「サンフランシスコ講和条約」締結と主権回復

本サイトの記事が配信されたメルマガ軍事情報の登録はこちらで(無料)
    ↓↓↓↓
メルマガ購読・解除
 

はじめに

 

 冒頭から私的なことで恐縮ですが、私は1951(昭和26)年4月8日の生まれです。「サンフランシスコ講和条約」や「日米安全保障条約」の締結は、偶然にも私が生まれた年のできごとでした。当然、当時の状況を覚えているわけはありませんが、歴史を探求し続け、1951年に近づくにつれて、これまでとは違った“愛着”のようなものが沸いている自分に気がつきました。

 

 同じ歳の作家の浅田次郎氏は、「歴史を学ぶことによって、今ある自分を知る」として「自分の『幸・不幸』はいったいどのような経緯をもって自分が背負うことになったのか」、つまり「自分の座標を確認する」ために「歴史を学ぶ」と説いております。

 

長い旅でしたが、ここまで来て私自身もようやく「自分の座標」を確認できつつあるような気になっています。ここから後、つまり1951年以降は、私にとりましては、幼少時代を含めて自分の人生そのものであり、「歴史」の範疇を超えるものと考えています。

 

他にも理由がありますが、このことが「サンフランシスコ講和条約」などの締結をもって「我が国の歴史を振り返る」の最後のテーマとする理由の1つでもあります。ご理解いただければ幸甚です。

 

「米比相互防衛条約」「アンザス条約」締結

 

第1次日米交渉を終えたダレス一行は、その後、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドを訪問しますが、フィリピンでは賠償放棄の原則に対する不満、オセアニアの2国では、日本の再軍備に対する警戒感から軍備制限条項の挿入と米国による安全の保証を強く求める意見が出されます。

 

日本の再軍備を実現したい米国は、オーストラリア・ニュージーランド・米国の間で集団安全保障条約(アンザス条約)を締結することを約束することで日本の軍備制限を求める要求を撤回させます。そして実際に、サンフランシスコ講和会議が開催される直前の1951年8月30日にフィリピンと米国の間で「米比相互防衛条約」、9月1日に「アンザス条約」がそれぞれ調印されます。

 

こうして、トルーマン政権内で構想された太平洋地域の集団安全保障条約は、上記2条約に「日米安全保障条約」を加えた「3本立て」となりますが、背景に、日本の再軍備に対する近隣諸国の不安があったことは否めませんでした。

 

ダレスの帰国後、国務省は、米英間でそれぞれの条約案の相違点の調整を実施します。調整は手間取りましたが、内容的には米国側が押し切ったような形で共同草案がまとまります。

 

サンフランシスコ講和会議の召集・条約調印

 

 共同草案をまとめあげた米英は共同主催国となって、1951(昭和26)年9月4日にサンフランシスコで対日講和会議を開催することを決定し、7月20日、共同草案とともに55か国に招請状を発送して8月13日まで各国の意見を集約することをめざします。

 

 しかし、「日中戦争」として日本と戦った中国及び南北朝鮮に対しては発送されませんでしたし、ベトナムも南ベトナムのバオダイ政権に招聘状が送られ、ホーチミン政権は無視されました。

 

 インドは、“中国やソ連と講和条約を締結する道が失われる”として米英共同草案に反対して欠席し、ビルマ、インドネシア、フィリピン、パキスタンなども賠償問題に対する強い不満から欠席します。

 

 ただ、ソ連は、米英の予想に反して出席し、総会において修正案を提案します。それは、@南樺太・千島列島に対するソ連の主権承認、Aすべての連合軍の撤退、外国軍基地の不設置、B民主化条項の挿入、C日本の軍備制限(陸軍15万、7.5万トンの海軍、戦闘機200機、原子力兵器の保有禁止など)などを骨子としていました。

 

 講和会議を“交渉の場ではなく、調整の場”と位置付けていた米英側は、あらかじめ修正提案の提出を禁止しており、各国代表の発言も1時間に制限する議事規則を多数決で決定し、ソ連の修正提案を検討する機会を与えませんでした。

 

こうして、米英協定案を基調とする講和条約は、9月8日、ソ連・ポーランド・チェコ3国が欠席するなか、参加49か国によって調印されました。また同日、「日米安全保障条約」も調印されました。

 

なお、これまで触れませんでしたが、講和条約の第5条には「日本が主権国として国連憲章第51条に掲げる個別的自衛権または集団的自衛権を有すること、また、日本が集団的安全保障取り決めを自発的に締結できる」と記載されていることを付け加えておきましょう。

 

さて、ついに達成した「サンフランシスコ講和条約」の署名式で、吉田首相は「この条約は公正にして、史上かつて見ざる寛大なもの」と演説しますが、途中で読み飛ばして全部は読まなかったといわれます。発言は占領軍と調整済みで、「自分が心血を注いで書いた文章であったなら、読み飛ばすはずがない」として岡崎久彦氏は「吉田の占領期最後の屈辱的なパフォーマンスだった」と解説しています。

 

しかし、それで終わりではありませんでした。前回も述べましたが、占領政策の後遺症は今も続き、多くの日本人は、この時の吉田首相が選択した結果として、精神的混迷の中にもがきつつ生き抜くことを余儀なくされます。その傾向は国防論議において特に顕著でした。

 

なお、のちに日本は、署名はしたが議会で批准されなかったインドネシアをはじめ、中華民国、インドとの間で個別に講和条約を締結・批准しています。また、ソ連とは共同宣言(1956年)に合意し国交回復しますが、依然として、北方領土問題が未解決のために講和条約は締結されていません。

 

韓国とは日韓基本条約を締結し(1965年)国交を結びます。また、中華人民共和国との間では、日中共同宣言(1972年)で国交を結び、のちに日中平和友好条約を締結して共同宣言の内容に国際法上の拘束力を与えました。いずれも領土や歴史に絡む問題などの争点が顕在化しています。

 

「サンフランシスコ講和条約」総括

 

改めて「サンフランシスコ体制」の歴史的性格については振り返る必要はないと思いますが、今回、「サンフランシスコ講和条約」締結に至る経緯や条約内容などは、『口座 日本歴史』(歴史学研究会・日本史研究家編集、東京大学出版会)から、“史実と思わしき部分のみ”を参考にしました。

 

しかし、本書に記載されている歴史の解説から時々垣間見える“史観”は、正直、個人的には受け入れられないものばかりでした。そのはずです。本書の歴史研究家たちは、吉田首相から「曲学阿世」と批判された南原総長の“末裔達”なのですから、吉田首相よりさらにリベラルな論陣を張っています。

 

この分野もヒエラルキーのトップに君臨する東京大学において、このような書籍に何の疑問を持たずに歴史を学び、その歴史観を刷り込まされた“秀才達”が日本各地に分散し、各界のリーダーになっているのか、と改めて歴史教育の実態とそこで教育された人達に思いが至ることでした。

 

加えて、歴史研究の“正統”はあちら側にあり、こちら側が「歴史修正主義」あるいは“異端”なのかと、改めて“己の立つ位置”(視座)を考えさせられました。この続きは最後に総括しましょう。

 

主権回復

 

 1952(昭和27)年4月28日、「サンフランシスコ講和条約」と「日米安全保障条約」が発効し、日本は、6年8か月に及ぶ連合国の占領から開放され、晴れて主権を回復します。

 

 この歴史的節目の主役となって我が国をけん引した吉田茂首相は、自書『日本を決定した百年』の冒頭で、「日本は太平洋戦争という大失敗を犯したが、全体としては激しい国際政治の荒波のなかを巧みに舵をとってきた。それは日本人のすぐれた『勘』のたまものだ。特に明治の指導者たちは優れた『勘』をもっていた。だから、私はことあるごとに『勘』の必要を説いてきた」として、あたかも「当時の選択は自らの『勘』を働かせた結果である」と言いたげに語っています。

 

 確かに吉田は、「全面講和」を唱える知識人やマスコミからは「反動政治家」「米帝国主義に追随する売国奴」といったレッテルを貼られながら、自らの「勘」で「単独講和」を推進しつつ、一方では再軍備制限を選択し、結果として戦後復興や経済発展も成し遂げました。

 

 個人的には、「主権回復直後こそ憲法改正の好機だった。それを実現しなかったのは吉田茂という政治家の本質だ」と考えますが、当時の状況から“時期尚早”との「勘」が働いた結果なのでしょうか。

 

 上記自書には、「日米安保条約の将来はどう思われるか」との質問に対して、吉田が「条約などは一片の紙切れに過ぎない。当時、あれが最善と考えたから条約を結んだ。将来のことは将来の世代が決めるべきことだ」と真剣に答えたとの記述があります。

 

 吉田学校の“生徒達”は、あまりに米軍による保護協定的な性格が強かった日米安全保障条約(旧安保)を、激しい安保闘争の中で強行採決によって、より共同防衛に近い形に改正はしました(1960年)。しかし、憲法の制約があって、依然として「片務条約」(日本側が米国の防衛を担う義務なし)であることには変わりありません。

 

 “条約は一片の紙切れ”といえども、国家の命運がかかっていることは明白です。70年あまり、半ば米国の“配下”にあるような状態を放置したままになっているのはあまりに異常です。現下の周辺情勢が当時の情勢と全く違うことも明白です。憲法が国家の生存のための“足かせ”となるならば、勇気をもって改正に向けて真剣に議論すべきではないでしょうか。

 

安保改正にさかのぼること5年前の1955年、保守合同で成立した自由民主党は、共産圏に対する防衛力の強化とともに、自主憲法の制定を“党是”として掲げています。以来60年余りが過ぎた現在においても、「勘」を働かせて憲法改正に情熱を傾ける人達が存在する一方、“時期尚早”と足を引っ張る勢力が党内に存在するように見えます。戦後はまだ終わっていないと私は考えます。

 

「大東亜戦争」総括に向けて

 

一般には、「大東亜戦争」は1945(昭和20)年8月14日、「ポツダム宣言」受諾をもって“終戦”となっていますが、これは我が国の解釈であり、現に、終戦記念日あるいは戦勝記念日が各国によって違います。アメリカ・イギリス・フランス・カナダは9月2日、ロシア・中国は9月3日です(ロシアは最近、9月2日に変更しました)。

 

「戦争とは他の手段をもってする政治の継続」とするクラウゼヴィッツの定義に忠実に従えば、単に“戦闘”を止めた時点をもって“戦争終結”とすることに疑問があります。

 

クラウゼヴィッツは、“一国家の抵抗力を奪う”ということは、@戦闘力の破壊、A国土の占領、B敵の意思のくじく、ことと解説しています。昭和20年8月時点では、我が国は、戦闘力はまだ相当保有しておりましたが、武装解除して戦う意思を放棄しました。見た目には、@とBは成立したかのように見えましたが、この時点で完全だったかどうかは、少なくとも連合国側に立てば確証はありませんでした。またAについては、沖縄を除き、荒廃したとはいえ国土は未占領のままで、終戦後、連合国の占領によってようやくAが完了しました。

 

クラウゼヴィッツはまた「“敵の意思をくじく”ということは、講和条約締結をもってはじめて成立する」として「講和とともに戦争目的は達成され、戦争の仕事は終わったものとみなされる」としています。

 

実際に我が国がかかわった戦争の歴史を振り返りますと、日清戦争は「下関条約」、日露戦争は「ポーツマス条約」、第1次世界大戦は「ベルサイユ条約」がそれぞれの“終戦”からさほど間をおかずに講和条約が締結され、戦争の決着に大きな意味を持ちました。

 

それに比して、「大東亜戦争」は、終戦後7年弱の占領という歳月を経てようやく講和条約締結まで漕ぎつけました。歴史的には異例です。

 

これらから、本メルマガではクラウゼヴィッツの定義に倣い、1951年に講和条約が成立し、我が国の主権が回復した時点まで含めて、改めて「大東亜戦争」を総括してみようと思います。

 

なお、「大東亜戦争がいつから始まったか」については各論ありますが、「講和条約まで含んで大東亜戦争とすべき」とする主張を見つけることはできませんでした(実際にあるのかも知れません)。よって歴史の研究として適切かどうかは別として私の独断です。

 

占領期まで含めて「大東亜戦争」を総括することによって、@なぜ占領が7年弱も続いたのか、A日米両国の死闘と占領の関係、B今日になってもなぜ我が国は占領政策の影響を受けているのか、などについてあぶりだすことができ、その上で「敗戦とはなにか?」「なぜ敗戦したか?」などの本質を知るきっかけになると考えます。次回以降、詳しく振り返ってみましょう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(むなかた・ひさお)

 

 

(令和二年(2020年)8月27日配信)

 



 



著者略歴

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士課程卒。 陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。 2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿多数。


本サイトの記事を配信したメルマガ軍事情報の登録はこちらで(無料)
      ↓↓↓↓
メルマガ購読・解除
 


サイト内検索は、こちらからどうぞ




お問い合わせは、こちらからどうぞ

↓↓↓↓

関連ページ

日本史と世界史に“横串”を入れる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 日本史と世界史に“横串”を入れる──我が国の歴史を振り返る(創刊準備号) (2018年(平成30年)8月23日配信)です。
日本および日本人の4つの特色
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 日本および日本人の4つの特色──我が国の歴史を振り返る(1) (2018年(平成30年)8月30日配信)です。
「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(1)──我が国の歴史を振り返る(2) (2018年(平成30年)9月6日配信)です。
「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(2)──我が国の歴史を振り返る(3) (2018年(平成30年)9月13日配信)です。
信長・秀吉時代の外交と防衛を考える(1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「信長・秀吉時代の外交と防衛を考える(1)──我が国の歴史を振り返る(4) (2018年(平成30年)9月20日配信)です。
信長・秀吉時代の外交と防衛を考える(2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「信長・秀吉時代の外交と防衛を考える(2)──我が国の歴史を振り返る(5) (2018年(平成30年)9月27日配信)です。
江戸時代初期の外交・防衛を考える(1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸時代初期の外交・防衛を考える(1)──我が国の歴史を振り返る(6) (2018年(平成30年)10月4日配信)です。
江戸時代初期の外交・防衛を考える(2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸時代初期の外交・防衛を考える(2)──我が国の歴史を振り返る(7) (2018年(平成30年)10月11日配信)です。
「治安維持」のための江戸時代の諸制度
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「治安維持」のための江戸時代の諸制度──我が国の歴史を振り返る(8) (2018年(平成30年)10月18日配信)です。
長く続いた“太平の世”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「長く続いた“太平の世”──我が国の歴史を振り返る(9) (2018年(平成30年)10月25日配信)です。
欧州諸国の「大変革」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「欧州諸国の「大変革」(前段)──我が国の歴史を振り返る(10) (2018年(平成30年)11月1日配信)です。
欧州諸国の「大変革」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「欧州諸国の「大変革」(後段)──我が国の歴史を振り返る(11) (2018年(平成30年)11月8日配信)です。
江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その1)」 ──我が国の歴史を振り返る(12) (2018年(平成30年)11月15日配信)です。
江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その2)」 ──我が国の歴史を振り返る(13) (2018年(平成30年)11月22日配信)です。
「ペリー来航」と開国(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「ペリー来航」と開国(その1)」 ──我が国の歴史を振り返る(14) (2018年(平成30年)11月29日配信)です。
「ペリー来航」と開国(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「ペリー来航」と開国(その2)」 ──我が国の歴史を振り返る(15) (2018年(平成30年)12月6日配信)です。
江戸幕府の滅亡(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸幕府の滅亡(その1) (2018年(平成30年)12月13日配信)です。
江戸幕府の滅亡(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸幕府の滅亡(その2) (2018年(平成30年)12月20日配信)です。
江戸幕府の滅亡(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「江戸幕府の滅亡(その3) (2018年(平成30年)12月27日配信)です。
「明治維新」と諸外国の関わり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」と諸外国の関わり (2019年(平成31年)1月10日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その1)  (2019年(平成31年)1月17日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その2)  (2019年(平成31年)1月24日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その3)  (2019年(平成31年)1月31日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その4)  (2019年(平成31年)2月7日配信)です。
「明治維新」による国家の大改造(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「明治維新」による国家の大改造(その5)  (2019年(平成31年)2月14日配信)です。
明治時代の「国民精神」を育てたもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「明治時代の「国民精神」を育てたもの  (2019年(平成31年)2月21日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その1)」  (2019年(平成31年)2月28日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その2)」  (2019年(平成31年)3月7日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その3)」  (2019年(平成31年)3月14日配信)です。
「日清戦争」の原因と結果(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日清戦争」の原因と結果(その4)」  (2019年(平成31年)3月21日配信)です。
“アジアを変えた”「日清戦争」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“アジアを変えた”「日清戦争」」  (2019年(平成31年)3月28日配信)です。
世界を驚かせた「日英同盟」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「世界を驚かせた「日英同盟」」  (2019年(平成31年)4月4日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(前段)」  (2019年(平成31年)4月11日配信)です。
「日露戦争」開戦までの情勢(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」開戦までの情勢(後段)」  (2019年(平成31年)4月18日配信)です。
日露の「戦力」と「作戦計画」比較
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「日露の「戦力」と「作戦計画」比較」  (2019年(平成31年)4月25日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その1)」  (2019年(令和元年)5月2日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その2)」  (2019年(令和元年)5月9日配信)です。
「日露戦争」の経過と結果(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「日露戦争」の経過と結果(その3)」  (令和元年(2019年)5月16日配信)です。
“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「“新たな時代の幕開け”となった「講和条約」 」  (令和元年(2019年)5月23日配信)です。
陸・海軍対立のはじまり
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「陸・海軍対立のはじまり」  (令和元年(2019年)5月30日配信)です。
20世紀を迎え、様変わりした国際社会
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「20世紀を迎え、様変わりした国際社会」  (令和元年(2019年)6月6日配信)です。
揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「揺れ動く内外情勢の中の「明治時代」の終焉」  (令和元年(2019年)6月13日配信)です。
「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 「「激動の昭和」に至る“道筋”を決めた「大正時代」」  (令和元年(2019年)6月20日配信)です。
第1次世界大戦と日本
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー 第1次世界大戦と日本」 (令和元年(2019年)6月27日配信)です。
「ロシア革命」と「シベリア出兵」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ロシア革命」と「シベリア出兵」 (令和元年(2019年)7月4日配信)です。
第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第1次世界大戦と日本ー相次ぐ派兵要請ー」 (令和元年(2019年)7月11日配信)です。
「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の終焉と「ヴェルサイユ条約」」 (令和元年(2019年)7月18日配信)です。
「第1次世界大戦」の歴史的意義
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「第1次世界大戦」の歴史的意義」 (令和元年(2019年)7月25日配信)です。
“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史的岐路”となった「ワシントン会議」」 (令和元年(2019年)8月1日配信)です。
「大正時代」が“残したもの”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大正時代」が“残したもの”」 (令和元年(2019年)8月8日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(前段)」 (令和元年(2019年)8月15日配信)です。
“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“波乱の幕開け”となった「昭和時代」(後段)」 (令和元年(2019年)8月22日配信)です。
第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「第2次世界大戦を引き起こしたアメリカ発の「世界恐慌」」 (令和元年(2019年)8月29日配信)です。
「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の背景と影響@―日本と満州の関係―」 (令和元年(2019年)9月5日配信)です。
当時の中国大陸で何が起きていたか?
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「当時の中国大陸で何が起きていたか?」 (令和元年(2019年)9月12日配信)です。
「満州事変」前夜と勃発
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」前夜と勃発」 (令和元年(2019年)9月19日配信)です。
昭和陸軍の台頭
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「昭和陸軍の台頭」 (令和元年(2019年)9月26日配信)です。
「満州事変」の拡大と国民の支持
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「満州事変」の拡大と国民の支持」 (令和元年(2019年)10月3日配信)です。
満州国建国と国際連盟脱退
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「満州国建国と国際連盟脱退」 (令和元年(2019年)10月10日配信)です。
「二・二六事件」の背景と影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「二・二六事件」の背景と影響」 (令和元年(2019年)10月17日配信)です。
「支那事変」に至る日中情勢の変化
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」に至る日中情勢の変化」 (令和元年(2019年)10月24日配信)です。
「盧溝橋事件」から「支那事変」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「盧溝橋事件」から「支那事変」へ」 (令和元年(2019年)10月31日配信)です。
「支那事変」の拡大と「南京事件」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」の拡大と「南京事件」」 (令和元年(2019年)11月7日配信)です。
「支那事変」止まず、内陸へ拡大
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「支那事変」止まず、内陸へ拡大」 (令和元年(2019年)11月14日配信)です。
“歴史を動かした”ソ連の陰謀
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「“歴史を動かした”ソ連の陰謀」 (令和元年(2019年)11月21日配信)です。
世界に拡散した「東亜新秩序」声明
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「世界に拡散した「東亜新秩序」声明」 (令和元年(2019年)11月28日配信)です。
危機迫る“欧州情勢”
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「危機迫る“欧州情勢”」 (令和元年(2019年)12月5日配信)です。
「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」に至る日ソ対立の背景」 (令和元年(2019年)12月12日配信)です。
「ノモンハン事件」勃発と停戦
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ノモンハン事件」勃発と停戦」 (令和元年(2019年)12月19日配信)です。
戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「戦争は「石油」で始まり、「石油」で決まる」 (令和元年(2019年)12月26日配信)です。
日米戦争への道程(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その1)」 (令和二年(2020年)1月16日配信)です。
日米戦争への道程(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その2)」 (令和二年(2020年)1月23日配信)です。
日米戦争への道程(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その3)」 (令和二年(2020年)1月30日配信)です。
日米戦争への道程(その4)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その4)」 (令和二年(2020年)2月6日配信)です。
日米戦争への道程(その5)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その5)」 (令和二年(2020年)2月13日配信)です。
日米戦争への道程(その6)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その6)」 (令和二年(2020年)2月20日配信)です。
日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「日米戦争への道程(その7)「ついに開戦決定」」 (令和二年(2020年)2月27日配信)です。
「大東亜戦争」をいかに伝えるか
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」をいかに伝えるか」 (令和二年(2020年)3月19日配信)です。
「大東亜戦争」の戦争戦略
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の戦争戦略」 (令和二年(2020年)3月26日配信)です。
「真珠湾攻撃」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「真珠湾攻撃」の真実」 (令和二年(2020年)4月2日配信)です。
「ミッドウェー作戦」の真実
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ミッドウェー作戦」の真実」 (令和二年(2020年)4月9日配信)です。
ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「ガダルカナル島の敗戦が“潮目”に」 (令和二年(2020年)4月16日配信)です。
「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「絶対国防圏」が粉砕して「捷号作戦」へ」 (令和二年(2020年)4月23日配信)です。
「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「ポツダム宣言」と広島・長崎原爆投下」 (令和二年(2020年)4月30日配信)です。
終戦とマッカーサー来日
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「終戦とマッカーサー来日」 (令和二年(2020年)5月13日配信)です。
米国の「日本研究」とその影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「米国の「日本研究」とその影響」 (令和二年(2020年)5月21日配信)です。
「WGIP」の目的と手段
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「WGIP」の目的と手段」 (令和二年(2020年)5月28日配信)です。
「日本国憲法」の制定経緯
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の制定経緯」 (令和二年(2020年)6月4日配信)です。
「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「日本国憲法」の意義と「憲法学の病」」 (令和二年(2020年)6月11日配信)です。
「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」」 (令和二年(2020年)6月18日配信)です。
占領期初期の欧州および周辺情勢
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「占領期初期の欧州および周辺情勢」 (令和二年(2020年)6月25日配信)です。
情勢変化に伴う占領政策の変容
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「情勢変化に伴う占領政策の変容」 (令和二年(2020年)7月2日配信)です。
「東京裁判」の結果と評価
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「東京裁判」の結果と評価」 (令和二年(2020年)7月9日配信)です。
我が国の安全保障政策をめぐる議論
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「我が国の安全保障政策をめぐる議論」 (令和二年(2020年)7月16日配信)です。
変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「変容する国内情勢と「朝鮮戦争」前夜」 (令和二年(2020年)7月23日配信)です。
「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「朝鮮戦争」の経緯と我が国に与えた影響」 (令和二年(2020年)7月30日配信)です。
「マッカーサー証言」の意味するもの
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「マッカーサー証言」の意味するもの」 (令和二年(2020年)8月6日配信)です。
「サンフランシスコ講和条約」締結への道程
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「サンフランシスコ講和条約」締結への道程」 (令和二年(2020年)8月20日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その1)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その1)」 (令和二年(2020年)9月3日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その2)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その2)」 (令和二年(2020年)9月10日配信)です。
「大東亜戦争」の総括(その3)
「我が国の歴史を振り返る」のバックナンバー「「大東亜戦争」の総括(その3)」 (令和二年(2020年)9月17日配信)です。