜んで受領したそうです。

 

マッカーサーの狙いが的中したかのように見えましたが、当時、紙そのものがほとんどありませんでしたので、大人の多くは“聖書を煙草を巻くペーパー”として本来の目的以外に使用したのです(風刺絵になりそうな光景が目に浮かびます)。

 

国際基督教大学も設立しますが、結果として、日本のキリスト教信者は、現在においても、200万人未満(人口の約1.6%程度)にとどまっています。次回以降、GHQの占領政策に焦点を当てて振り返ってみましょう。

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)5月14日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。