我が国の安全保障政策をめぐる議論

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はじめに(「共同謀議」について補足)

 

 前回取り上げました「東京裁判」で指摘された「共同謀議」について、どうしても1点、補足しておきたいと思います。それは、林房雄氏の『大東亜戦争肯定論』に出てくる文章です。林氏の肯定論自体については、本メルマガの総括で取り上げるつもりですが、林氏は「共同謀議」について以下のように記述しています。

 

「どの戦争も、敵と味方の戦力を慎重に計算し、周到に『共同謀議』したら、とてもやれる戦争ではなかった。・・・勝目のない戦争をさけ、文明開化政策によって『内治の改革』をはかり、欧米に伍する繁栄を求めることが最も懸命な道であったからだ。もし可能なら、日本人はその道を選んだであろう。だが、この道はふさがれていた。いかなる理性的判断と努力によっても他の道を選ぶことが不可能であった」として、「政府は常に“非戦論”だった」とする立場は、日清戦争以外、どの戦争にも当てはまることを強調しています。

 

その上で、「日本は、近代の世界文明の中にあって、極めて特殊な地位に立った国であり、20世紀の進行中には、遅かれ早かれ、この特殊な地位にもとづいた“日本の悲壮な運命”を展開せざるを得ない」とする運命論的な考え方を大隈重信氏、徳富蘇峰氏、和辻哲郎氏らも共有していたことを紹介しています。

 

 本メルマガでも再三、紹介しましたように、事実は「共同謀議」とは全く別次元であり、我が国は、常に圧倒的に勝る敵に対して、あらゆる手を尽くしても回避する手段がなく、やむなく戦争に挑んだのでした。それは日清・日露戦争から大東亜戦争まで共通しています。まさに、「国際社会の中で特殊な地位にあったが故の“我が国の宿命”だった」とする指摘は、我が国の歴史を素直に学べば、自ずと導かれる有力な結論のひとつであろうと考えます。

 

裁判で指摘された「共同謀議」に対する被告全員の“反応”の背景に、このような共通認識があったとすれば、改めて、「人類史上における大東亜戦争の意義」とか「真の勝者はどちらだったか」など、本戦争の“歴史的評価”に思いが至ります。続きは、本メルマガの総括で取り上げることにしましょう。

 

さて、これまで述べてきましたGHQの占領政策、中でも日本国憲法や日本改造については、戦後、我が国の隅々まで広く行きわたっています。しかし、占領期の後半に議論された、講和条約や日米安全保障条約の締結、それに伴う米軍の駐留や日本再軍備については、日本政府とGHQ・ワシントン当局を含む米側の間で“いかなる情勢判断のもと、いかなる議論がなされたのか”など、あまりつまびらかになっておりません。

 

昭和史研究家には興味にない話題だったのか、我が国の「戦後体制」の骨幹ともいうべき、安全保障体制(国防体制)の議論は“蚊帳の外”におかれているように見えるのは、元自衛官としては何とも“腑に落ちない”ところがあります。

 

そこで、数少ない“参考となる歴史書”などを探り当てながら、経済政策の変更などと絡めて、「朝鮮戦争」前、厳しい情勢の変化を眼前にして、将来の我が国の安全保障政策をめぐる議論、言葉を代えれば、 “非現実的な理想主義といかに決別しようとしたか”について振り返ってみようと思います。

 

占領政策の変更と影響

 

 米国政府が「日本経済の早期復活の促進」に政策を変更したことはすでに述べました。その際のジャパン・ロビーの活動が我が国に与えた影響をもう少し掘り下げておきましょう。

 

昭和23年3月、グルーを名誉会長とする「対日協議会」が発足されます。やがて親日ロビーの牙城となる同協議会の発起人は、『ニューズウイーク』の外交担当編集者ハリー・カーン、ドーマン、コンプトン・バケナムら知日派でした。

 

彼らは、GHQの対日政策を徹底的に批判する記事を相次いで『ニューズウイーク』に掲載します。特に「占領政策はアメリカで許容されている以上に左傾化している」との記事が掲載されると、議会でも対日政策が攻撃の的になり、「経済復興を占領政策の第1目標にすべき」との政策変更につながります。

 

マッカーサーやニューディーラーたちが猛反発したことは当然でしたが、「もっと徹底した旧体制の破壊によって、社会主義的な国家にしたい」との意図を持つ国内マスコミや左翼にとっても、『ニューズウイーク』の記者たちが憎悪の対象となりました。

 

このような経緯に加え、その後の日米安保条約や再軍備をめぐる議論の混迷もあって、“日本を共産化しやすい状態にとどめておく”との本音を隠し、経済復興を阻止するとともに、「安保反対」「再軍備反対」をことごとく叫ぶ左翼(いわゆる進歩的文化人)が残ってしまい、長くその影響を引きずることになります。

 

さて、日本経済は、のちの「朝鮮戦争」の勃発によって閉塞状態から一挙に開放されますが、昭和21年から24年までの経済の回復度(戦前との比較)は、21年が58%、22年が65%、23年が69%となります。緩慢ではありましたが、占領政策の変更によって徐々に改善基調にありました。

 

「公職追放」解除と共産党追放

 

 占領政策の変更によって、財閥解体や自治体警察の返上なども行なわれます。「公職追放」も見直され、日本の政治や経済の再建に必要な人物は復帰を求められます。昭和24年2月、追放指定解除の訴願審査委員会が設けられ、1年半の審査の結果、1万人余を解除し、残りは19万人余となります。そして、講和条約締結間近の昭和26年11月までに、1万8千人を残して他は追放解除となります。

 

他方、逆に共産党追放へ目が向けられ、コミンフォルムの命により、共産党が占領当局と対決路線を指示したこと(1950年1月)がそのきっかけになります。こうして、同年5月に、GHQは、「赤旗」幹部41人に追放命令を出したのを皮切りに、追放は、講和条約によって追放解除されるまで続き、共産党員61人が追放されます。その結果、多くの共産党幹部は、地下に潜るか海外に亡命します。

 

「芦田書簡」とマイケルバーガーの安全保障論

 

 さて、連合軍の日本占領は、結果として7年も続きますが、“近世以来、主権国家同士の戦争の結果、敗戦国全土の占領がこれほど長く続いた例はなかった”ことを私たちは改めて記憶にとどめておく必要があると考えます。

 

この“長く続いた占領”については、「初めから意図されていたわけではなかった」ともいわれます。現に、マッカーサーは、占領1年半後の昭和22年3月に「できれば1年以内に平和条約を結んで、軍事占領を終わらせたい」と発言しています。

 

この時点で米国が用意した対日講和案は「バーンズ案」と呼ばれ、「軍隊の保有や航空機の保有を禁止し、工業や商船隊も制限し、極東委員会の代表が日本に常駐して25年間、監視する」という内容でありましたが、マッカーサーは「過酷すぎる」として、講和が遅れることにしぶしぶ同意したのでした。

 

日本に幸いしたのは、当時、第2次世界大戦の処理をめぐる米英ソの交渉が至る所で暗礁に乗り上げており、対日平和条約も難航し、“監視期間を25年から40年に延長する”妥協案まで出されたようですが、結局、合意は得られなかったのです。

 

その後の動きは、「日本を対象とする安全保障」から徐々に、“日本が共産陣営の手に落ちることを防ぐ”「日本のための安全保障」へ転換していきます。特に、マーカーサーの早期和平提案に疑問を持っていたのは、第8軍司令官のマイケルバーガー中将でした。

 

マイケルバーガーは、「早期和平が実現すれば米軍は引き上げを考えなければならないが、もしその後でソ連軍が樺太や千島から侵入してきたらどうするのだろう」と心配していました。当時の我が国が置かれた“状況”を伺い知ることができるエピソードと考えます。

 

昭和22年9月、芦田均がそのマイケルバーガーに、「国連が機能しない場合を想定して、(国連が機能するまで)我が国を防衛する方法として、@米軍が駐留し、A日米間で特別協定を結び、日本の防衛をアメリカに委ね、日本の独立を保障するのが最良の手段である」とする、のちの「日米安保条約」への第1歩となる「芦田書簡」を手交します。

 

特に、この“国連が機能するまで米国に頼る”という考えは、のちの旧安保条約、改正安保条約に引き継がれます。そして「“日本に対する駐留”より“日本のための駐留”であるべき」とする考えは、当時から叫ばれ、その後しばらく続いた「ビンの蓋」論に対抗する考え方としてとても有効でした。

 

岡崎久彦氏は、歴史の「if」として、「占領中の日本政治を指導したのが、権威主義的な固定観念の持主であるマッカーサーと論理性のない吉田ではなく、マイケルバーガーと芦田であったら、戦後日本の思想言論の混迷は間違いなく避けられただろう」と述懐しています。

 

マッカーサーの日本再軍備反対

 

昭和23年3月、マイケルバーガーは、「当時の4万7千人の駐留軍ではソ連の侵入に対抗できない」として、3〜5個師団の日本軍の再建計画をつくり、ウイロビーなど主要幹部との会議で案をまとめるところまでもっていきましたが、再軍備に反対するマッカーサーに一蹴されてしまいます。

 

その時のマッカーサーの状況判断は、「中国大陸では蒋介石がまだ健在で共産軍を防いでいるし、ソ連が南朝鮮を侵攻する可能性も薄い」としたようですが、この情勢判断はその後ことごとく誤りとなります。

 

マッカーサーは、“憲法第9条を中心に自分が組み立てた日本占領方針を覆すアイデアを意地でも抑える”ことに情熱を燃やし、(「封じ込め」政策で有名になった)ジョージ・ケナンらが訪日し、「日本固有の自衛力保持」を主張した際にも、再軍備には強硬に反対し続けます。

 

その理由として、@日本の軍国主義化を恐れるアジア諸国の反発を招く、A占領軍の威信を失墜させる、B日本が再軍備しても5等国並みの軍事力しかならずソ連の脅威に対抗できない、C日本の経済力が軍事費に耐えられない、D日本国民が戦争放棄を支持している、などを挙げ、「日本の平和主義路線は規定路線であって、占領軍の威信の失墜、日本の世論の反発なしには変えられない」と主張します。

 

大統領候補から外れ、リベラル勢力の意見を取り入れる必要がなくなった後になっても保持し続けた、この“かたくなな考え”について、前述の岡崎氏は、「孤立した独断的な人物が犯しがちな誤りである」と厳しく批判しています。そして、この一貫したマッカーサーの発言は、そのまま“論理性のない”吉田茂の発言に忠実に反映されるのです。

 

こうしているうちに、昭和24年10月、中国に中華人民共和国が成立し、マッカーサーが考えていた“非武装日本との早期和平”は非現実のものとなります。この結果、トルーマン大統領も出席した国家安全保障会議において、「対日講和は無期延期、米軍駐留継続」が決定されます。つまり、ワシントンの大局的戦略とマッカーサー・吉田の方針の間にはかなりの齟齬が生じていたのでした。

 

歴史的事実としてのマッカーサーの更迭は、「朝鮮戦争」最中の昭和26年4月ですが、昭和24年時点で、ワシントンでは“マッカーサー更迭論”が出る一方、「自主防衛できない日本は守り切れない」として“日本切り捨て論”も出たといわれます。前年の昭和23年3月、米政府は在韓米軍撤退を内定していましたので、日本撤退も実際にあり得たのでした。

 

「ドッジ・ライン」の弊害

 

 占領後半の日本経済について、もう少し触れておきましょう。日本経済が回復基調にあったことはすでに述べましたが、激しいインフレによって、国民生活の“窮乏”に拍車がかかっていました。

 

 昭和24年2月、ジョセフ・ドッジが来日します。デトロイト銀行頭取を務めたドッジは、占領下のドイツの通貨改革に辣腕を振るったことがトルーマンに評価され、マッカーサーの財政顧問に指名されます。しかも、GHQを飛び越えて采配を振うことができる“公使”という資格を得ておりました。

 

古典的な自由経済論者のドッジは、さっそく、日本経済の自立と安定を目的として“財政金融引き締め政策”(いわゆる「ドッジ・ライン」)を強行します。代表的なものは、公共事業費は日本政府予算案の半額を削減、所得税減税や取引高税廃止のとりやめ、鉄道・郵便料金の5、6割の値上げ、などでした。

 

この結果は、生産の停滞、滞貨の激増、中小企業の倒産、賃金の切り下げ・不払い・遅配などを招きます。大企業は、人員整理を余儀なくされ、27万人近い官公庁労働者も首切り対象になります。

 

たちまち、「ドッジ・ライン」は裏目に出て、国民生活はより深刻さを増します。昭和23年に26万人だった失業者は、朝鮮戦争直前までの1年半に43万人に増加します。当然、社会不安が拡大し、「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」などの怪事件が相次いで発生、労働運動にも大打撃を与えます。

 

それらをGHQの権威のもとで抑えつけますが、「吉田内閣の権力の基盤は、究極的にはGHQの権力である」ことが如実に実証された例とされています。

 

このように、朝鮮特需で一息つくまでのこの時期は、国民全体が敗戦の結果として窮乏の辛酸をなめた“最後のドン底”だったのです。他方、緊縮財政の効果が表れ、インフレは急速に収まります。GHQは、1ドル360円の「単一為替レート」を与えて日本の国際経済への復帰を許し、我が国は、自らの手で経済再建の道を歩むことになります。

 

 

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)7月16日配信)

 

 

お知らせ

 私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたします『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

 

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止されており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すらしないことでした。当然ながら、自衛隊自身もそのための諸準備を全く行なっていませんでした。

 

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化によって、我が国に対しても国際社会の安定化に向けて実質的な貢献が求められるようになりました。

 

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままでの海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族のやるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

 

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すことなく、与えられた任務を確実にこなしてきました。この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本音を語ろうとしませんでした。

 

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、決して公にはできない様々な経験をさせていただきました(墓場まで持っていくと決心しております)。

 

このような海外活動の実態について、隊員家族をはじめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経験、エピソードを寄せてもらいました。

 

連載は、2012年8月から2014年11月まで約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などについてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

 

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外活動の記録』が出来上がりました。

 

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も誇張もない「生の声」が満載されております。

 

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、不安だったことでしょうか。

 

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなことは微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れており、それぞれ厳しい環境で活動したことを知っている私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素晴らしさを垣間見る思いにかられます。

 

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか依然として制約のある法的権限などについて、わかりやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

 

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取っていただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課題などについても広くご理解いただきたいと願っております。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致します。

 

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T

 

 

お知らせその1

 新元号が「令和」に決まった4月1日、『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』(桜林美佐監修/自衛隊家族会編/並木書房発行)が発売となりました。本「メルマガ軍事情報」で毎週月曜日にメルマガを発信されている、本書監修者の桜林美佐氏がすでに4月1日発刊のメルマガで紹介されましたが、私も“仕掛け人”の一人として皆様に本書を紹介しておきたいと思います。

 

 本書は、主に自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おやばと』に3年以上にわたって連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめたものです。ここには過去50年あまりに実施された陸海空自衛隊の主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員たち37人の証言が収められています。昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきました。激甚災害時の人命救助や復旧支援をはじめ、離島での救急患者の輸送、不発弾処理、水難救助、医療や防疫に至るまでその活動は広範多岐にわたります。

 

しかし、 “災害派遣の「現場」で何が起きているか”について、寡黙な自衛官たちはこれまで多くを語ることはありませんでした。本書には、「阪神・淡路大震災」において、自衛官たちが不眠不休で身を賭して人命救助にあたっていた時に「神戸の街に戦闘服は似合わない」と発言されたことや、厚生省から被災者の入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたとの証言、そして、被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害になる」と言われたこととか、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分する問題があるなどの証言もあります。さらに、「地下鉄サリン事件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言など、脚色も誇張もないリアルな事実が記録されています。

 

自衛隊の災害派遣は常に「被災者のために」が“合い言葉”のようになっています。桜林氏がメルマガでわざわざ取り上げてくれましたが、かくいう私も「有珠山噴火時の災害派遣」の体験談、とくに被災者の欲求は状況によって変化し、「被災者に寄り添う支援」がいかに大変かについて書かせて頂きました。

 

本書には、昭和末期の災害派遣も少し含まれていますが、ほぼ平成時代に生じた災害派遣の記録となっており、平成時代の大きな災害を振り返るための資料価値もあると考えます。すでに店頭に並んでおり、アマゾンなどで購入も可能ですので、自衛隊の災害派遣にご興味のある方は、ぜひご一読いただきますようお願い申し上げます(本書の問い合わせなどは宗像宛でお願い致します)。

 

 

『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に寄り添う支援』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
並木書房発行
http://okigunnji.com/url/28/

 

 

 

お知らせその2

 「メルマガ軍事情報」でエンリケさんが再三紹介された『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』を私も読ませていただきました。陸上自衛隊の元将官、つまり軍事の専門家の“端くれ”としての立場で私も本書について少し解説したいと思います。

 

陸上自衛隊の幹部は(全員ではありませんが)、在任中に不滅の戦略論といわれる中国の古典『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』を学ぶ機会があります。
『孫子』は、漢詩調に書かれているせいもあって、わりと日本人には理解しやすいのですが、『戦争論』は、クラウゼヴィッツの理論の背景が欧州戦場であるため、なかなかイメージアップできないばかりか、理論そのものが難解で、翻訳の問題もあってか、軍事のプロの自衛官でさえ困難を極めます。

 

私の場合は、防衛大学校の学生時代を含めると3回、真剣に学んだ経験があります。当然ながら、「軍事とは何か」をまったく知らない学生時代は、「ナポレオン戦争」の戦史を学ぶ延長で『戦争論』の“さわり”を学んだ記憶がある程度です。そして自衛隊に入り、中堅幹部の3佐時代に1度、さらに1佐になりかけた頃、再度、集中して学ぶ機会がありました。

 

クラウゼヴィッツが何を言いたいかをある程度理解し、“目から鱗”を自覚したのは、3回目、つまり20年あまり、部隊や陸上幕僚監部などで指揮官や幕僚としての実務を経験した後でした。

 

さて、本書の作・画は元1佐の石原(米倉)ヒロアキ氏によるものです。石原氏は、漫画については自衛隊に入隊する前の大学時代にすでに「赤塚不二夫賞」の準入選に選ばれるほどの実力を持っておられたようです。しかし、「好きな戦争漫画を描くには軍事を知らなければならない」と自衛官を志し、定年まで全うした後、再び漫画家の道を歩まれている信念の持ち主です。

 

その経験と信念からでしょうか、単に『戦争論』を漫画で解説するだけに留まらず、軍人クラウゼヴィッツに焦点をあて、その戦歴を追体験しながら、クラウゼヴィッツが個々の理論をいかに発想したか、その背景を含めてとてもわかりやすく可視化しているところに本書の特色があります。

 

その石原氏が2年間の情熱を注いで完成した本書にはまた、随所に軍事専門家ならではの“目(切り口)”を伺い知ることができます。何度も悪戦苦闘した経験を有する私にとりましても、“新たな発見”がたくさんありました。

 

本書は、『戦争論』の研究者・翻訳者として最も定評のある清水多吉氏が監修されていることもあって、これまで『戦争論』を学んだ経験のない読者にとっては「入門書」になるでしょうし、すでに学んだ読者にとっては、背景などが可視化されていることによって、難解な理論を改めて読み解くうえで貴重な一冊になると確信いたします。しかも、漫画ですから気軽に読むことができ、内容が瞬間に“頭に焼き付く”というメリットもあります。

 

「平和」を唱えるだけで、「戦争」と聞くだけで“拒否反応”を示す多くの日本人、とくに政治家や有識者ら我が国を牽引すべきリーダーたちに「軍事」を少しでも理解していただくためにも本書がベストセラーになることを祈って止みません。一人でも多くの方にお読みいただくようお薦めします。

 

 

漫画 クラウゼヴィッツと戦争論
 石原ヒロアキ(作) 清水多吉(監修)
 並木書房
 2019年6月27日発行
 http://okigunnji.com/url/51/

 

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


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「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その5)  (2019年(平成31年)2月14日配信)です。
明治時代の「国民精神」を育てたもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「明治時代の「国民精神」を育てたもの  (2019年(平成31年)2月21日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その1)」  (2019年(平成31年)2月28日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その2)」  (2019年(平成31年)3月7日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その3)」  (2019年(平成31年)3月14日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その4)」  (2019年(平成31年)3月21日配信)です。
“アジアを変えた”「日清戦争」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“アジアを変えた”「日清戦争」」  (2019年(平成31年)3月28日配信)です。
世界を驚かせた「日英同盟」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
「東京裁判」の結果と評価
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。