情勢変化に伴う占領政策の変容

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はじめに

 

先週もN様から貴重なご所見をいただきました。まずは心より御礼申し上げます。内容は、司馬遼太郎氏に関することで、大のファンであったのが、途中から「司馬史観」に違和感を覚えたというものでした。
 かくいう私も学生の頃、司馬氏の歴史小説を手当たり次第に読み、あたかもそれらが「史実」と思い込んでいた時がありました。しかし、大人になるにつれ、小説とは違う「史実」があることに気づき、以来、読み方が変わりました。

 

先週はこの話題について深入りすることを避けたのですが、せっかく読者反響をいただきましたので、少し補足させていただきます。司馬(本名:福田定一)氏は、1943年、学徒出陣で陸軍に入隊し、兵庫県小野市の青野ヶ原にあった戦車部隊に配属されます。その後、満州の戦車学校に入校しますが、成績優秀なグループは内地に返されたらしく、司馬氏は久留米の戦車部隊の小隊長に赴任し、陸軍少尉として終戦を迎えます。

 

終戦後、司馬氏は「なんとくだらない戦争をしたのか」と悩まれたそうですが、一度も実戦を経験していませんし、失礼ながら、「戦争」とか「軍事」の本質を学ぶ機会もなく、十分理解しないまま、小説家になったものと推測します。だから、どろどろした背景を含め、「戦争」とか「軍事」を取り上げなければ小説にならない「昭和史」なればこそ、“書く気にならなかった”と勝手に理解しております。

 

余談ながら私は、20数年前、司馬氏の初任地であった、陸上自衛隊青野原駐屯地の駐屯地司令として勤務した経験があります。かつて三島由紀夫氏が兵隊検査を受検した場所ということは知っていましたが、(当時すでに有名な作家だった)司馬氏の初任地だったことは話題にもなっていませんでした。

 

 さて、前回取り上げましたが、「国民政府はなぜ共産党に敗れたか?」「アメリカがなぜ蒋介石を見捨てたか?」などについて、改めて、日本の著名な昭和史研究家、学者、外交官などの著書を調べてみましたが、目についたものはありませんでした。以前に紹介しました「日中共同研究」においても、終戦時に中国大陸に取り残された軍人や民間人の“その後の足取りを追う”ことに留まっています。

 

また知る限りにおいて、中国史の専門家の著書にも、その時期の大陸の事情については、共産党とソ連の緊密な関係の言及はありますが、米国の政策に関するものを見つけることは出来ませんでした。

 

当時、日本は占領下にあり、当然ながら外交権も保持していません。よって、国家としての必要な国外情報も収集できない時期にあり、GHQを通じて、最小限の情報を得ていたものと思われます。

 

国民の生活救済やGHQに強要された大幅な国家改造など、国内対応で精一杯だったと推測されますが、改めて、“外交権を失うことの意味”を思い知らされるような気がしています。

 

マーシャルの不思議な行動(続き)

 

ソ連軍は1946年3月、満州から撤退を始めますが、4月には共産党軍がハルピン、長春、チチハルなど主要都市を占領します。その翌月、国民党軍が長春や吉林を回復しますが、8月、共産党は満州に勝手に政府を作ります。10月、アメリカは、中国がソ連の影響下に入らないように、国民党と共産党両者に中国を振り分ける休戦提案を行ないますが、共産党はこれを拒否します。

 

その結果、1946年11月、アメリカと国民党は、共産党を無視して「米華友好通商航海条約」を結びますが(この条約締結にマーシャルがどのように関与したかは不明です)、1947年1月、マーシャルは、国務長官に就任するため中国を離れます。

 

半年後の7月、再びウェデマイヤーはトルーマン大統領から中国と朝鮮に派遣され、「政治・経済・民情・軍事」状況の調査を命ぜられます。そして2か月の調査の後、「中国は、ソ連の手先になっている中国共産党によって危機にさらされている」旨の有名な『ウェデマイヤー報告書』(1947年9月)を提出します。しかし、報告書はその後2年間、封印されたままになりますが、これを無視したのはマーシャルだったといわれます。

 

マーシャルは、国務長官に就任後、「マーシャル・プラン」という欧州復興計画を発表します。しかし、アジア正面では、自らの中国復興計画と和平調停が破綻してしまったこと(その原因は蒋介石側にあると判断したこと)に対する制裁なのか、あるいは彼自身の信念なのか、議会が決定した国民党への支援を故意に遅延させるなど、共産党を利する政策を取り続けます。

 

米国内においては、陸軍省(軍事情報部)などは中国共産党の実態を正しく把握していたといわれますが、一人の元将軍の怨念のような、かたくなな政策によって共産党政権の誕生を許す結果となったという指摘は、それが“史実”だったと言っても過言ではなさそうです。

 

それにしても、日本軍の占領政策にあれほど注意を注いだ米国が、そして歴史を振り返れば、日本と争いつつ“中国進出”を目指してきたその米国が、この時期、嘘のように中国への関心を失っていた(ように見えた)のは、実に奇妙です。

 

当然ながら、国務長官といえども、マーシャル一人の力ではアメリカの政策を左右できないことは明白です。これについては、フーバー元大統領の回顧録には「政治的野心を持った国務省の陰謀だった」と記載され、トルーマン政権内、特に国務省内のニューデーラーたちが意図的に中国の共産政権の誕生を容認したと指摘しています。

 

また、1950年、「マッカーシズム」(赤狩り)の発端となったマッカーシーの問題発言「国務省に所属し、今もなお勤務し政策を形成している250人の共産党党員のリストを持っている」などからも、当時の米国国務省の暗躍が浮き彫りになります。

 

マッカーシーの摘発の真意については、「世界を自由主義と共産主義に分割し、意図的に両陣営を対立、拮抗させることで利益を得る者たちがいる。彼らに抜擢され操られ上手に使われた政治家が、ジョージ・マーシャル国務長官その人である」と少し別な指摘もあることを付記しておきましょう。

 

“歴史を動かす”要因は常に複雑です。蛇足ながら、“〇〇史観”といわれるものに色濃く染まる人たちは、その史観を信奉するあまりそれ以外の“歴史の見方に盲目になる”傾向にあるようです。“歴史を学ぶ時のいましめ”と私はいつも自らに言い聞かせております。

 

朝鮮半島の分断

 

次に終戦後の朝鮮半島についても触れておきましょう。まず、朝鮮半島については、カイロ宣言で「朝鮮は適当な時期に独立する」とされていましたが、ヤルタ会談では、アメリカは「適当な時期」を20〜30年間とし、その間は「信託統治領とする」と表明しました。

 

1945年8月、日本の敗北によって朝鮮は独立を回復し、人々は解放を祝いました。日本支配下で独立運動を続けていた呂運亨を中心に建国準備委員会が結成され、国号は「朝鮮人民共和国」を予定していたといわれます。

 

ところが、満州を制覇したソ連が北朝鮮の国境を越え、8月24日に平城に入ります。あわてたアメリカはソ連に北緯38度線で分割占領することを提案、9月8日にマッカーサーが仁川に上陸し、「朝鮮を米軍の軍政下に置く」との布告を出します。

 

1945年12月、モスクワで行なわれた米英ソ三国外相会議で再調整した結果、「5年間の信託統治」とすることで合意します。しかし、このような大国の勝手な取り決めに朝鮮の民衆が反発、激しい「反信託運動」が起こります。

 

その結果、朝鮮独立に関する米ソ共同委員会が開かれますが、当時激しくなっていた中国の国民党と共産党の国共内戦の影響を受け決裂してしまいます。この間、北では抗日パルチザンで活躍した金日成が地歩をかため、社会主義改革に着手しますが、南では米軍政のもとでインフレが進行し、ゼネストが起こります。

 

このような流れの延長でやがて、済州島では民衆の武装蜂起が起き、多数の島民が米軍と右派に殺されるという「済州島四・三事件」(1948年4月)などへ発展していきます。

 

そして、はじめは、米ソ軍の占領境界とした38度線がいつの間にか国境のようになって南北に分断されます。米ソ両国がそれぞれの立場で統一しようと試みますが、顕在化しつつあった東西冷戦を反映し、意見の一致はみられないまま時が過ぎていくのです。

 

占領下日本の“潮”の変わり目

 

 再び国内事情です。占領下にあった我が国の終戦翌年(昭和21年)は、「まるで共産革命の前夜を思わせるような一年間だった」(岡崎久彦氏)ようです。

 

獄中18年の徳田球一や志賀義男が釈放され、中国から野坂参三が帰国し、「赤旗」を再刊した共産党の威勢は、占領軍の庇護下にあったことから天下に憚(はばか)るものがありませんでした。一般国民は共産党を猜疑の目で見ながらも「抵抗できない」と感じていたのです。

 

労働組合の発展も目覚ましいものがあり、昭和20年暮れには38万人だった組織労働者が21年暮れには560万人、23年のピーク時には670万人まで膨れ上がりました。その労働組合の3分の2以上を共産党が押さえ、かつ労働争議中の行為は刑法上の責任を問われない状況だったのです。

 

戦争が社会の平等化をもたらし、民主化の基盤を広げるのは世界共通の現象ですが、この後の占領軍の急ブレーキがなかったら「日本の左傾化はもっと進んだろう」といわれます。

 

しかし、共産党の威勢は長くは続きませんでした。260万人を擁する政府・国営企業関係の組合は共闘会議を組織して、「昭和22年2月1日を期して、待遇改善を要求する無期限ストに入る」(二・一スト)ことを決定します。鉄道も郵便も無期限に泊まるという非常事態です。巷では、人民内閣の閣僚名簿なるものまで流布されたようです。

 

しかし、共産党の革命機運の昂揚期はこれがピークでした。GHQが介入を決意するのです。GHQは、組合側の要求に対する政府側の妥協案を作らせ公表します。そして、共闘会議議長に対して銃口の下の威嚇と説得をもって「スト中止」を命じ、放送させます。この結果、革命昂揚の波はたちまちにして引いてしまいます。

 

戦後の多くの日本人の記録も記憶にも残っていないと推測しますが、我が国にも、戦前の反動ともいうべき「革命前夜」と言われるような“一瞬”があったのでした。

 

GHQ内の対立

 

さて、前回紹介しましたような国際社会の動き、すなわちチャーチルの「鉄のカーテン」演説や「トルーマン・ドクトリン」の発表、さらには、中国大陸では国共内戦の最中でもあって、GHQおよび米国本国も異なる意見の対立が深まっていました。

 

つまり、理想主義的な考えをもとに、「過去の日本をすべて悪ととらえ、抜本的な改造を強力に推し進めよう」とした民生局のホイットニー局長やケーディスらに対して、「ソ連をはじめとする共産主義との対決をアメリカの対外政策の主要課題とする」との現実主義的な考えを持つ占領軍情報部(GU)のウイロビー部長や第8軍のマイケルバーガー司令官らが対立し始めます。

 

その後の歴史を観れば、どちらの判断が正しかったはあまりに明白ですが、この対立は、「二・一スト」以降約2年間、ケーディスらが敗れて辞職するまで続けられます。

 

では、理想主義者と現実主義者たちの間に立っていたマッカーサーの心境はどのようなものだったのでしょうか。当時のマッカーサーは、翌年(1948年)の大統領選挙が頭にあり、“リベラル派からの指示や批判も考え、様々な占領政策の手を打っていた”との事実が残っています。

 

たとえば、「二・一スト」時のGHQの労働担当官をその後更迭し、本国の労働組合の支持の強い担当官を任命します。再軍備論の論争も大統領選を睨んでいたといわれますが、マッカーサーは、ゼネスト禁止3日後、新憲法下で初の総選挙の実施を吉田首相に示唆します。この結果、同年4月25日、総選挙が行なわれ、結果は、社会党143、自由党131、民主党124となり、吉田は野に下り、日本の憲政史上唯一の社会党内閣である片山哲内閣が組閣されます。

 

民生局にとっては待ちに待った政権で、組閣にも口を出したようです。しかし、吉田が予想したように、少数与党内閣はわずか3か月しか持たず命脈を絶たれます。それでも民生局は、政権を吉田に渡さず、「GHQのご意向」ということで芦田内閣が成立します。その芦田内閣も昭電疑獄事件で倒れます。裏に情報局の工作があったといわれていますが、このようにして、再び、吉田単独少数内閣が誕生します。

 

この頃、米国の対外政策は、冷戦の激化を反映して急激に変わりつつありました。その推進力となったのは、陸軍省、そして陸海軍を統合して新設された国防総省、さらには国務省の政策企画室などでした。当然ながら、ニューデーラーやリベラル派はこぞって抵抗します。そのような中、実際に米国の対日政策を転換させたのは、元駐日大使のジョセフ・グルーらのジャパン・ロビーだったとの分析もあります。

 

彼らは「日本の占領政策は、共産主義に対抗する『極東の砦』としての日本の潜在的な能力を損ねてしまった」として「日本の占領は、失敗に次ぐ失敗だった」と断言するのです。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)7月2日配信)

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
「東京裁判」の結果と評価
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
我が国の安全保障政策をめぐる議論
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。
「マッカーサー証言」の意味するもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「マッカーサー証言」の意味するもの」 (令和二年(2020年)8月6日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結への道程
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結への道程」 (令和二年(2020年)8月20日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復」 (令和二年(2020年)8月27日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その1)」 (令和二年(2020年)9月3日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その2)」 (令和二年(2020年)9月10日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その3)」 (令和二年(2020年)9月17日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その4)」 (令和二年(2020年)9月24日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その5)」 (令和二年(2020年)10月1日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その6)」 (令和二年(2020年)10月8日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その7)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その7)」 (令和二年(2020年)10月15日配信)です。