「東京裁判」の結果と評価

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はじめに

 

はじめに、前回の続きを少し補足しておきましょう。ジャパン・ロビーに「日本の占領は、失敗に次ぐ失敗だった」と指摘され、大統領選挙を意識した上、人一倍プライドの高いマッカーサーは、「大統領選がらみの政治的陰謀だ」と激しく反発します。しかし、米本土の方針は、この時点で「日本経済の早期復興の促進」に固まりつつあったようです。

 

しかも、1948(昭和23年)の大統領選挙の共和党候補は、マッカーサーの期待に反して、トマス・E・デューイに決まります。ようやく、マッカーサーの政治的野心は絶たれ、リベラルな世論に迎合する必要もなくなります。

 

“アメリカの大統領選挙の帰趨にGHQの占領政策が振り回されていた”とは、にわかには信じがたいですが、この後の占領政策は、その“行き過ぎの是正”に向かって加速されます。その結果、財閥解体や警察力の地方分権化、そして公職追放などが見直されることになります。

 

天皇退位論

 

 周辺情勢などをよそに、この間も「東京裁判」は続けられましたが、その終盤、「天皇の退位論」が浮上し、重大な局面を迎えました。発端は、昭和23年5月、初代最高裁判所長官の三淵忠彦が「陛下はなぜに自らを責める詔勅をお出しにならないのか」との発言が海外に誤伝されたのをきっかけに、東京大学南原茂総長が退位を公言するなど、当時の芦田均首相も浮き足立ったといわれます。

 

この頃の天皇は、自らの「不徳」を認識しつつも最後まで国民と苦楽を共にしようと決意されていたといわれますが、その心境は穏やかではなかったものと推測されます。

 

このような中、皇位を守ったのは大多数の国民でした。昭和23年8月の読売新聞の世論調査では「天皇制度があった方がいい」が90.3%、退位問題については「在位された方がいい」が68.5%となり、「皇太子に譲られた方がいい」の18.4%を圧倒的に上回るなど、新聞に出てくる著名人が退位論を振りかざすなか、一般国民は全く逆の意見を持っていたのでした。

 

当惑したのはGHQでしたが、9月、@天皇は依然最大の尊敬を受け、近い将来退位するようなことは考えられない、A天皇退位のうわさは共産党や超国家主義者の宣伝によるものである、B天皇の統治を受けることが日本国民及び連合国の最大の利益になる、と発表し、退位論は沈静化します。

 

「東京裁判」の結果と打ち切り

 

さて、第89話で紹介しましたような日程で裁判は進み、昭和23年11月、判決が言い渡されます。その結果、A級戦犯28名のうち、7名の絞首刑をはじめ全員(病死、精神障害などを除き)が有罪判決となりますが、判決理由はありませんでした。無罪判決とその理由と証拠を明らかにしたのは、11名の判事中、有名なパール判事ただ一人でした。

 

ちなみに、B級戦犯は、横浜やマニラなど世界49カ所で軍法法定が開かれ、被告人総数は約5700名、うち死刑984名、無期刑475名、有期刑2944名、無罪1018名の判決が下さました。

 

また、実際のA級戦犯容疑の逮捕者は、軍の高官のみならず政財界から幅広くリストアアップされ、第1次から第4次戦犯指名まで総勢126名(15名の外国人含む、うち5名は逮捕前に自殺)を数えました。しかし、昭和23年12月、ニュージーランドが裁判の打ち切りを主張し、アメリカもそれに同調、極東委員会で承認されたような格好で翌年6月、裁判は打ち切られます。

 

“冷戦の激化で裁判どころではなかった”というのが真相と考えますが、幸運にも裁判を免れ、無罪放免された戦犯リストには、戦後の政界、財界、マスコミ会などにおいて、“戦犯容疑で逮捕された事実”などなかったかのような大物ぶりを発揮した人たちがたくさんおります。

 

「東京裁判」の評価

 

裁判打ち切りという“不公平”からしても、「東京裁判」がいかにひどい裁判だったかは明白ですが。中でも、最大の欠陥は、「平和に対する罪」の訴因第1の文言である「“共同謀議”で数々の不法な戦争を行った」として、「共同謀議者は政府を支配し、その目的を達成するために計画された侵略戦争に向かって、国民の精神と物的資源を準備し、組織を統制した」との判決の要旨です。

 

このため、「田中上奏文」という“偽書”まで引用しますが、この疑いに対して、どの被告も冷笑し、苦笑し、憫笑(びんしょう)したとされ、被告誰一人として納得したものはおりませんでした。

 

その光景が目に浮かぶようですが、素人の目からみても、裁く側が被告人から、“あわれみ、さげすまされて笑われる”裁判のどこに正義があるのか、と考えたくなります。

 

そのはずです。昭和初期以降の日本政府には、一貫した政策やきちんとした計画など全く存在せず、その場その場で「国益に照らして良かれ」と思ったことをどうにか実施してきただけで、言葉を代えれば、“時の政府の最大の怠慢”と言っていい事実と判決要旨は全く相反していたのでした。

 

GHQの情報部長のウイロビーは「この裁判は史上最悪の偽書である」と語ったとの記録も残っていますが、当時からGHQ内にさえ、この裁判に疑問を持つスタッフがかなり存在していました。

 

いつの時代も戦争の勝敗は“時の運”が左右し、正義とか不正義とかは別次元の問題です。勝利したがゆえに正義というわけではありません。正義を決定付けるのは法で、国と国の関係では国際法です。「東京裁判」も当初、「国際法にのっとって裁く」と宣伝しましたが、国際法には「戦争そのものを犯罪とする」との規定はどこにもありません。

 

人類の歴史上、戦争そのものは国際法の領域外におかれているからです。まして戦争を計画し、準備し、遂行したとの廉(かど)で個人が裁かれるというような規定はどこにも存在しません。

 

「法律のないところに裁判はなく、法律のないところに刑罰はない」というのが法治社会の初歩的な原則です。“法律なくして人を裁く”のは野蛮時代の私刑(リンチ)と変わらないはずです。

 

唯一、「日本無罪論」を主張したインドのパール判事は、「連合国は、東京裁判によって、日本が侵略戦争を行ったことを歴史にとどめることによって、欧米列国による侵略を正当化し、日本に過去の罪悪の烙印を押すことが目的だった」と欧米列国の植民地支配の“非”を責め立てました。

 

 さらに、「復讐の欲望を満たすために、単に法律の手続きを踏んだに過ぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。このような儀式化された復讐は、瞬時に満足感を得るものだけであって、究極的には後悔をともなうことは必然である」と厳しく批判しました。

 

「東京裁判」の後遺症と総括

 

「東京裁判」は、南京大虐殺など、事実と異なる被害者規模を支持する判決を下すなど、中国のプロパガンダが色濃く反映された一面もあり、裁判の後遺症として、戦後の日本に「自虐史観」を植え付ける結果となりました。

 

また、多くの国民が「ともかく、あのような無謀な戦争をしでかしたのだから、その責任者(軍人ら)が処刑されるのは当然」と考えたのは理解できないわけではないですが、それは一般的な感情論であり、道義の問題です。

 

道義と法律は別であり、それを混同するのは明らかに間違いなのですが、裁判のもう一つの後遺症として、戦後の日本の「反軍思想」に影響を及ぼすことにもなりました。

 

「東京裁判」に臨んだ被告たち全員が一致していたのは「天皇に責任が及ばさないこと」だったといわれます。清瀬一郎氏の弁護方針も@天皇擁護、Aに国家の弁護、Bの個人の弁護は@とAの範囲内において行なうとしていたといわれます。

 

裁判においても、「すべて軍の責任」とする証言もあったように、確かに軍の責任は随所にありました。しかし、“史実”を子細にみれば、中国や米国の挑発や陰謀に加え、マスコミの愛国的な扇動に煽られた世論に抗すべくもなかった実情、それに近衛首相の軽率な政策や松岡外相の独断などもあって、「すべてを軍だけの責任に帰するのはあまりにも雑駁な論である」(岡崎久彦氏)との見方もあることを紹介しておきましょう。

 

「東京裁判」について、まだまだ私たち日本人が知っておくべきことがたくさんあると考えますが、細部は他の書籍などに任せることにします。

 

最後に、マッカーサー司令官さえ、帰国後、トルーマン大統領に「東京裁判は間違いだった」と報告していることをつけ加えておきましょう。また、裁判が終わってから数年後、キーナン首席検事をはじめ、ウイリアム裁判長、アンリ・ベルナール仏代表判事、ベルト・レーリング蘭代表判事など、裁判にかかわった多くの人が「この裁判は間違いだった」と告白しています。

 

これらから、たぶん後世、“東京裁判は人類史上最悪の裁判だった”と言われることは間違いないだろうと思われます。しかし、戦後の日本の法律家はだれひとり、この裁判を検証しようとしないのも不思議です。裁判が終了してから数後年、パール判事が日本で講演し、日本の法律家に「なぜ沈黙を守っているのか」と奮起をうながしましたが、誰一人動きませんでした。

 

「東京裁判は、国家の名誉のためにも、処刑された人々の名誉のためにも何らかの形で清算してもいい」と岡崎久彦氏は述べています。全く同感ですが、岡崎氏のような方が法曹界に現れないのは我が国の不幸としか言えようがありません。素人の口出しすることではありませんが、この世界も「骨の髄までマインドコントロールされている」ということなのでしょうか。

 

再び、中国・朝鮮半島情勢

 

 さて、「東京裁判」判決前後の周辺情勢を再び振り返っておきましょう。まず中国です。当初は、国民党が圧倒的に優位を保持し、共産党の約3倍の兵力・地域・人口を支配していたのが、徐々に共産党が優位になり始めたことは、その原因を含め、すでに述べました。

 

1948年9月から、有名な「遼瀋戦役」「淮海戦役」「平津戦役」の“三大戦役”で共産党軍が勝利し、1949(昭和24)年1月末には、国民党軍は北京を放棄し、共産党軍が無血入城します。その後、国民党首脳は広州、さらに重慶に逃れて抵抗しますが、各地で降伏するなど力を失います。

 

 同年10月1日、毛沢東は、北京で「中華人民共和国」の樹立を宣言します。国民政府要人は台湾に逃れ、翌50年3月1日、蒋介石は台北で総統に復帰、「中華民国」を存続させます。こうして、長かった国共内戦がついに決着します。

 

 その頃の朝鮮半島情勢も振り返っておきましょう。 1948年8月、李承晩が「大韓民国」独立を宣言します。それに対抗するように、9月、金日成が「朝鮮民主主義人民共和国」を宣言し、占領境界線の38度線を国境にして北側と南側にそれぞれ別の国家が誕生します。

 

 この結果、朝鮮半島は、北をソ連などの社会主義陣営が支援し、南をアメリカなどの資本主義陣営が支援するという、東西冷戦の両陣営がにらみ合う“最前線”となります。

 

その後、金日成は、李承晩を倒して統一政府を樹立するため、スターリンに南半部への武力侵攻の許可を求めますが、アメリカとの直接戦争を望まないスターリンは許可せず、同年12月、ソ連軍は、軍事顧問を残し、朝鮮半島から撤退します。

 

翌49年6月、アメリカ軍も軍政を解き、軍事顧問団を残し撤収しますが、それを受けて北朝鮮は「祖国統一民主主義戦線」を結成します。同年10月、「中華人民共和国」が成立すると、金日成は、“朝鮮半島でも社会主義による統一を実現しよう”と決意したといわれます。

 

 こうした情勢の中の1950年1月、アメリカのディーン・アチソン国務長官が「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン―沖縄―日本―アリューシャン列島までである」という奇妙な発言をします。つまり、朝鮮半島や台湾はアメリカの“防衛ラインの外である”と明言したのです。

 

 アチソン発言には、「アメリカの国防政策上、西太平洋の制海権だけは絶対に渡さない」という意味があったといわれますが、前回取り上げましたマーシャルの後任の国務長官アチソンもニューデーラーのリストに挙がっていることなどから、彼の発言には何らかの意図があったと考えるべきでしょう。

 

 実際に、この発言が金日成をさらにその気にさせ、同年5月、金は毛沢東から中華人民共和国の援助の約束を取り付けます。これによって、北朝鮮の南侵の環境はすべて整ったことになります。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)7月9日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「日清戦争」の原因と結果(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その4)」  (2019年(平成31年)3月21日配信)です。
“アジアを変えた”「日清戦争」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“アジアを変えた”「日清戦争」」  (2019年(平成31年)3月28日配信)です。
世界を驚かせた「日英同盟」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
我が国の安全保障政策をめぐる議論
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。